2024年12月5日テレビ,メール,健康,哲日記,断酒,映画鑑賞,美術館,食事,黒島

朝、郵便配達、妹から日本ハムのお歳暮。感謝。 洗濯:布団カバー、布団干し。

午後、映画「じんじん」図書館で無料鑑賞。2013年公開。主演・大地康雄(熊本生まれの石垣島育ち)「絵本の里」と知られる北海道剣淵町を舞台に、親子の絆を描いたヒューマンコメディ映画。大道芸人の銀三郎、会社員時代に妻と娘6歳のときに別れ、以後、会えていない。そして、自然豊かな北海道の地で、高校生となった娘と再会??? ぼくも6歳の娘と別れて30余年、このまま一生を終えるのか。

座りぱなっしなので、公園でウォーキング 7,600歩。 自宅で夕食。具たくさん味噌汁、ノンアルビール【禁酒】

自宅で映画「ビフォア・サンセット」2004年アメリカ映画(NHKBS録画) アメリカ男と、フランス女のロマンスドラマ。80分間のうち60分以上は、ほとんど会話だけの映画なので字幕読むのに忙しい。ベッドシーン、キスシーン皆無、つまらん(笑) でも主人公のひとりパリジェンヌのジュリー・デルピーさん、妙に色気がありましたね、映画公開時35歳。

近所の郵便局窓口にて、横須賀の友人へ『黒島事典』を送る。その際、重さを訊くと「2キロちょい」とおばちゃん職員。現金書留封筒を求めたところ、21円という。財布の1円玉を探すもない、30円出すと9円のつりは1円ばっかし。「ありがとう」とぼく、相手返答なし。

郵便本局にて、那覇在の黒島事典著者へ現金書留にて送金する。手紙一部「あらためて『黒島事典』の上梓、お疲れさまでした。そして、おめでとうございます。同書を読めば、黒島をよく知り、黒島が好きになりますと、周りに推薦しております。遅れましたが、6冊分の代金を送金させて頂きます。

さっそく1冊は、黒島小中学校へ寄贈させて頂きました。この数年、読書月間の11月に、学校図書館の図書購入費としてささやかな寄付をしてきたところ、ことしは『黒島事典』の寄贈をもって、その代わりとしました。もしかして、著者の権利侵害かなと脳裏をよぎりましたが、まぁ、名著は複数あっても困ることはないと判断しました。お許しください」

テレビ「ザ・ノンフィクション」フジテレビ録画) スペイン150名の画家のうち、ピカソ、ミロと並んでひとりの日本人・落合皎児が居た。彼は信州の地で孤独のまま、ことし焼死した。遺児・落合陽介ギフレは、残された大量の絵画と借金1,500万円を前に逡巡。そして、スペイン、スイスを訪れ、あらためて父が才能豊かな画家であったことを確認するまでを描く。

兄夫妻より、お歳暮届く。40秒チーンするだけで本格ステーキ肉3枚、年寄りにたんぱく質はありがたい。 公園で散歩、5,000歩。

●12月4日(水)晴

渋谷広尾の山種美術館で「没後50年 福田平八郎展」を鑑賞。日本画の良さに感動。ただ、恵比寿駅から美術館までの坂道を上るとき胸のこわばりを感じ、一抹の健康不安が・・・・

夕方、赤坂のTさん妹夫妻と会食。料理は、夫妻の黒島つながり友だちのお店で、宮城県産のラムとオーストラリア産ラムを堪能した。妹Yさんの誕生日祝いをかねて、赤ワインと肉料理に舌鼓をうつ。 お店近く都心のきれいなイルミネーションをウムイプス(想い人)と散策し、早くもXmas気分にひたる(笑)。

二次会は、妹夫妻の自宅で八重山焼きそばと、かみやき小のかまぼこプラス請福と八重山三昧。持参した『黒島事典』を肴に談笑。お三方とも、黒島情報に精通、ぼくより遥かに詳しいことに舌を巻く。Tさんに駅まで送ってもらい、特急および偶然、無料のグリーン車に乗り合わせることができ、無事帰宅。10,300歩。

2024年12月1日テレビ,哲日記,映画鑑賞,読書,食事,黒島

ブランチ:ご飯をチーンして、Tさん土産の石垣牛カレー+玉子焼き+義姉さん土産のラッキョウ。柿+ヨーグルト。コーヒー+牛乳。

図書館にて新聞、週刊誌等。五木寛之さんの週刊新潮コラム読む。朝夕、1日2回お風呂に浸かるそうな、湯舟に10~30分も石鹸は使わず。この作家、洗髪は年4回とか、蔵書はボロボロだと湯舟で読書するのでね。92歳、お元気でなによりです。

近所のワイン食堂OB会。長老のK坂さん、T岡夫妻、Y野夫妻、6名で和気藹々。初めて入るきっちんK、料理もワインも焼酎も美味しかった。小生がウムイプス(想い人)話しを披露すると、高齢者集団に羨ましがられ、罰として来年の新年会幹事を仰せつかった(笑)

昨日来、スマホをいじくっていたら画面がほぼ真っ暗に、困った。完全に壊れたと思った。あんしん遠隔サポートもアプリが見えない状態だけに使えない。それでも、目を凝らして「設定」画面から「画面表示と明るさ」にたどりつき、バーを横に動かすと何と明るくなり復旧。24時間ぶりの快挙だ。

テレビ「ドキュメント72時間 小さな屋台カフェ 千夜一夜物語」NHKプラス) Tさんから「昨夜、22時からNHKで再放送(アンコール番組)の小さな屋台カフェというドキュメントほのぼのしててよかったよ~✌️様々な人間模様を映し出し、たかがコーヒー、されどコーヒーって感じの番組☕。哲ちゃんとコーヒー飲みたいと思いましたぁ~」と勧められて観ました。ところが、なかには彼女に振られたという35歳の男が登場し、「LINEで、これからのお付き合いやめましょ」と言われた、との怖い話も(笑)

公園で散歩、6,900歩。

映画「男はつらいよ 寅次郎恋歌」第8作、1971年12月公開(BSテレ東)マドンナ:池内淳子。名優志村喬の演技光る。旦那に先立たれた淳子(当時34歳)、小学生の男の子を女手ひとつで育てつつ喫茶店を経営、旅から戻った寅さん、案の定、喫茶店に入り浸り、あげく恋の成就ならず旅にでることに。

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那覇の従妹J子ちゃんより電話。『黒島事典』をぼくから購入してくれるとのこと、縄張りルールに反するがまぁいいか(笑)。来年3月、大谷翔平観戦のため母娘で上京するとのことで、その際、ご馳走することにしよう。

黒島小中学校長より『黒島事典』寄贈について、丁寧な感謝メールいただく。当方、恐縮千万なり。

同期生へ手紙「M倉 K代さま。『黒島事典』購入ありがとうございます。ぼくの名前が出てくるのは、422頁「バタルン」の項です(笑) 生年祝い同窓会のお疲れはありませんか?ぼくは、2回(2月、11月)も八重山帰省で、くたびれました。来年3月のS盛芸歴50周年公演は、行くつもりです。支払いはいつでもいいですよ」

昨夜、冷蔵庫で浸けておいた新米を炊く。おかずは、Tさん土産のジーマーミ豆腐と、焼き魚、玉子、酢キャベツ、ヨーグルト+バナナ+オールブラン、コーヒー。

公園で散歩。 図書館にて新聞。開架から「私」という男の生涯(石原慎太郎著)を取り出して拾い読み。自分と妻の死後に出版するよう言い残した本。果たして? 7,300歩

●11月28日(木)快晴

午後、上野へ。先週の田中一村展につづいて、きょうは国立西洋美術館へ、企画展「モネ 睡蓮のとき」はTさんと来年観ることにして、無料の常設展へ。宗教画はスルーして風景・美人画、ピカソ、藤田嗣治等を鑑賞。

その後、浅草をひとり散歩、浅草寺をお参り、賽銭17円(笑) ちょっと薄着なので、ロックのユニクロで防寒ヒートテックを買い、トイレで着替え。 居酒屋百Yつで学生寮時代の先輩O濱、I垣、Mさんと会食談笑。ガン患いの長さん、抗がん剤副作用の禿げ頭からきれいな白髪が生えて、豪快な話しっぷりでひと安心。帰路、東京駅発の特急で地元駅へ。

不覚にも拙宅目前にしてスナック・D夢で一杯と、唄「この街で」音痴を披露。 13,600歩。

2024年11月26日哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,美術館,食事,黒島

映画「お早う」1959年、小津安二郎監督(NHKBS)佐田啓二、久我美子。コメディ映画。小津監督作品のNO1は東京物語。でも、この映画も小津ワールドを満喫すること請け合いだ。子どもたちの反抗が面白い。「テレビ買って」とか、あげく、テレビを買ってくれるまで「一切口きかない」と断固スト決行とか、新興住宅街における奥さんどうしの悪口とか、日常をたんたんと描いて見せてくれますな。

明日に備えて散髪へ(笑)

朝から大谷選手のMVP満票獲得に歓喜。 

午後、前から楽しみにしてた「田中一村展 奄美の光・魂の絵画」へ。上野駅公園口をでると平日にかかわらず大勢の人。当日券を求める人々の列、幸いネット予約済であったので、東京都美術館の入り口へ直行。一村、若き時代からの膨大な作品群のなかで、圧巻は、奄美大島に抱かれ晩年を過ごした絵画が素晴らしい。「アダンの海辺」「不喰芋と蘇鐵」は、黒島の自然を連想して感動。よかった。

一村展、入場数20万人を突破したそうで、奄美大島で無名のまま亡くなった一村を世に知らしめた、地方紙の新聞記者、その後のNHK番組での紹介と、これらのメディアの関係者にも拍手。

夕方、ぼくがネットで見つけた老舗O多幸で夕食。先ずは、お勧めの兵庫県の地酒で、早速、大根やはんぺん、コシのある蒟蒻等旨い、水蛸も日本酒に合う、秘伝の出汁が絶妙な塩梅となり、味は濃いが塩辛いとは違う関東おでんに、今度は山形県の超辛口のお酒が進む。〆は人気のとうめし(出汁が染み込んだお豆腐が、出汁で炊いたご飯の上にドンと乗る)とベッタラ漬け、これまた最高の味だ。

黒島談議をしながら、唯一無二の島へのメンタリティーは小学生になるらしいウムイプス(想い人)と、美味いを連発のBonjour。その後、喫茶店でコーヒーとチョコケーキを分けあって、心温まる二十四節気・小雪の一日を終えた。

東京駅で名残り惜しくもそれぞれの帰路へ。ぼくは、プレゼントの黒島刺繍作家N美ちゃんの猫サンタブローチを、ショルダーバックに付けて特急で無事帰宅。 9,900歩

午前、『黒島事典』6冊とどく。うち1冊を母校・黒島小中学校へプレゼント。

黒島小中学校御中:子どもたちの教育向上にむけた取り組みへ、敬意を表します。このほど発刊の『黒島事典』當山善堂編著、贈らせていただきます。実は、亡母千代子は1955年(昭和30)年ころ、黒島で教職にありましたが、ぼくが小学2年のとき病気のため早世しました。これまでの学校図書館へのささやかな寄附等は、遅ればせながらの親孝行のつもりもかねております。当方の勝手な申し出、どうぞお許しのうえご査収願えれば幸いです。

どうもおセンチな手紙、汗顔の至り(笑) 6,500歩

●11月24日(日)晴

公園で散歩、イチョウの黄色が美しい。図書館で新聞等。5,600歩

妹宅へ『黒島事典』届ける。ついでに、年配の友人から頂いた池間島名産のサーターアンダギーを、お裾分けでお土産に。次男のTH郵便局員手配の年賀状100枚の代金と精算。昼食に豚シャブをご馳走になる。

久しぶりの高速道路(青梅ー狭山日高)運転は気疲れする。

テレビ,哲日記,断酒,映画鑑賞,食事,黒島

『黒島事典』の編著者に電話、10日前の発注まだとどきません、どうかしましたか? 「ちょっと体調わるくてね、君のところは2梱包6冊だね、じき送るね」 それでは体調よくなってからでいいですので、どうぞお大事になさってください、と。

詩人谷川俊太郎の訃報、享年92。詩はよんだことないが、エッセー『ひとり暮らし』は面白かった。3度も結婚と離婚なさっていたとのこと、ぼくは2度どまり(泣)

図書館休館につき、書店へ。 寒すぎるので百均で手袋を買って、公園でウォーキング 7,700歩。

夕食:具たくさんの味噌汁+卵、納豆+キムチ+めかぶ+カイワレ大根、ご飯、牛乳、お茶、チョコ【禁酒】

映画「男はつらいよ 望郷編」第5作、1970年8月公開(BSテレ東)マドンナ:長山藍子。豆腐屋のひとり娘にひとめ惚れの寅さん、豆腐と油まみれになって堅気の仕事に精出すも、藍子(当時29歳)は寅さんが豆腐屋を継いでくれるので、母を残して鉄道マンと結婚へ。またまた振られました。

朝目覚め良し。喉の訓練、ハミング5秒10回、ストローぶくぶく3分。

テレビ「映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国 660万人の孤独」NHK)1945年の敗戦時、海外に残された660万人の日本人。彼らの酷い残忍な出来事を、映像は冷徹に見せる。戦争が終わっても辛苦は続くのである。

八重山滞在中に、スマホをいじくっていたら、メモ・アプリの中身がぜんぶ消滅していた、サァー困った。ネット銀行のパスワード流出とか、セキュリティー大丈夫か。それから2週間、ようやくdocomoあんしん遠隔サポートへLINEにて相談、なかなか埒あかず電話相談を推奨された。そして見事にメモが復元。その間、小一時間、イライラすることなく、若い女性(たぶん)の丁寧な応対に感心した。

ついでに料金も相談、irumo3ギガを勧められる。大幅に料金が節約になる見込み。幸運なことだ。それにつけても、2週間も放置していたなんてね、老人こそあり余る時間を使って大いに行動すべきことを実感。

図書館にて新聞、週刊誌等。

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◆11月15日(金)曇

午前、テレビ等、無為に過ごす。午後、久しぶりの公園、紅葉いちぶ始まる、ウォーキング散歩 9,700歩。

テレビ:落語「転宅」柳家喬太郎。妾宅に忍び込んだ泥棒、お妾さんに手玉にとられる滑稽噺。

テレビ「あしたが変わるトリセツショー」声と喉のアンチエイジング(NHK)。 ハミングを5秒10回と、ストローでぶくぶく3分を朝夕続けると。声の通りがよくなり、喉を鍛え、誤嚥をふせぐ。

黒島滞在中のウムイプス(想い人)と妹夫妻ご一行さん、黒島の旅を満喫しているようす。台風が何個も発生して欠航も心配されたので、早めに石垣に戻り、できれば与座画伯の個展鑑賞を勧めたが、台風も直撃を免れ予定通りの黒島滞在で過ごす結果となり、ぼくとしては高価な絵画をプレゼントをせずにすんで安堵(笑)

布団カバー等洗濯。

ブランチ:ワンプレート(にんにく、人参、玉ねぎ、豆腐、玉子、わかめ、しいたけ、サバ缶)、ご飯。ヨーグルト+リンゴ₊ブロッコリースプラウト+オールブラン。コーヒー、お茶。

ウォーキング散歩、青梅駅近の居酒屋G嶺をのぞくも満席、なるほど二の酉市のせいか。帰りもウォーキング、A屋さんで生ビールをごくん。大将が言うのに女将さん体調きびしいとのこと。お釣をクスリ代にカンパ。体調回復を祈るのみ。10,500歩。飲酒と歩き疲れで寝落ち(笑)

映画「戦場にかける橋」1957年アメリカ、イギリス合作(NHKBS)アカデミー賞作品賞7部門受賞。デビット・リーン監督。ウィリアム・ホールデン、早川雪舟。 大勢のエキストラ、実際の木造の架橋、いまから67年前のCGもない時代、よくぞこれだけの動員、巨大なセットを構築できたものだ。名作のひとつ。

名古屋より「東筋秀盛芸歴50周年・みずえ芸歴35周年記念公演への寄稿依頼」受け取る。今年末締め切りの600字原稿了解する。 那覇のTおばさんより、賃貸部屋探しの電話依頼あり。

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朝、左肩腕の痛み続くも、前夜の禁酒のせいか気分は良い。朝食後、痛み止めを服用。

HOM整形外科へ。写真(レントゲン)を3枚とった結果、肩骨の空間が若干狭くなっており、筋と接触して痛みを発症する、対処法は、①注射するとすぐ痛みは無くなる ②飲み薬、シップ貼りを処方 ③痛み止めで経過を見る。 医者に診せる前から症状が軽くなりつつあったので、③を選択する。

それから痛風症状について、医師から市の健康診断結果を求められたので提示する。尿酸値6.9、上限7.0内に収まっていたので、これまで同様の薬を継続しよう、肝臓、腎臓等への影響もないので、来年3月ころ、血液検査をして様子をみよう、とのご託宣なり。神妙にうなずく。

帰路、図書館で新聞等、症状が深刻でなかったので、居酒屋で生ビールとほうれん草のお浸しで祝杯。禁酒はわずか1日でついえた(笑) 5,200歩。

録画しておいた高倉健の「駅・STATION」1981年公開 降旗康男監督(NHKbs)を観る。「幸せの黄色いハンカチ」1977年、山田洋次監督)とともに、高倉健主演の好きな映画のひとつ。いしだあゆみ、烏丸せつこ、倍賞千恵子。

射撃オリンピック選手であり、北海道警刑事の高倉健。当時50歳。カッコイイですな。人質をとって銀行立てこもり犯2名を、出前配達に扮した高倉、岡持ちに隠した拳銃で射殺するシーン。赤ちょうちん女将(倍賞千恵子40歳)といい仲になったが、その情夫が職質中の先輩を射殺した犯人(室田日出男)であることをつかみ、女将のアパートに乗り込んで犯人を射殺するシーン。たいした迫力だ。

列車のなかで高倉の肩へ居眠り客の頭が、高倉イヤイヤ押し戻したりするもかなわず他の席へ移動、そこでは高倉が逆に、武田鉄矢の肩に居眠り頭を乗せて、鉄矢口尖がらせて嫌がる。画面切り替わって、おふたりさん肩寄せ合って口あんぐりの爆睡シーン。ユーモア抜群。

美しいいしだあゆみ(当時33歳)と離縁して駅で別れるシーン。幼児をつれて列車からあゆみ、ホームの高倉へ泣き顔の敬礼。宇崎竜童の音楽とともに名場面。長じて、高倉の弟が、甥っ子見たさにあゆみを訪ねたことを報告、高倉「いまもひとりか?」 弟「そう、池袋のBARで働いている、これアパートの電話」 離縁経験者として涙涙涙。

午前、テレビ等無為に過ごす。『黒島事典』まだ到着せず。図書館で新聞等。肩の痛み、和らぐも痛みつづく。

わがウムイプスと妹夫妻、きょうから黒島へ。旅の平穏を祈るばかり、台風4個も接近につき。

映画「新・男はつらいよ」第4作、1970年2月公開。マドンナ栗原小巻。 競馬で大当たりの寅さん、おいちゃん、おばちゃんをハワイ旅行へ招待するも、悪徳業者に旅行代金を持ち逃げされてアウト。 虎屋で蟄居してると、泥棒(財津一郎)が闖入して大騒動に。

虎屋に下宿している幼稚園の先生、栗原小巻(当時25歳)。当然振られました、恋敵は横内正の渋い声。

不燃ゴミ出し。テレビ等。図書館で新聞、ウォーキング散歩 7,740歩。

わがウムイプスと妹夫妻、1年ぶりの黒島の伊古桟橋や名所旧跡を散歩してエンジョイ。夜は、マサボ宅で宴会のようす。ぼくの悪口を肴にしてるかもしれない(笑)

石垣開催の与座画伯夫妻のふたり展を鑑賞するようつよく勧める。気に入った絵を購入してください、プレゼントするからと太っ腹のぼく。でも、三桁にのぼる絵画だと、内心びくびく(笑)

夕方、散歩中にST元内閣官房長官より電話あり、12月、私塾理事会の案内。

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旅で溜まったものの洗濯、部屋掃除。

久しぶりの車を運転し不在票をもって郵便本局へ。『黒島事典』-黒島の言語・諺・歌謡・習俗ー當山善堂編著)を受け取る。とても重い同書(841頁)をリックに背負い、市役所7階まで登山(笑)、2階で新聞を読む。

帰宅後、『黒島事典』をめくるもなかなか探せない、あった!「バタルン」の項でぼくのエピソードが・・・過褒な文面に赤面する。

夕方、ひさしぶりのA屋で『黒島事典』の上梓を祝して、勝手に祝杯あげる。 3,430歩。

布団干し、可燃ゴミ出し、テレビ等

月刊『やいま』11月号を読む。特集「島を出た八重山人」はいの晄さんのルポルタージュが秀逸。八重山出身ながら、信州安曇野に暮らす高橋さん(78歳)の波乱万丈の人生を活写。そして同時に、家族や地域の方々とともに、戦争マラリア「ハテルマシキナ」「南に飛んだポー」の朗読劇に取り組み、沖縄・八重山の平和をつよく願う真心に感動しました。感謝。

本日は引きこもり 歩数15歩(笑)

『黒島事典』の著者へ6冊購入の申し込みをする。ぼく「出版おめでとうございます。いまのところ妹しか売り先確定してませんが、何とか広めてみましょう」 著者「黒島出身者以外の方にも、興味もって読んでもらえるので頑張ってください」

なぜ「黒島語辞典」とせずに『黒島事典』としたのか。それは単語の意味を記すのみにとどまらず、言葉に関連するエピソードがふんだんに盛り込まれ、博覧強記の著者をもって初めて編むことができる事典であり、「黒島随想」というタイトルでもよかったかもしれないほど。この事典を読むと、黒島のことがよくわかり、ますます黒島のことが好きになること請け合いだ。実に面白い。

久しぶりに公園でウォーキング 8,630歩。

◎11月10日(日)曇

朝起きると、左肩が痛い、たぶん大谷翔平と同じカ所か(笑) 布団カバー等洗濯。

テレビ。高倉健の命日ということで、NHK特番を観る。録画した映画「駅・ステーション」は楽しみにしておこう。 「ETV特集 山田太一からの手紙」 高倉健も山田太一も、たくさんの手紙を差し出していたんだ。

黒島ふるさと会の長老K・Kさんへ電話、黒島事典の購入案内するも「検討する」とのこと。西表、しかあざのふるさと会へ出席していて、お元気のようす。

映画「男はつらいよ フーテンの寅」第3作、1970年1月、マドンナ:新珠三千代。旅館の女将に惚れ、振られ。 2,780歩。

左肩痛み続き目を覚ます、午前3時、牛乳を温め、ヨーグルト+オールブランを食べて、痛み止めを服用。

テレビ「NHKスペシャル 大谷翔平とドジャース 世界一の舞台裏」 将来を問われ、「野球しか知らないし、野球をやり切った人生であれば幸せではないでしょうか」

ブランチ:具たくさん味噌汁、ごはん、サケ焼き、ヨーグルト+とまと、コーヒー他。 痛み止め薬服用、冷蔵庫で1年以上保管してあったもの。効き目いかほどにか(笑)

図書館へ、顔見知りの老人、新聞を顔に乗せ居眠り。

帰宅、冷蔵庫で6時間充分お水に浸けたコメを早炊き。 入浴後、ノンアルビール、炊き立てご飯にタマゴかけ夕食。久しぶりの禁酒。痛み止め服用。

この2日間、左腕の痛み抱えながらの日常生活、不自由さを実感。障がい者のご苦労に想いをいたす。←ちょっとカッコ付けすぎか(笑) 3,222歩。

哲日記,,食事,黒島

市内を散歩。公設市場では、オバーからてんぷら(にんにく、アーサ、サーターアンダギー)を買ってランチ代わり400円。

最終便で待望のふるさと黒島へ。港にはM廣くんがお迎え、仲本のM喜邸へ、女将のN美さんが笑顔で迎えてくれるなか、旅装をとく。さっそくシャワー後、早くもビールで乾杯。地元野菜を盛った手づくりオードブルが美味であった。

夜7時、となり村のビジターセンターで開催の「黒島音楽祭」へ。これはM廣くんが、30年前にみやき荘で仕掛けたイベントで、息子のHくんが後を継ぎ、鳩間音楽祭に負けず劣らず「小さな島の小さな音楽祭」というコンセプトで、素晴らしいふるさと愛なり。

東筋H吉くんはじめとする唄者の熱唱の中、黒島牛が無料で振舞われるという豪華コンサートだ。心底楽しめた。黒島牛祭りに次ぐイベントに発展していってほしい。フィナレーは全員でモーヤ、カチャシー。つい飲みすぎたM廣くんをかいがいしく介抱するN美さん、おふたりの夫婦愛の絆を羨ましく思った。9,200歩。

朝、ウオーキングしつつ仲本海岸へ、あいにく曇り空につきエメラルドグリーンの海を見られず残念。N美さん手料理の朝食をご馳走になり、自転車で島めぐり、伊古桟橋、T山本家の旧亀甲墓はうっそうとした森に阻まれ視認かなわず。

黒島港の食堂で、見送りのM廣夫妻とランチ。昨夜の音楽祭出演メンバーと同席、すると博多の男がぼくへ「しばらくでした」と挨拶。M廣が「この男知っているの?」と訊くと、彼から「知っているさー、ジョン万次郎でしょ」ときたもんだ。中学3年の九死に一生体験が、ジョン万次郎の遭難と重ね合わされるとは、ガッテン!

石垣島では島料理の名店「南の島」で、UY、KE両名と夕食。鉢合わせのY座画伯夫妻まじえ、盛り上がる。店主のミッチャンへは、黒島のMHくんからもらった焼き芋(コーヒーに次いで商品化めざす)を東京まで持ち帰るわけにいかず手交。モノになるかどうか、感想を届けてほしいもんだ。

二次会は、5名で島唄ライブBARへ。店主のマモルさんへ「ぼくのウムイプスと、その妹夫妻があなたのファンで友だちであり、必ず訪ねるように」と強く言われたと挨拶。おかげで全員の飲み代をもつはめに(笑) 名曲「ミーハイユ―」「やいま」に酔いしれたひと夜であった。11,700歩。

石垣空港まで兄が車で送ってくれた。お礼代わりに、嶺陽子コンサート(12月8日市民会館)券2枚をあげると、「じゃ、お歳暮代わりにもらっとくさ」と兄。受付カウンターで、東京直行便・座席のグレードアップを申し込むと3,300円、前回までは千円だったはず、インフレを実感。

搭乗前、1級建築士のミッチューとばったり、さんぴん茶を飲みつつ談笑。「お前ら二中祝賀会は盛大だったそうな、自分ら石中は来週さ。卒業時、二中は10クラス450名。石中は8クラス380名だった。だから集まる人数も少ないさー」と相変わらず明朗活発な男なり。

石垣島での半袖から、風が冷たい東京に無事着いた。帰路、新橋で途中下車。ウムイプスと待ち合わせ、黒島みやげを手渡しながら彼女の手に触れるととても冷たい。こんな寒空で華奢な彼女を待たせてしまったことを後悔するも、気を取り直して急遽アペロ(夕食前の軽い飲食)は、イタリアンでパスタとサラダと抹茶ムースを赤ワインで、ただいまとお帰りの乾杯~ ビルの最上階は少し早い、まるでXmasのような夜景が見事であった。

東京駅構内の角打ちで、特急発車まで時間があったので冷酒をひとり酒、家路へ。黒島・石垣島の旅=無事めでたく終えることができました。感謝。9,700歩。

*ウムイプス:恋人、好きな人、「想い人」の意。『黒島語辞典』2024年発行より

2024年11月8日哲日記,食事,黒島

午前、羽田発JAL機にて那覇経由、石垣島へ、飛行機代はマイレージで。 Bセルホテルに投宿、入浴後、徒歩で兄宅へ。さすがに暑い、父母、祖父母等祀られている仏壇へ合掌後、扇風機にあたる。ビールで乾杯後、義姉手づくりのご馳走を堪能する。アーサ汁、寿司、テビチ、野菜煮物、ジーマーミ豆腐等。感謝。

ホテルまでの帰りはタクシーを呼んでもらう、到着まで5分とのことだがわずか1分でタクシー来る。運転手さんと会話弾む。ぼく「人手不足のようですが?」 運転手「いや、タクシー台数、運転手とも人口割では宮古より多い。ただ夜間の運転を敬遠しがち、嫌な客もいるのでね」 「二中二期会 73歳生年祝賀会」に出席すること、黒島出身であること等、すっかり個人情報を話してしまったので、料金800円のところ千円支払い、釣りは結構ですと、カッコ付けてしまった帰省初日の夜。旅に出るとよく歩く、本日9,600歩。

兄の車で、黒島から移転した新墓参り、具志堅用高CMの墓苑で、太平洋と黒島が見える好立地なところ。兄夫婦の尽力で、先祖も安らかな眠りに就いていることだろう。従弟が経営する街中華の名店O富にてランチ。正午前にすでに満席状態だ。人気店だけに美味しい。

ホテルで休憩後、石垣島祭りの舞台をすこし覗いて、徒歩で「二中二期会 73歳生年祝賀会」の会場旧日航ホテルへ。地元の同期生のおかげで盛大な祝賀会となった。はじめに司会UYくんによる物故者58名のしめやかな氏名読み上げ後黙祷を捧げ、祝宴へ。わが関東チームも「バガケーラ(同胞)」歌唱披露、ぼくも口パクで参加(笑) 中学卒業時450名のメンバーのうち参加人数174名(女106、男68)。本土から24名、沖縄から36名、フランスからY座画伯夫妻が参加し喝采をあびていた。

二次会は港近くのライブ会場で、医師のMくんのトランペット、久しぶりのUTくんのドラムはピカイチであった。ひとりポツンと座っていると、クラスメイトのT津子さんが話し相手になってくれた。それを見ていたUYくんが「お前が日記に書いてあった、T子とは彼女のことか?」と訊くので、あわてて取り消しておいた(笑)

もう1件仲間とはしごしてホテルへ。午前2時就寝。8,650歩。

朝、那覇のZ堂叔父より電話「黒島語辞典上梓した。関東の皆さんへ広めてくれるように頼む」とのこと。

石垣島祭りのメインイベントのひとつ、パレード見物。あまりの暑さに途中切り上げ市場へ、群馬県産のキャベツ400円、東京の拙宅近くスーパーでは180円、流通コストの加重さにびっくり。

夕方、F美子叔母宅にて夕食をご馳走になる。1938年生まれの御年86歳、記憶力抜群で、黒島にまつわる昔話はとくに面白い。認知症にならず健康なことは、若い友人(南の島店主ミッチャン)たちのお陰という。ぼくの母親が早世したので、母親代わりも務めて頂いたので、いつまでも感謝の念を持ち続けているところだ。

叔母の娘K美と孫K音が、祭り花火見物から帰宅したので、ホテルまで車で送ってくれるという。そして、車を降り際に今春公務員として社会人となったK音ちゃんに、「まだ、給料安いでしょう」と言ってお札を手渡して感謝の意を表した。部屋に入り財布を確認すると、千円でなく5千円をあげたことに気づき、「しまった」と地団太を踏んだ(笑) 11,600歩。