哲日記,断酒,読書

将棋:棋王戦 藤井聡太vs渡辺明 藤井竜王敗れ2勝1敗となる。ABEMAテレビで終盤戦にくぎ付け、あっという間に2,3時間たつ。藤井聡太、敗れる直前の身もだえる姿にびっくりした。そんなに口惜しんだ、偉い!

二中同級生のガールフレンドYさんからメール届く。先日の飲み会欠席を案じてのこと。「腰の具合どうですか?」と。幹事役のSR嬢へは「右手首が痛風のため激しく痛む」と伝えたにもかかわらず、どういうわけか「腰」と伝わったのでしょう。まぁ、お互い古希だから仕方なし。「お見舞いメールありがとう」と返信した。

携帯に見知らぬ番号(08005006612) AIによる世論調査という。住まいの郵便番号、岸田内閣の可否、支持政党、年齢世代、男女、等を訊かれるシステム。初体験なのでまじめに回答した。

2月中旬に亡くなられたKHさん遺族から香典返し(月餅のお菓子)届く。礼状のはがき、投函する。

前略ごめんください。この度の香典返し拝受いたしました。H子先輩の葬儀等まだ日も浅く、ご多忙の中での過分なお心遣いに恐縮しております。お通夜、出棺の儀等への参列お許しいただきましたこと感謝申しあげます。

これまでH子姉様には、多大なご指導ご支援をいただきながら、その恩返しもままならないうちに旅立たれたこと、残念至極です。あらためて故人のご冥福と、皆さまの心の平安の早からんことを祈ります。合掌

3月1日~5日、連続禁酒。入浴後、ベッドにて読書しつつ就寝。

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痛風発作が右手首関節に生じてほぼ5日。あまりの痛さに、日頃の不摂生をつよく反省。3月1日から禁酒つづく。むろん今夕も禁酒だ。きょうは、二中同級生2名のガールフレンドから夕食のお誘いあり。痛風のため断念。昨夜遅くには還暦のY夫妻および80歳目前のKさんから、ひな祭りを祝う飲み会をしようとのLINEあり。これも丁重にお断りした。よしよし。

禁酒と痛みでベッドに入っても、眠りにつけない。2時間ほど読書するも寝付けない。トイレに行ってさらに読書。頭脳はクリアのようだ。読書はかどる。城山三郎、沢木耕太郎、面白いね。城山が吉村昭との対談のなかで「夏目漱石のよさがわからない」と述べていて、びっくりした。そしてわが意を得たりと思った。若い頃、漱石の小説を読むも完読したことはなかった。そして、自分のあたまが悪いと思っていた。が、天下の城山三郎の漱石評にふれて少しは安堵した。

ちょっと前に出版された漱石伝記をあつかった伊集院静著「ミチクサ先生」上下二巻は、あっという間に読了。面白い読書は楽しい。 午後より出勤。

◆3月2日(木)

 午後から出勤。旧知のT社会保険労務士が組合へ来訪、懇談。 痛風改善せず。もちろん禁酒。

テレビ:NHKクローズアップ現代「急増・心不全・がんに次ぐ死の病気」を観る。ぼくも寒い時に急ぎ足で駅に出向くときなど、胸に違和感、痛み等を感ずる場合がままある。医療の現場では、心不全パンデミックという厳しい状況にあるという。

◆3月1日(水)

 痛風痛み続く。気晴らしに駅前温泉(銭湯か)へでむく。痛風発症部分を温めすぎのせいか、痛みひどくなる。

 きょうから禁酒。 テレビ:Eテレ。100分で名著「いのちの初夜」北條民雄著、最終回。ハンセン病患者の北條、作家としての才能が惜しまれつつ早世。親族が遺骨の引き取りをこばむなか、鎌倉から東京の療養所にでむいた川端康成は、北條のご遺体にむきあったという。

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朝8時起床。右手首の関節が痛む。ここのところの深酒がたたったせいか、痛風の症状だ。昨年は、左肘の痛みに悩まされた。左、右と共産党から自民党にくら替えしたつもりか、反省なり。

石垣島の友よりメール。TC先生の新聞投稿の添付付きで。母校・八重山高校行進曲のエピソードがおもしろかった。

メールには、古希の同級生ふたりがスナックをはしごして午前3時まで飲んだ、との記述も。ぼくから「A三くん 元気でなによりだ。老人ふたり組が午前様とは、驚異だ。」と返信。

東京で親しくお付き合いしているIN先輩より電話。「妻と帰省中だが、あんた、黒島牛まつり来なかったかい」 ぼくが、友人の通夜のため那覇へ行ったばかりと答えると「僕らの年代、いろいろ欠ける人がでてくるね。会える時に会いましょう。飲み会、セット頼みますよ」と。

二中同級生のSR嬢からメール。先延ばしにあった沖縄八重山料理での会食の件。これでは痛風と縁が切れないはずだ。

◆2月27日(月)

 午後出勤まえに図書館へ。沢木耕太郎『馬車は走る』を借りる。石原慎太郎が美濃部知事に挑戦した、東京都知事選のルポ記事「シジフォスの四十日」を読んだ。沢木は記す。「なぜ負けたか。理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」と。それを裏付けるエピソードがおもしろい。それにつけても沢木が20代半ばの文章である。文才あふれる作家だ。

前夜、A居酒屋で飲んだ時、100円勘定足りず。店主は結構ですよと言ってくれたが、返金を口実に同店に出向いて飲食。

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2月16日(木)

午前、沖縄のKHさんから訃報届く。かつての仕事上の仲間であり先輩のKH嬢が亡くなったとのこと。享年77歳。出会いは45年前、ともに激烈な選挙戦に取り組み勝利の美酒をあじあうこと7回、落選の悲しみを共有すること1回、その後、お互い仕事も変わり那覇と東京ではめったに会えなくなったが、生涯の友(ぼくが勝手に思っていたが)として、お付き合いをいただいていた。

東京の拙宅から羽田空港へ向かい、午後3時発のJAL便へ飛び乗り那覇のD寺のお通夜にかけつけた。連絡をくれたKHさん、SSさん、OY元委員長が待っていてくれた。闘病生活からの解放であろうか、KHさんのお顔は安らかであった。ご冥福を祈り焼香させていただいた。

那覇市前島のホテルに投宿。コンビニで買った缶ビールでひとり献杯した。

2月17日(金)

午前、散歩。福州園、対馬丸記念館へ入館し見学した。戦時中、大勢の子供たちが疎開する途中で米国の潜水艦の魚雷により沈没し犠牲となった。友の死の悲しみのなかで、胸つぶれる思いが倍加した。

午後、KHさんの出棺の儀に参列し、最後の別れとなった。叔父さんのひとりから、「H子はいちばんできぃやー(頭が良い)であった。村いちばん足が速く200mの記録をつくった」と、細身の彼女から想像できないエピソードをうかがった。参列者の数が少ないのは、「彼女の遺言、新聞広告も禁じていた」とのことであった。ぼくが東京から来たことも想定外のようで、過分の感謝を述べられ恐縮した。

夕方、JNK堂の書店をのぞく。沖縄関連コーナーにあった上間陽子著『海をあげる』を購入。50歳の大学教授の文章があまりにも柔らかく、かつ内容が豊かで刺激的でおもしろく東京に戻る間に読み終えた。

安い居酒屋でひとり夕食。ニンジンしりしり、ゴーヤチャンプルを注文し、量の多さと同じ炒め系なので辟易した。お代は県クーポンを使って間に合った。

2月18日(土)

首里城を見学。焼失後、再建途上なので周りの石垣のつくり、高台なので見晴らし等を楽しんだ。つぎに、県立博物館・美術館へ出向く。何と美術館の入場料は、県内外問わず老人は無料とのこと。迷わず美術館へ入館。鑑賞。

いったんホテルに戻りシャワー。夕方からは、甥のK、従弟妹のOA、AJ、SNとその子たち7名と会食。現役時代に積み立てておいたJAL旅行券がなかなか使う機会がなかったので、同ホテルのレストランでの食事代に充当。いとこ達のほとんどが30年以上会っていないので、懐かしく楽しいひと時を過ごす。

従妹のAJは大きな病院の看護師長をつとめ、定年後は同病院で看護師として再雇用の身。ぼくが那覇に来た用件を話すと、亡くなったKHさんは私が担当した患者さんだという。まったくの偶然の一致なり。「KHさんは、凛とした立派な患者さん。助けることができなくて残念です」と言ってくれた。

2月19日(日)

午前、新県立図書館へ行った。与儀にあった古い図書館が、旭橋駅と近接する見事な図書館へと変貌していた。沖縄関連図書コーナーはほんとに充実している。菊池寛賞に輝いた『竹富方言辞典』は、その分厚さで他を圧倒するがごとく陳列。當山善堂著『精選八重山古典民謡集(CD付)1〜4巻』や、沖縄出身の作家コーナーもあり1日居ても飽きないこと請け合いだ。

遅いブランチをとろうと国際通りを散策。歩行者天国となっていて、子どもたちの駅伝大会がありぼくも手をたたいて応援。泡盛の名店があったので、友への土産を購入して発送してもらう。公設市場そばの八重山そば屋でようやく食事。いえ、生ビール、麩チャンプル、八重山泡盛のおもと、と昼飯とは名ばかりの昼飲みとあいなった次第。再びぶらぶら散歩。近くには、1961年若くして亡くなった母の実家もあるが、どうも敷居が高くましてや昼飲み後に尋ねるわけにもいくまい。

そして、いよいよ今回の旅の最後の晩餐だ。安里駅前の郷土料理・ヒージャ屋(山羊料理)へ日が暮れて出向く。実に4年ぶりだ。店に入るとどうも女主人の機嫌が悪い。カウンターには、空の財布と貯金通帳が飲み残しのグラスと一緒に放置されてある。どうも酩酊した客が隣の人に絡みだしたので「もうお帰りください」と促すと、怒って「金がない」といって飛び出して行ったそうな。

ぼくが「ママさん若返りましたね、コロナで大変だったでしょう」というと、「アンタ、うち分かるね」と言いつつも、山羊刺し、チイリチー、山羊汁と素早く出してくれて、「だー、ビールちょうだい」とおねだり。どうやら機嫌もなおり、つつがなく山羊料理と泡盛の最後の晩餐をおえた。

2月20日(月)

午後便で帰京。羽田空港からモノレールで東京駅へ。たまたま発車直前の特急八王子に飛び乗った。案の定、車内で購入する特急券は、事前にスマホでチケットレスで買うより400円弱高かった! 行きつけの居酒屋で旅の疲れをとり、あらためて友人KHさんのご冥福を祈りつつ自宅で就寝。合掌。

哲日記,断酒,読書,黒島

5時45分起床、気温2度。読書、二度寝、8:15再起床。

『与那国沖 死の漂流』伊良皆高吉著 南山舎2023年1月発行。1957年1月、与那国沖12マイル付近で、石垣ー与那国航路の貨客船が沈没。乗員乗客28名が遭難漂流し、台湾の軍艦に12名が救助され、16名が死亡・行方不明となる大惨事である。当時、二十歳の著者が死の恐怖と闘いながら懸命に生き抜こうとする凄絶なドキュメントだ。

黒島に生まれたぼくも、幾度となく黒島ー石垣間の船に乗って、荒天時の船の上下・左右の激しい揺れを体験しているだけに、実感をもって読んだ。海面から船が浮き上がり、直後海面に叩きつけるように落下し、船底も割れんばかりの音と振動はクワバラクワバラの心境になること必至だ。

かつて娘がうまれてまもなく、北海道出身の妻とともに黒島へ。石垣へ戻るとき、荒れた海を前に見送りにきた友人が「この荒れ方は尋常でない」と妻を脅したことがあった。海とは縁遠い心配した妻から大丈夫?見合わせたらと言うも、ぼくは聞く耳持たず、この船逃すと東京へ戻れんぞ、と却下。この優しくない対応が、のちの離婚につながった原因のひとつであったかもしれない。

昨日は、藤井聡太ー羽生善治の王将戦第4局。持ち時間8時間二日制の対局、朝9時、前日の藤井聡太の封じ手が開封される。大方の予想は銀を動かす、ぼくのは王を動かす、結果ぼくの予想が的中した。あの藤井5冠と素人のぼくの予想が当たった。良い気分だ。雪降る中、駅前屋上の露天風呂につかりながらも王将戦の結果が気になる。そして、風呂上がりの休憩室でスマホで確認すると、藤井敗れたり! 夕食は、3日続いた禁酒も破れたり。

哲日記,断酒,食事

7時過ぎ起床。零下2度。

昨日、二中当時のガールフレンドから電話。MN駅近くで、親せきの子が沖縄・八重山料理店を開店したので、行きませんか?との案内。4~5名でミニ同窓会となるようだ。

昨日、60代のガール?フレンドから、O市駅のおでん屋で夕食いかがとのお誘い。焼き鳥、おでん、地酒の熱燗と満足の夕食となった。静岡名産のみかんを彼女からお土産にいただくも、店の支払いはぼく。いつぞやの昼食は彼女の奢りだったので、いたしかたない(笑)

自宅にもどる途中、フランス人の知人とばったり。そして近くの洋酒バーでともに一献。彼は母国から両親を日本観光にまねくなど、なかなかの親孝行者だ。いつぞや、両親と彼がワイン食堂で夕食中、ぼくがグラスワインを彼に差し入れると、母親がしぶい表情。息子の酒飲みを案じてのことだという。いずこの母親も同じなんだ。

2023年2月8日哲日記,断酒

朝7時起床 マイナス2度。

午後から出勤。夕方、新春旗開き。O委員長より、皆さんへ過分の紹介をいただく。古希の老人が皆さんのお役にたてるかどうか、老骨に鞭打って頑張る旨、大仰な挨拶に自ら恥じ入る。

帰途、小雪舞う、行きつけの居酒屋でひとり二次会。これがいけないだよな。

JT社よりツアー中止のメール届く「博物館・美術館めぐりとミュージカル観賞 アメリカ東海岸3都市周遊 6日間のご旅行ですが、ご予約の人数が最少催行人員に達しなかった為、催行中止とさせていただきました」

楽しみにしていた美術館巡り(ナショナルギャラリー、フィラデルフィア美術館、メトロポリタン)できず残念。いつぞやも名古屋、横浜、大阪の美術館で休館もしくは改築中のうきめにあった。絵心のなさが露呈してしまったのである。

哲日記,断酒,読書

朝7時起床。外気温マイナス6度。朝食。

午前、理髪店へ。おおむね25分程度でシルバー料金1,700円。現役時代は90分、4,000円の理髪店にお世話になっていたが、現在は料金の安さと時間の短さが気に入っている。

今日は午後から出勤。その前にFS駅前のカレー屋にてポークカレー(591円)を食す。久しぶりの外食はなかなか旨いね。

仕事を終え、帰りは図書館へ立ち寄り、新聞、週刊誌等を拾い読み。きょう発売の週刊文春、新潮も閲覧できる。最古の歴史がある週刊朝日の休刊(実質廃刊)が発表されたので、名残惜しく手にとる。文春・新潮は、いつも誰かが読んでいるが、朝日はその気になればいつでも読める。最盛期100万からひと桁台まで発行部数が激減しているのもむべなるかな、だな。

きょうは仕事をしたので、一杯やるべと行きつけの居酒屋Aをのぞくも休業。定休日外にもかかわらずだ。しかたなく、赤ワイン1本(437円)を買って自宅にて節酒飲み。1本飲み干すなく、半分強残す。

哲日記,断酒,黒島

年賀状の返信届く。横浜の朗らか美人のUM姉さん。「年賀状ありがとう。哲ちゃんが古希なんて???千代先生がびっくりしているでしょう。すぐ折れる断酒なんてナンセンス。酒は百薬の長というから上手につき合えばいいと思うよ。まだ就職できるなんて幸せですね。健康第一でお励みなさいね」 千代先生とはぼくの亡母のこと。黒島校での教え子なんですね。 断酒ナンセンス! いいですね。慈母のようなUMさんに言われると「節酒」くらいにしとくかなぁ(笑) 

那覇のMIさん。「昨秋ガンの大手術した。11月にはコロナ感染」 大変でしたね。最近はガンのこと、カミングアウトなんて気張ることなく普通に公表するんだ。くれぐれもお大事にしてください。

黒島の同級生のMAくん。「毎年の如く早々の年賀状ありがとう」とそっけない添え書き。ぼくより2歳年長の那覇のNM姉さんからは「11月石垣島での生年祝いに参加し、久しぶりに黒島にも足を延ばしてMA君にも会えました。彼も千葉と黒島の往復でたいへんなようです」との添え書き。千葉=神奈川の誤りと思うが、黒島の母親の介護と牛飼いのための単身赴任なので、本当に大変なことだ。頭がさがります。

警視庁SP・OBのSさん、「裁判所の強制執行立会人をやってます。やりがいのある仕事です」との添え書き。皆それぞれの立場でがんばってますね。

大分のKJ先輩。「賀状ありがとう。ブログを読ませていただきました。ブログもいいね。遠くなっていた哲ちゃんが近くにいるように感じられました。今年もよろしく」 年賀状終いをしているにもかかわらず、こちらが一方的に年賀状を送っていることにメールでわざわざ返信。感謝です。

哲日記,断酒

早朝4時半、左肘の痛みで目を覚ます。2日程前からうずいていたが、いよいよ本格的な痛みとなった。痛風の症状だ。昨年10月、断酒が頓挫して以降の酒量がかさばったせいに違いない。その前は左膝の痛みであった。初期のころは足の親指付け根あたりが痛かった。さぁどうする? 症状が上に移行して、ついには腎臓あたりに尿酸のカスが溜まって痛風の症状を発するようになると、怖いことになるかもしれない。飲酒を反省し、禁酒・断酒の徹底をはかる他ないのである。

1月5日㈭晴

新年初出勤だ。向こう一年、真摯に取り組んでいきたいね。

ネット銀行にて、日本最南端の月刊誌『やいま』の年間購読料(6,500円)振り込む。この雑誌は、八重山の文藝春秋とも言われ、総合誌の魅力たっぷりである。ときにはフランス、イタリアからも寄稿文がとどき、芥川賞候補作家の掌編小説が連載される。観光情報はもとより、歴史・文化・政治・経済・人物等にくわえ街ネタも豊富、グラビア、表紙装丁もちろん圧巻のつくりだ。