哲日記,大谷翔平,断酒,,映画鑑賞,食事,黒島

●4月16日(水)晴

午前9時、総合医療センターへ入院するには車禁止、公共交通機関を利用せよ、というので拙宅より徒歩で向かう。

入院手続きをへて病棟へ。4人部屋に案内され、ふたりの看護師(4月入職の若手とベテラン)さんが、あれこれ世話を焼いてくれて、あっという間にタコ足状態(点滴と心電図モニターを装着)へ。

正午、昼食は病院食(減塩・低カロリー)キウイのデザート付でもの足りない感じ。

さて、カテーテル検査室へ向かう前に、病室でコンドーム型収尿器を看護師によって装着される。「検査中お小水は我慢せずにしてください」との説明。よもや異性の前で男性自身が露わになるとは、トホホの心境なり。

車いすに乗せられ検査室へ、さすがに緊張高まる。検査台(手術台)に乗せられ、右手首動脈からカテーテルをぐいぐい挿入していく、局部麻酔なので医師、スタッフの声は聞こえる。バルーンで梗塞部をひろげるとき10気圧、12気圧、20気圧という声も聞こえる。ダンプのタイヤ気圧が10気圧というので、20気圧はたいへんな圧。でも、あまりイメージがわかず怖くなかった。

それよりも大丈夫かなと思ったのは、医師が「梗塞部が多いのでいっそ開胸して、バイパス手術したらどうだろうか? 3週間の入院が必要だが1回で済む」とのぼくへの問いかけ。まな板の鯉状態のぼく「先生に任せます」と応えるしかない。医師「ちょっと部長と相談します」 カテーテル挿入まま、結論「部長はどちらでもということなので、今回は2本の冠動脈にステントを入れ、右の動脈は手強いので追って手術をする」となる。

医師からは「あまり動かないで」「順調です」「痛いところありますか?」と声かけ。 

ぼく「胸のあたりが圧で痛む感じ」「これで一生酒は飲めないですか」 

医師「酒は絶対ダメという立場はとりませんが、少しならいいですよ」 

ぼく「じゃ、完全にやめます」と、怖い手術にもかかわらずへんな会話をまじえつつ3時間弱の手術を終えた。

病室に戻り1時間は絶対安静ということで酸素吸入も。 その後、未使用の収尿器取り外すために再び看護師の手を煩わせることになり、快適な放尿はトイレにて。 手術中は胸の痛みを感じたが、手術後はカテーテル挿入の右手首の痛みが暫らくつづいた。

18時、夕食(米飯、焼魚、冬瓜のカニあんかけ、小松菜の磯部和え、バナナ、お茶) 看護師、入れ代わり立ち代わり気分どうか、胸痛みないか、お尋ねの優しさに胸沁みる。

22時消灯。検査・手術の疲れか熟睡したもよう。

◆4月17日(木)晴

6時起床、右手首はじめ痛みすべて解消。看護師が同じ部屋の他の患者のトイレ介助等で出入り、ぼくのところにも血圧、体温計、血中酸素測定で出入り度々(3日間で数回)

8時、朝食:米飯、玉子と豆腐のしんじょ、大根サラダ(エビ入り)、乳酸菌飲料、ふりかけ、お茶。

主治医のA部医師来室。「5月の外来日にCT撮りましょう、のこり右動脈の梗塞部はラスボスのような箇所なので、慎重に入院手術日を決めましょう、妹さんへ電話しておきました」とのこと。

午前中、血液検査、レントゲン、心電図検査を実施。  すこし自由の身になったので、院内コンビニでコーヒーとチョコを求め一服。

正午、昼食:米飯、ぶりの照り焼き、れんこんの金平、白和え、果物オレンジ、お茶。

午後、院内を散歩、8階ラウンジから見晴らしの良い風景を眺めているとLINEが、どこで漏れたのか数少ない女友だちから「いま受付にいるけどお見舞いは家族限定らしく、婚約者といっても許可もらえず受付まで来れる?」と。想定外なことにびっくりして受付にいくと数名の女性陣がきており、ひげ面で見舞いをうけるはめに。コンビニのコーヒーでしばし談笑。

昨日、2個の金属ステントを心臓血管に埋め込んだ割には、平気で院内散歩3,500歩。

18時、夕食:米飯、親子丼の具、炊き合わせ、モヤシとキュウリの和え物、リンゴ、お茶。

黒島までぼくの入院騒ぎが伝わっているようで、「大谷翔平6号ホームランは病気見舞いはずよ。ステント挿入は、彼の心の狭さを広げたんでないの」と、悪友のユニークな言い回しに苦笑する。

●4月18日(金)晴

6時起床、定番の血圧、体温、血流酸素濃度等の計測。

8時、朝食:食パン2枚、オムレツ、コールスローサラダ、ヨーグルト、ジャム、バター、お茶。

主治医来室、退院許可を告げ、来月の外来等の確認。生活指導はなかったが禁酒を固く決意。

男看護師、優しくなかったね、女性看護師さんと比べると、退院追い出し姿勢は不快なり。昨日もシャワー浴びたいと希望伝えると、嫌がる様子ありあり。これじゃ、病気にもよくないね。

でも、入院初体験、総じて面白かった。未来永劫、心臓にステントを抱えながらもポジティブに生きていこうと思う。

徒歩で帰宅後、窓を開けて部屋の空気を入れ替え、さっそく入浴。

正午に昼ご飯:カップ麺にほうれん草、玉子、トマト。病院食と雲泥の違い、たまにいいか(笑)

八重山の長兄へメール。入院・手術の経過と過分の見舞金へのお礼。

夕食:久しぶりの味噌汁・納豆、ほうれん草、モズク、トマト、豆類、冷凍ごはん。

かくてして、2泊3日の入院をおえて無事生還なり。

【入院以前の日記】

ハーベスト箱根甲子園へ1泊旅行。素晴らしい施設と朝食が良かった。

将棋名人戦第1局、藤井聡太名人先勝、対永瀬九段。旅先まで将棋観戦するのもいかがか(笑)

帰路、久しぶりの箱根登山鉄道、急な勾配を降りる電車のスイッチバックもなつかしかった。ロマンスカー、中央線を乗り継いで帰宅。

暖かい午後のひととき、公園で散歩。図書館で新聞、雑誌『文芸春秋』最新号等を読む。7,500歩。

映画「野良犬」1949年(NHKBS録画)黒澤明監督、三船敏郎、志村喬、淡路恵子。戦後4年目に創られた巨匠・黒澤明に

よる犯罪サスペンスもの。若き刑事(三船・当時29歳)の苦闘と、渋いベテラン刑事志村の活躍をえがく。

雨の中、プチ散歩4,200歩。図書館で新聞等。

書店で立ち読み、狭心症等の心臓疾患に効く食べ物は、肉よりも魚、トマト、くるみ、カカオ70%以上のチョコ。

暖かい日。図書館で新聞等。夕方よりプチ散歩、16日入院する総合医療センターでトイレを拝借、ついてでにマイナンバーカードの使用方法についてもチェック。5,300歩。

◎4月15日(火)晴

大谷翔平、5号ホームラン、対ロッキーズ戦勝利。 

映画「ターミネーター」1984年アメリカ(NHKBS録画)シュワルツェネッガー、リンダ・ハミルトン。2029年の未来から1984年のロスアンゼルスへ送り込まれた、不死身の殺し屋ロボット人間ターミネーター(シュワルツェネッガー)と、人間の死闘をえがく。

映画の2029年は、25年の今から4年後だもんね。果たして、ターミネーターのような不死身のロボット人間が出現するであろうか(笑)

哲日記,,美術館,食事

名古屋のビジネスホテルで目覚め。朝風呂。10時半チェックアウト。

ホテル1階の喫茶店でモーニング:トースト、ゆで卵、コーヒー。450円)

バスにて名古屋市美術館へ、途中、ウィメンズマラソンに阻まれ下車。大勢の女性ランナーに目をみはる。男子ランナーは参加可能だろうか?

スマホ地図をたよりに美術館へたどり着く。企画展(1,800円)をさけ、常設展(300円)へ。入場料に見合う展示内容ですこしがっかり。であるならば特別展・フォロン展へ入場すればよかった。酒代は惜しみなく浪費するのにね、反省。

地下鉄にて名古屋駅へ、遅めのランチ:ひつまぶし並、生ビール、骨せんべい、冷酒90m、6,000円)。隣の若者、ひつまぶし特上を注文、横目でのぞくとぼくの並と大差なし、安堵(笑)。食後のコーヒーは新幹線待合室で。

ひかりに乗り込むと、若い女性が真ん中の席、ぼくは窓側席、外を見ると老親の見送る姿が、「見送りですか」とぼく、女性うなづく、「それではどうぞ」と言って席を空けデッキへ、出発後、席にもどると「ありがとうございました」と女性、「はいはい、どうも」とぼく、ちょっといい気分で眠りました(笑)

きょうは晴天、新幹線座席は海側で、富士山みえる席はとれず残念。東京駅で中央線乗り換えると、これまた無料のグリーン車へ、隣の席にはこれまた若い女性が、行儀よく座って地元駅着。

スーパーで、バッテラ寿司3貫300円3割引きを買って無事帰宅。入浴、夜食、就寝。9,300歩。

哲日記,,黒島

朝、まだ無料のグリーン車にて東京駅へ、新幹線ひかり乗り換えて名古屋駅ー東海道線にて金山駅乗り換えー地下鉄にて港区役所駅下車。港文化小劇場で開催の黒島の友人「東筋秀盛芸歴50周年・みずえ芸歴35周年記念公演」を鑑賞。4~5百名の観客がつめかけるなかで、秀盛自ら語る「芸歴50周年の集大成」にふさわしい大成功の記念公演であった。おめでとう秀盛・みずえさん。

司会によると秀盛師匠は、巨匠・大浜安伴の直弟子であったとの紹介。ぼくも1月末に横浜のU田M代子先生から「大浜安伴は私のイトコになりますが、イシャナギラ(石垣)方言がとってもきれいでした。私は聞くことは可能ですが喋れません」との私信を受け取っており、偶然の一致が印象的であった。

その後、打ち上げは名古屋の名店木曽路で行われ、沖縄から応援出演にかけつけた黒島のM船T・G那覇J両先輩と同席させていただき、しゃぶしゃぶ料理を堪能・満腹。秀盛くんから「おまえ、なにもやってないから乾杯の音頭をとってくれ」と指名。「みずえさん、もっと踊り上手になってください」とハチャメチャな乾杯挨拶に、会場から拍手やら失笑やらなんともイヤハヤ反省。

散会後、東京組のHくんと名古屋駅へ。名古屋初めてというので彼の泊まるホテル探し、孫が作ってくれた地図を年寄りふたり判読できず、路頭に迷う状態、小一時間悪戦苦闘、やむを得ずタクシーに彼を押し込んで一段落。ぼくは徒歩で12分のパレス名古屋へ投宿。

黒島語でいうシキザ(でしゃばり)しなければ、こんなことにならなかったのにと再反省。「情けは人の為ならず」←誤用かもしれない。 旅に出ると歩く。10,500歩。

テレビ,哲日記,

テレビ「光る君へ」総集編三、四、終の巻を見る。まひろ、道長の説得を受け入れ、源氏の物語を執筆。これが、1000年後のこんにちまで読み継がれるとは感嘆なり。

八重山の兄より訃報とどく。沖縄のT叔父老衰により亡くなられたとのこと、享年91。こちらで香典の用意をするので、君たちは弔電をおくるようにとの指示。「T夫叔父さまの訃報に接し、謹んでご冥福を祈ります。まさに巨星堕つの感否めず、残念のきわみです」 暴力団抗争の激しいときに県警幹部として治安維持に奔走、活躍された宮古島出身の叔父の人生、あっぱれでした。3,600歩。

朝風呂。ひげそり。 朝からの強風で電車は遅れるやら大変な一日。きょうはTさんの誕生日、おめでとう56歳(笑) バレンタインデー前日とあって、ぼくのプレゼントより先にチョコレートをもらう結果に。その昔は、義理も本命チョコももらえなかった~隔世の感あり。先ずは、お互い笑顔溢れる健やかな一年でありますように。Happy Birthday~✨Happy Valentine’s Day ~✨共に乾杯~🎶ありがとう。5,200歩。

●2月14日(金)晴

今朝の相模湾は、波静かな穏やかな海、美しい景観に瞠目。早咲きのご当地満開桜を満喫し、踊り子号で帰京。Tさんとプチ旅行帰りに彼女の妹宅に寄り、美味しいお料理と泡盛で乾杯~✨ 軽く飲むつもりが、主人のKさんと久しぶりの泡盛に酔った。帰りの特急では、妹さんからのバレンタイチョコが気になり、ハイボールのおともに食す。ベルギーチョコは美味しい~‼ありがとうございました。

帰宅。旅の余韻に浸りながら、寝床に着く。旅に出るとよく歩く、11,000歩。

録画したテレビ「モーニングショー」テレ朝)大谷翔平選手のキャンプ情報他。 

「時をかけるテレビ 池上彰 はやぶさ 快挙はなぜ実現したか」NHK)2010年放送。小惑星イトカワから砂を地球に持ち帰る、世界初の快挙を伝える番組。

「トリセツショー コーヒーのトリセツ、驚きの健康効果!」糖尿病、肝機能、痛風、脂肪燃焼、美肌、認知機能、脳卒中に効くコーヒー。ほんまかいな、ただし飲みすぎはダメ。お酒もね(笑)2,100歩。

テレビ,哲日記,断酒,,食事

朝風呂。 朝食は具たくさんみそ汁、卵、酢キャベツ、ご飯、ヨーグルト+チョコ、お茶(黒島のN美さんに頂いた静岡銘茶)

テレビ等無為に過ごす。 公園でちょこっと散歩、4,200歩。

夕食:野菜+豚肉炒め、納豆+キムチ+ジーマーミ豆腐(Tさん土産)、ご飯、柿+キウイ、牛乳、お茶。【禁酒】

お風呂。 テレビ「ニュースステーション」読売新聞主筆・渡辺恒雄死去の特集。ぼくの好きな新聞記者、深代淳郎、本田靖春、黒田清、筑紫哲也らとは対極にある名物記者。

丹波山村のめこい湯温泉へ。K坂さんのBMWに乗せていただき老人ふたり旅。軽食店シェフのDTさんと来春の新年会打ち合わせ。 お湯、鹿バーガー、プチ鹿肉カレー等、満足なり。

日帰り3時間の車内、話題豊富のK坂さん、おなじスキー仲間の笠谷幸生さんと札幌のスナックで飲んでいたときの思い出話。笠谷はニッカの営業マンとしてこのスナックの看板もニッカ印に代えてもらうほど、ママさんとも親しかったとのこと、そして、K坂さんがママに「この人知ってる?札幌オリンピックの金メダリストだったんだよ」 ママ「エッ、あの70mジャンプの」とビックリしたそうな。つまり、笠谷さん、金メダルを売りにして営業してこなかったと言って、ことし4月に亡くなった友人を偲ぶK坂さんでありました。

朝風呂、残り湯で布団カバー等洗濯。

年賀状作成に取り組むもプリンター調子悪く、ヨーシ来年からは義理を欠けの精神で「年賀状終い」を固く決意する。

夕方、初の外出、T屋さんで焼き鳥と赤ワイン。次いでスナックD夢でTさん故郷の高清水を飲む。カラオケ「この街で」を歌うも、他の客から拍手ひとつもらえず、秋田出身のママさんから「いい歌ね」と慰められる。

テレビ,健康,哲日記,,映画鑑賞,黒島

朝、左肩腕の痛み続くも、前夜の禁酒のせいか気分は良い。朝食後、痛み止めを服用。

HOM整形外科へ。写真(レントゲン)を3枚とった結果、肩骨の空間が若干狭くなっており、筋と接触して痛みを発症する、対処法は、①注射するとすぐ痛みは無くなる ②飲み薬、シップ貼りを処方 ③痛み止めで経過を見る。 医者に診せる前から症状が軽くなりつつあったので、③を選択する。

それから痛風症状について、医師から市の健康診断結果を求められたので提示する。尿酸値6.9、上限7.0内に収まっていたので、これまで同様の薬を継続しよう、肝臓、腎臓等への影響もないので、来年3月ころ、血液検査をして様子をみよう、とのご託宣なり。神妙にうなずく。

帰路、図書館で新聞等、症状が深刻でなかったので、居酒屋で生ビールとほうれん草のお浸しで祝杯。禁酒はわずか1日でついえた(笑) 5,200歩。

録画しておいた高倉健の「駅・STATION」1981年公開 降旗康男監督(NHKbs)を観る。「幸せの黄色いハンカチ」1977年、山田洋次監督)とともに、高倉健主演の好きな映画のひとつ。いしだあゆみ、烏丸せつこ、倍賞千恵子。

射撃オリンピック選手であり、北海道警刑事の高倉健。当時50歳。カッコイイですな。人質をとって銀行立てこもり犯2名を、出前配達に扮した高倉、岡持ちに隠した拳銃で射殺するシーン。赤ちょうちん女将(倍賞千恵子40歳)といい仲になったが、その情夫が職質中の先輩を射殺した犯人(室田日出男)であることをつかみ、女将のアパートに乗り込んで犯人を射殺するシーン。たいした迫力だ。

列車のなかで高倉の肩へ居眠り客の頭が、高倉イヤイヤ押し戻したりするもかなわず他の席へ移動、そこでは高倉が逆に、武田鉄矢の肩に居眠り頭を乗せて、鉄矢口尖がらせて嫌がる。画面切り替わって、おふたりさん肩寄せ合って口あんぐりの爆睡シーン。ユーモア抜群。

美しいいしだあゆみ(当時33歳)と離縁して駅で別れるシーン。幼児をつれて列車からあゆみ、ホームの高倉へ泣き顔の敬礼。宇崎竜童の音楽とともに名場面。長じて、高倉の弟が、甥っ子見たさにあゆみを訪ねたことを報告、高倉「いまもひとりか?」 弟「そう、池袋のBARで働いている、これアパートの電話」 離縁経験者として涙涙涙。

午前、テレビ等無為に過ごす。『黒島事典』まだ到着せず。図書館で新聞等。肩の痛み、和らぐも痛みつづく。

わがウムイプスと妹夫妻、きょうから黒島へ。旅の平穏を祈るばかり、台風4個も接近につき。

映画「新・男はつらいよ」第4作、1970年2月公開。マドンナ栗原小巻。 競馬で大当たりの寅さん、おいちゃん、おばちゃんをハワイ旅行へ招待するも、悪徳業者に旅行代金を持ち逃げされてアウト。 虎屋で蟄居してると、泥棒(財津一郎)が闖入して大騒動に。

虎屋に下宿している幼稚園の先生、栗原小巻(当時25歳)。当然振られました、恋敵は横内正の渋い声。

不燃ゴミ出し。テレビ等。図書館で新聞、ウォーキング散歩 7,740歩。

わがウムイプスと妹夫妻、1年ぶりの黒島の伊古桟橋や名所旧跡を散歩してエンジョイ。夜は、マサボ宅で宴会のようす。ぼくの悪口を肴にしてるかもしれない(笑)

石垣開催の与座画伯夫妻のふたり展を鑑賞するようつよく勧める。気に入った絵を購入してください、プレゼントするからと太っ腹のぼく。でも、三桁にのぼる絵画だと、内心びくびく(笑)

夕方、散歩中にST元内閣官房長官より電話あり、12月、私塾理事会の案内。

哲日記,,食事,黒島

市内を散歩。公設市場では、オバーからてんぷら(にんにく、アーサ、サーターアンダギー)を買ってランチ代わり400円。

最終便で待望のふるさと黒島へ。港にはM廣くんがお迎え、仲本のM喜邸へ、女将のN美さんが笑顔で迎えてくれるなか、旅装をとく。さっそくシャワー後、早くもビールで乾杯。地元野菜を盛った手づくりオードブルが美味であった。

夜7時、となり村のビジターセンターで開催の「黒島音楽祭」へ。これはM廣くんが、30年前にみやき荘で仕掛けたイベントで、息子のHくんが後を継ぎ、鳩間音楽祭に負けず劣らず「小さな島の小さな音楽祭」というコンセプトで、素晴らしいふるさと愛なり。

東筋H吉くんはじめとする唄者の熱唱の中、黒島牛が無料で振舞われるという豪華コンサートだ。心底楽しめた。黒島牛祭りに次ぐイベントに発展していってほしい。フィナレーは全員でモーヤ、カチャシー。つい飲みすぎたM廣くんをかいがいしく介抱するN美さん、おふたりの夫婦愛の絆を羨ましく思った。9,200歩。

朝、ウオーキングしつつ仲本海岸へ、あいにく曇り空につきエメラルドグリーンの海を見られず残念。N美さん手料理の朝食をご馳走になり、自転車で島めぐり、伊古桟橋、T山本家の旧亀甲墓はうっそうとした森に阻まれ視認かなわず。

黒島港の食堂で、見送りのM廣夫妻とランチ。昨夜の音楽祭出演メンバーと同席、すると博多の男がぼくへ「しばらくでした」と挨拶。M廣が「この男知っているの?」と訊くと、彼から「知っているさー、ジョン万次郎でしょ」ときたもんだ。中学3年の九死に一生体験が、ジョン万次郎の遭難と重ね合わされるとは、ガッテン!

石垣島では島料理の名店「南の島」で、UY、KE両名と夕食。鉢合わせのY座画伯夫妻まじえ、盛り上がる。店主のミッチャンへは、黒島のMHくんからもらった焼き芋(コーヒーに次いで商品化めざす)を東京まで持ち帰るわけにいかず手交。モノになるかどうか、感想を届けてほしいもんだ。

二次会は、5名で島唄ライブBARへ。店主のマモルさんへ「ぼくのウムイプスと、その妹夫妻があなたのファンで友だちであり、必ず訪ねるように」と強く言われたと挨拶。おかげで全員の飲み代をもつはめに(笑) 名曲「ミーハイユ―」「やいま」に酔いしれたひと夜であった。11,700歩。

石垣空港まで兄が車で送ってくれた。お礼代わりに、嶺陽子コンサート(12月8日市民会館)券2枚をあげると、「じゃ、お歳暮代わりにもらっとくさ」と兄。受付カウンターで、東京直行便・座席のグレードアップを申し込むと3,300円、前回までは千円だったはず、インフレを実感。

搭乗前、1級建築士のミッチューとばったり、さんぴん茶を飲みつつ談笑。「お前ら二中祝賀会は盛大だったそうな、自分ら石中は来週さ。卒業時、二中は10クラス450名。石中は8クラス380名だった。だから集まる人数も少ないさー」と相変わらず明朗活発な男なり。

石垣島での半袖から、風が冷たい東京に無事着いた。帰路、新橋で途中下車。ウムイプスと待ち合わせ、黒島みやげを手渡しながら彼女の手に触れるととても冷たい。こんな寒空で華奢な彼女を待たせてしまったことを後悔するも、気を取り直して急遽アペロ(夕食前の軽い飲食)は、イタリアンでパスタとサラダと抹茶ムースを赤ワインで、ただいまとお帰りの乾杯~ ビルの最上階は少し早い、まるでXmasのような夜景が見事であった。

東京駅構内の角打ちで、特急発車まで時間があったので冷酒をひとり酒、家路へ。黒島・石垣島の旅=無事めでたく終えることができました。感謝。9,700歩。

*ウムイプス:恋人、好きな人、「想い人」の意。『黒島語辞典』2024年発行より

メール,哲日記,大谷翔平,,映画鑑賞,読書,食事

朝、読書、『あんぽん・孫正義伝』

先日来のカーテン洗濯に味をしめて、こんどは掛け布団を自宅洗濯機でチャレンジした。初体験だ。何とかうまくいった。先日来、近所のコインランドリーを視察? 1,500円くらいかかるようだ、それならいっそ自宅でと、いやはや赤ちょうちんでは平気で3~4千円使うのにね。

ブランチ:サラダ(ブロッコリースプラウト、ごぼう、酢キャベツ)具たくさん味噌汁、玉子、焼シャケ、バナナ半分、ヨーグルト+キウイ、チョコ。豆乳、コーヒー。

映画「マンハッタン無宿」1968年、アメリカ(NHKBS録画)クリント・イーストウッド。南部の荒くれ警察官のクリント、ニューヨークの狂暴犯を移送するため奮闘するアクション映画。美女たちとのキスシーンは必見。

学生時代にアルバイトでお世話になったS社長からLINE。実に46年ぶりだ。「我が家で沖縄そばを食べながら、昔話をしよう」とお招き、ぼくからはご無沙汰を謝し「ぜひお伺いさせていただきます」と返信。

朝食:豆乳、バナナ半分、お茶。

部屋でロングブレス、坐骨神経痛のストレッチ。

昼食:サラダ(ブロッコリースプラウト+ごぼう)野菜炒め(ゴーヤ、ブロッコリー、玉子、わかめ、牛乳)シャケ焼、ヨーグルト+はちみつ、チョコ。コーヒー、お茶。

正午、立川のフードフェスタへ出かけるも、あまりの暑さのなか、入場せずに近くの涼しいところ(グリーンスピリングス)へ移動し、昼食。メニューはスープカレー、暑いのにカレーとは天邪鬼か(笑)でも美味かった。そして、散歩がてら近くのIKEYAへ、スゥエーデンの大型ショップ、店内を回るだけでもウォーキング歩数がアップ。1日の終了時16,000歩。

立川駅ビルの喫茶店でコーヒー、特急かいじにて新宿へ、都庁展望室は好天につき見晴らし良かった。近く二中同窓会を予定のやんばる総本店で夕食、店長によろしくとあいさつ、特急あずさにて帰宅。かくして、8時間におよぶ TさんとのBonjourを何事もなく終えた。それにつけても、カレーの汁でぼくの白シャツがシミで汚れると、ハンカチに水を浸してきれいにしてくれたり、急な階段では手を差し伸べて介助したりと、Tさんの優しさに参りました。多謝、感謝。

◆9月27日(金)曇り

ドジャース対パドレス戦、テレビ観戦、ドジャース優勝! 大谷翔平選手、ヒット3本で決勝点あげる活躍、おめでとう。

那覇のT子叔母より電話、あいかわらず隣部屋の騒音に悩まされている、不動産屋に相談しても埒あかず、という相談。良い対策案があれば連絡くださいとのこと。悩ましいことだ。

永田町勤務時代の先輩、K井Jさん亡くなったとの訃報届く。享年76、早すぎる、再び大分を訪問して再会できることを楽しみにしていたが、残念です。以下、K井先輩への手紙 合掌。

K井 J さま

このたびの強い地震お見舞い申しあげます。余震により寝不足気味とのことですが、お怪我なく一安心ですね。

地震で、竹田城跡の一部損壊というニュースを拝見しました。かつてお世話になりました大分旅行(2015年末)で、ご案内いただいた場所ですね。

その際、茶店の叔母さんが強引にお茶を勧めるので注意するように!と、Jさんに言われたことを思い出しました。先に歩いていたぼくに、さっそく叔母さんが店を飛び出し「お茶お茶」と湯呑を差し出してくれましたが、完全無視して小走りに進み続けました。

すると、うしろから「すいませんね。あのひと沖縄の人だから」とのJさんのおばさんへの釈明の声。何だかね・・・・注意を真面目に受け止めたぼくがバカだった顛末なり(笑)

同封の品、甘いものですがお口にあいますか? 奥さまの手助けのもと召し上がってください。(2022年1月26日記)

哲日記,大谷翔平,,食事,黒島

青梅の特産タオルを購入するためホット○〇店へ。横須賀の友人宅へのお土産用として、応対してくれた女性店員さん、親切にあれこれ説明してくれる、贈り先が年配の夫婦であると言うと、店員「大きなバスタオルだと、干すとき重いし苦労かけるので、小ぶりのタオルがお勧めですよ」と、利益度外視の提案、好感もてます。マスクをされていたが、きっとキレイな人だろう。

ひとり駅前温泉へ、入浴料950円のところ300円の市の老人福祉助成金を充てて650円也。

昨年5月以来の横須賀の友人宅へ、長時間ドライブは久しぶり、途中、海老名SAで休憩はさみつつ横須賀到着。コーヒーとアイスクリームをいただき小憩後、ひとり周辺を散歩6,300歩。

その後、一番風呂をいただき、待望の飲食タイムへ。三崎マグロはじめ美味しい料理を頂きつつ、千葉と奥多摩の銘酒二升(ちょと盛ってます)をふたりで空ける。圧巻は、アグー豚とシブイ(冬瓜)のお椀のうまかったこと、さすが黒島料理に精通したO野夫妻の心尽くしの歓待に感謝の夜でした。

翌朝、O野邸で目覚め、ひとり散歩、シャワー後、朝食をいただく。これまた一流ホテル並みのメニューだ。パン、トマトジュース、生野菜、ハム、手づくりヨーグルト、季節の果物(名前失念)コーヒー(2杯)。

O野夫妻と昨夜来おしゃべり尽きることなし。黒島みやき荘、キヨおばー、M廣くんとの交流はじめ、西表の民宿主人・H田氏との付き合い、竹富、石垣、多良間島、池間島での旅の話題豊富だ。

帰路、渋滞あり2時間かけて海老名SA到着、途中、尿意しきり我慢、やはりコーヒー2杯は利尿作用が著しい(笑) たっぷり1時間の昼食休憩後、圏央道の渋滞もいくつかあって2時間後、無事拙宅へ到着。

自宅風呂場の黒カビ?がひどかったので、一夜、漂白剤で浸けておいたのが見事キレイになっており、それを洗い流して入浴。 O野夫妻へ感謝のメール、T子さんへ無事帰宅のLINE、横須賀プチ旅行の終了となりました。感謝。

大谷翔平選手、ドジャース対レイズ戦を録画観戦、早送りして大谷の打席をワクワクしながら見るいつもパターン。内野安打、盗塁40もしっかりワクワク目撃。そして、大詰めの9回裏、2死満塁、大谷の打席、たぶん実映像より10分遅れだろう、するとLINEの呼び出し音につられスマホをのぞくと、学生寮の先輩O濱氏「大谷、満塁サヨナラホームラン、40-40達成」の文字が。まったく余計なことを!

それでも、結果知りつつもビデオ映像を確認、バンザーイ! 先輩へは「祝おめでとうございます。今日からの禁酒とりやめて祝杯あげよう」と返信(笑)

哲日記,,美術館,食事

●6月30日(日)

起床後、ホテル隣の大浴場で朝風呂、朝食はビュッフェなので野菜サラダを多めにとる。

チェックアウトし、受付嬢にタクシーを依頼する、「15分かかります」と云われたが5分でタクシー来る。昨日は徒歩で45分かかり往生したが、運転手さんへ「きのうは駅からホテルまで、暑いなか歩いてきてしんどかったです」と愚痴をこぼすぼく。

運転手「イベントが近くであって、駅近くのホテルは満杯のようですね」

ぼく「東京ではタクシー運転手不足が深刻で、ひとり紹介すると30万円もらえるところもあるようです」

運転手「こちらでは、5年継続勤務の条件で100万円事前支給、運転手確保に必死です」

そして、駅到着と同時にメーター100円あがって1600円也。ちょっと手前で止まって欲しかった(笑)

新幹線自由席で上田駅へ。ローカル上田電鉄別所線で下之郷駅下車、シャトルバスにて無言館へ。

6月9日の本ブログで記したように、いちどは訪れてみたいと思っていたところ。戦争で犠牲になった無名の画学生の絵を全国から収集し、追悼の意を込めて数多く展示されていた。20代から30代はじめの将来花開くであろう、豊かな才能がとん挫する哀れさに粛然とする。

上田駅に戻り、徒歩で池波正太郎真田太平記館へ、400円の入館料、池波ファンとしては「鬼平犯科帳」はじめ幾つかの池波本とエッセイを愛読してきたが、「真田太平記」は未読であったので、これから読んでみようと思う。 その後、上田城にまわり駅へ。

ずいぶん歩いたので昼食、駅構内にある本格的蕎麦屋で、濃厚ゴマ胡桃割りつけ麺、冷酒半合と美味しく食す。すると、隣の中年男がバーン!とテーブルを叩いて出ていった。どうも、注文取りで待たされたようで、皆さんストレスが溜まっているようだ。

さて、新幹線あさまにて一路東京へ、座席で冷酒を1杯やりつつ文庫本の読書は至福なひととき、軽井沢を通過後、車掌がぼくへ「席を移りましたか?」と声掛け、「いいえ」とチケットをみせると、あっ!座席がひとつ違った、やらかした、と隣席と前席の方々へお詫びしつつ移動。やはり、昼酒はいけませんなと反省。

東京駅から最終指定6回目を使って、特急かいじにて拙宅へ。特急指定なので飲食可につき、やむをえず(笑)夕食代わりに小さな赤ワインとお握りを食す。新幹線の失敗・反省早くも破れたり。

自宅のある駅着、まだ駅前スーパー開いていたので、旅の締めくくりのお供に地酒小瓶を求め帰宅、シャワー浴びて、チビチビやりながら哲日記を立ち上げると、見事な巻頭写真が目にも鮮やかに飛び込んできたのであった。歩数:13,159歩。【おわり】