哲日記,映画鑑賞,読書,食事

◆3月14日(火)快晴

6時30分起床。 朝食。痛風薬1錠。洗濯と布団干し。 羽鳥慎一モーニングショー 昨日の国会で、高市早苗大臣「私、羽鳥アナ大好き」の答弁について、羽鳥アナ、無視か?コメントなし。

映画:「ライフ・イズ・ビューティフル」1997年イタリア映画。アカデミー賞:外国部門賞、主演男優賞、音楽賞。テーマは、大戦時のナチスによるユダヤ人に対するひどい仕打ちをえがく。が、けっして暗くなく、コメディタッチで全編を通して楽しめた。が、やはりクライマックスでは涙、涙、涙。感動をありがとう。

昼食(冷凍うどん+残り味噌汁+卵、野菜サラダ) 昼寝。 散歩。 図書館へ。文芸春秋4月号、連載「記者は天国に行けない」(清武英利)を読む。日本農業新聞の記者が次々退社する件で、JAの闇を取り上げ紙面化するにも限界があることを指摘。権力は腐敗する、大組織も同様に腐敗する、ことを改めて認識させられた。

夕食を準備、食べながら映画:「男はつらいよ・寅次郎の休日」第43作、1990年12月 マドンナ:後藤久美子、夏木マリ。及川泉が別れた父(寺田聡)を訪ねて名古屋から上京するも会えず、寅屋へ。満男が泉に付き添って父を探しあてたのが大分県日田。製材工として薬剤師の恋人と幸せに暮らす父へ「別れてください」と言えず傷心の泉を励ます満男。節目節目に登場する寅さん、存在感たっぷりのなかにも元気の無さが気になった。最終作1995年12月まで先だが・・・

シャワー、就寝。きょうも禁酒。

◆3月15日(水)晴

6時起床。痛風痛みほぼなくなる。およそ15日間、悩まされてきた。右手関節の痛みのみでいかに日常生活が不自由か、身に染みて感じた。食事に加え節酒・禁酒など生活改善が必須条件だと思う。反省。

午後、車の窓ふき、その後、駅前温泉へ。780円。

自宅にて夕食。 テレビ:相棒最終回。 就寝。

◆3月16日(木)曇

6:30起床。暖かいので起きるのが楽ちんだ。

7:00那覇から電話あり。むかしの仕事仲間のOM嬢からで、組合OB元委員長のKM氏訃報である。大変お世話になった方、心よりご冥福を祈ります。

洗濯機の内部掃除、といっても洗剤を入れてほったらかしおくだけ。

きょうは、WBCの準々決勝。イタリア戦で大谷二刀流の活躍に期待。朝のテレビもそれ一色。

図書館よりメール。予約本の準備ができたとのこと。柴田錬三郎著『剣は知っていた』上下を借りる。時代物は池波正太郎しか読んだことがないが、さきの沢木耕太郎『作家との遭遇』で、沢木が若いころ『剣は知っていた』を何度も読み返したというので興味を持ったしだい。

WBC準々決勝、イタリア戦に勝利。

きょうは、石垣島に陸上自衛隊駐屯地が開設。ミサイル部隊600名弱。浮沈軍艦の出現に慄然たる思いしきり。ええ加減にせんかい!

◆3月17日(金)曇

6:30起床。朝食。 9時、前職場のOB・つばさ会で畑仕事。じゃがいの植え付け、草むしり。お弁当の差し入れあり。

午後、勤務。その後、図書館。帰宅、入浴、夕食(畑仕事でもらったネギ、野ラボを食す。取り立てはうまいね)。K団地のHSさん、お金を貸してくれとの電話。困った人だね。年よりの無駄遣いはいけませんねと説教し、1万円なら2,3日内に届けるとした。

◆3月18日(土)雨

7時起床。朝食。味噌汁(昨夜の残りに卵入り)酢キャベツ、ブロッコリー、シリアル、バナナ、牛乳、リンゴ、ヨーグルト。 

昼食。朝の味噌汁に卵、冷凍ほうれん草、冷凍ご飯をチーン。トマト、コーヒー、キウイ。ここで痛風薬1錠=朝服用忘れ。

午後雨小ぶり、車にてHSさんへオアシを届ける。

夕方、図書館へ、柴田錬三郎著『剣は知っていた』上下を返却。窓口にて、「2日ほど前に借りましたが、どうもページがほころびて読むのに苦労して困ってます。いちど返却します」と。相手の女性職員さんも「ほんとに古い本で申し訳ありません」と受け取ってくれた。

夕食とりつつ、甲子園選抜、沖縄尚学ー大垣日大を観戦。沖縄のなんと4番バッターの満塁ホームランが飛び出して4-3で辛くも勝利。 甥子H彰くんに長男誕生の朗報とどく。 入浴。 就寝。

哲日記,大谷翔平,断酒,読書,食事

6:00起床。顔のアレルギー症状和らぐ。昨日クリニックでもらった薬の効果あること実感。痛風発症の右手関節部はまだ痛みあり。およそ10日間も痛みに悩まされている。今朝からは、尿酸生成を抑える薬を服用開始。できるだけ薬を飲まない主義を通してきたが、ついに断念。毎日朝1錠のむことになる。

寝床で読書。『作家との遭遇』沢木耕太郎著、新潮文庫。 今日は月2回の資源回収日、牛乳紙パック、ペットボトル、缶、瓶等を出す。これからは缶、瓶は少なくなるであろう。何故?ビール、酒等を自宅で飲むのを控えるつもりなので。←ほんまかいな。

公園にて散歩、早くも河津桜は葉桜気味となっている。その後、書店、図書館めぐり、帰宅後、夕食をとりつつ、WBC vsチェコ戦を観る。日本勝利。宮城大弥投手のピッチング冴えわたる。先日、那覇でいとこ達との会食の際、従弟の息子が宮城選手とK高校でチームメイトだったそうな。今オフもふたりでドライブして、ランチはコンビニのおにぎりを車の中で食ったとのこと。「ホント、1億円プレーヤーにしてはケチ過ぎない?」とぼく。「いえ、車の外に出て宮城とわかると周りがキャキャ言って大変なんですよ」とSAくん。

今日と明日は、王将戦(藤井聡太ー羽生善治)の初日。 シャワー後、就寝。

◆3月10日(金)

6:30起床。顔を掻いていて目覚める。10日程前から湿疹できつつあった。アレルギー症状か。痛風の痛みもまだ収まらず。

午後から出勤前に、駅前のクリニックへ。この医院は必ず血圧検査を求められる。受付脇の自動検査機にて計測。上が147、高っ。電車にのり、階段をおり、そして2階の同医院へ、当然血圧があがるはずだ。すこし落ち着いて今度は看護師が器具を使って測ってくれた。127、正常なり。医師の問診、血液検査、薬の処方箋をもらって近くの薬局へ。

近くのファミレスで昼食。チキンの定食とドリンク。店内は、ほぼ女性客でママ友か。 勤務後、夕食をとりながらWBC韓国戦。前半、ダルビュシュ投手が打たれたので心配するも、大谷はじめ打撃陣の頑張りで逆転し、大差で勝利。

入浴後、就寝。10日連続禁酒。

哲日記,読書

実は、9時30分まで寝てました。ぐっすり。その要因は昨日、駅前温泉にじっくり浸かったせいかも。急いで、ゴミ出し(プラスチック等)。

午後から出勤。痛風の痛みつづくので、やむを得ず痛み止め(ロキソプロフェン錠)1錠のむ。

いよいよWBC開幕。中国戦、大谷翔平選手、二刀流で活躍。日本勝利。 入浴。 痛み止め(ジェネリック)1服用。就寝。

◆3月8日(水)

寒さ和らぎ布団から抜け出すのも容易だ。でも寝転がったまま読書。『老楽力』そのなかで、安倍晋三の祖父・岸信介が唱えた老人訓が紹介されている。「ころぶな・カゼひくな・義理を欠け」 悪名高い統一教会が日本布教のうえで有力な支援者となった岸信介。まったく評価に値しない人物であるが、この老人訓は、良いのではと思う。

とりわけ「義理を欠け」は、古希を過ぎた身には歓迎だ。冠婚葬祭、飲み会、お年玉、お見舞い等々、オアシは出ていくばかりだ。義理を欠けば、これらの出費は抑えられるはずだ。我ながらケチくさい話でもあるがね。 著者の外山滋比古も、岸三原則を至言と評価していたが、後年は一転してナイナイ尽くしはダメ、消極的だという。

その後、リズ女史の唱える三原則、いわく「招待を受けたら断るな・どんどん人を招いてご馳走せよ・恋をせよ」へ宗旨変え。 リズ自身、H-バード大学時代のボーイフレンド、仕事引退後、ばったり出会い大恋愛の末結婚したそうな。著者が老いらくの恋をしたかは記してないが、さまざまな会合に積極的に参加し充実した日々を過ごしたようだ。老後は「義理を欠け」否「積極的に打って出よ」、結局は「お金」しだいかな。

将棋のA級順位戦。藤井聡太、勝利して4月からの名人戦への挑戦となる。獲得すると、これまた最年少記録となる。

2023年3月9日テレビ,哲日記,読書

暖かい朝を迎える。右手首の関節、痛みつづく。痛み止めはここ3日ほど服用せず。が、スマホ、パソコンのマウス扱いは右手なので痛みをこらえつつ行っているありさま。こんごの痛風治療、本格的に取り組んでみようかな。

確定申告をする。どういうわけかパソコンでうまくいかず、画面が小さいスマホで行う羽目に。昨年は給与収入無、年金のみであるが試算結果は、追加1万円余りの納税となる。寄付金控除では、ふるさと納税は行わず、アフガン、ウクライナ難民支援のための国連〇〇協会へのみ。母校学校図書館へのカンパは匿名を自ら希望しているので証明書をもらえるわけもなし、そういう意図もなし。泉明石市長が怒る国民負担率50%弱の酷税感を実感す。

夕食をとりながらWBC強化試合、vsオリックス戦をプライムビデオで観る。地上波ではやっておらず、amazonプライムに加入すると、そのような番組を観ることができるんだね。500円/月なので解約しようと思っていたが、まぁ、飲酒代を減らせばよかろう。

入浴せず、床につく。12:00pm。2:30am目を覚ますも寝つき悪い。やはりお風呂にしっかりつかることは、よき睡眠の上でも必須と思う。しかたなしに読書 外山滋比古著「老楽力」2006年発行展望社。老後の過ごし方のノウハウならず応援歌?良かったのは文字の大きさ、行間の広さ、1行あたり文字数の適正さ! 図書館で借りておいて、偉そうですみません。

哲日記,読書

6:00起床。外気温6度。暖かくなってきた。ベッドで寝たまま腕を出して本を読むも、寒さ支障なし。

読了:沢木耕太郎著『馬車走る』1986年6月発行、文藝春秋。1975年から85年にかけて各雑誌で発表した、人物に関するルポルタージュだ。優れたというより「面白い」という読み物である。囲碁の趙治勲、石原慎太郎、ミカドオーナーの山田泰吉、小椋佳、ヨットマンの多田雄幸、疑惑の銃弾の三浦和義、計6名のルポ。 三浦の場合は逮捕前の1週間、沢木が密着してインタビュー取材するなか、たくさんのマスコミがホテルや自宅へ押しかけ大変な騒動ぶりであったとの記述。

そういえば、ぼくも新婚当時、京王線上北沢駅から徒歩数分のところに6畳ひと間のアパートを借りていて、町並みがいいので散歩することがままあった。とある日の夕方、甲州街道から少し入ったところを歩いているとマスコミが多数。ワイドショー梨元勝レポーターの姿もあるなか、三浦本人がゴミ出しに出てくる場面に出くわしたことがあった。どうでもよい話ですまない。

午後から出勤。その後、図書館で新聞、週刊誌等を拾い読み。 帰宅して、食事をとりながら日本代表vs阪神戦をテレビ観戦。大谷翔平選手、すでにスリーランを放っていて、その後、さらに3点ホームラン。たいしたもんだ。本番WBCでも頑張ってほしい。 禁酒続く。入浴。就寝。

 

哲日記,断酒,読書

将棋:棋王戦 藤井聡太vs渡辺明 藤井竜王敗れ2勝1敗となる。ABEMAテレビで終盤戦にくぎ付け、あっという間に2,3時間たつ。藤井聡太、敗れる直前の身もだえる姿にびっくりした。そんなに口惜しんだ、偉い!

二中同級生のガールフレンドYさんからメール届く。先日の飲み会欠席を案じてのこと。「腰の具合どうですか?」と。幹事役のSR嬢へは「右手首が痛風のため激しく痛む」と伝えたにもかかわらず、どういうわけか「腰」と伝わったのでしょう。まぁ、お互い古希だから仕方なし。「お見舞いメールありがとう」と返信した。

携帯に見知らぬ番号(08005006612) AIによる世論調査という。住まいの郵便番号、岸田内閣の可否、支持政党、年齢世代、男女、等を訊かれるシステム。初体験なのでまじめに回答した。

2月中旬に亡くなられたKHさん遺族から香典返し(月餅のお菓子)届く。礼状のはがき、投函する。

前略ごめんください。この度の香典返し拝受いたしました。H子先輩の葬儀等まだ日も浅く、ご多忙の中での過分なお心遣いに恐縮しております。お通夜、出棺の儀等への参列お許しいただきましたこと感謝申しあげます。

これまでH子姉様には、多大なご指導ご支援をいただきながら、その恩返しもままならないうちに旅立たれたこと、残念至極です。あらためて故人のご冥福と、皆さまの心の平安の早からんことを祈ります。合掌

3月1日~5日、連続禁酒。入浴後、ベッドにて読書しつつ就寝。

テレビ,哲日記,断酒,読書

痛風発作が右手首関節に生じてほぼ5日。あまりの痛さに、日頃の不摂生をつよく反省。3月1日から禁酒つづく。むろん今夕も禁酒だ。きょうは、二中同級生2名のガールフレンドから夕食のお誘いあり。痛風のため断念。昨夜遅くには還暦のY夫妻および80歳目前のKさんから、ひな祭りを祝う飲み会をしようとのLINEあり。これも丁重にお断りした。よしよし。

禁酒と痛みでベッドに入っても、眠りにつけない。2時間ほど読書するも寝付けない。トイレに行ってさらに読書。頭脳はクリアのようだ。読書はかどる。城山三郎、沢木耕太郎、面白いね。城山が吉村昭との対談のなかで「夏目漱石のよさがわからない」と述べていて、びっくりした。そしてわが意を得たりと思った。若い頃、漱石の小説を読むも完読したことはなかった。そして、自分のあたまが悪いと思っていた。が、天下の城山三郎の漱石評にふれて少しは安堵した。

ちょっと前に出版された漱石伝記をあつかった伊集院静著「ミチクサ先生」上下二巻は、あっという間に読了。面白い読書は楽しい。 午後より出勤。

◆3月2日(木)

 午後から出勤。旧知のT社会保険労務士が組合へ来訪、懇談。 痛風改善せず。もちろん禁酒。

テレビ:NHKクローズアップ現代「急増・心不全・がんに次ぐ死の病気」を観る。ぼくも寒い時に急ぎ足で駅に出向くときなど、胸に違和感、痛み等を感ずる場合がままある。医療の現場では、心不全パンデミックという厳しい状況にあるという。

◆3月1日(水)

 痛風痛み続く。気晴らしに駅前温泉(銭湯か)へでむく。痛風発症部分を温めすぎのせいか、痛みひどくなる。

 きょうから禁酒。 テレビ:Eテレ。100分で名著「いのちの初夜」北條民雄著、最終回。ハンセン病患者の北條、作家としての才能が惜しまれつつ早世。親族が遺骨の引き取りをこばむなか、鎌倉から東京の療養所にでむいた川端康成は、北條のご遺体にむきあったという。

哲日記,断酒,読書,黒島

朝8時起床。右手首の関節が痛む。ここのところの深酒がたたったせいか、痛風の症状だ。昨年は、左肘の痛みに悩まされた。左、右と共産党から自民党にくら替えしたつもりか、反省なり。

石垣島の友よりメール。TC先生の新聞投稿の添付付きで。母校・八重山高校行進曲のエピソードがおもしろかった。

メールには、古希の同級生ふたりがスナックをはしごして午前3時まで飲んだ、との記述も。ぼくから「A三くん 元気でなによりだ。老人ふたり組が午前様とは、驚異だ。」と返信。

東京で親しくお付き合いしているIN先輩より電話。「妻と帰省中だが、あんた、黒島牛まつり来なかったかい」 ぼくが、友人の通夜のため那覇へ行ったばかりと答えると「僕らの年代、いろいろ欠ける人がでてくるね。会える時に会いましょう。飲み会、セット頼みますよ」と。

二中同級生のSR嬢からメール。先延ばしにあった沖縄八重山料理での会食の件。これでは痛風と縁が切れないはずだ。

◆2月27日(月)

 午後出勤まえに図書館へ。沢木耕太郎『馬車は走る』を借りる。石原慎太郎が美濃部知事に挑戦した、東京都知事選のルポ記事「シジフォスの四十日」を読んだ。沢木は記す。「なぜ負けたか。理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」と。それを裏付けるエピソードがおもしろい。それにつけても沢木が20代半ばの文章である。文才あふれる作家だ。

前夜、A居酒屋で飲んだ時、100円勘定足りず。店主は結構ですよと言ってくれたが、返金を口実に同店に出向いて飲食。

テレビ,哲日記,読書,食事,黒島

6:30起床。気温0℃。

将棋王将戦、藤井聡太vs羽生善治、2勝2敗の好勝負。ネットで棋譜を確認しつつ、テレビでサンデーモーニング、大阪マラソン中継、読書:城山三郎「よみがえる力は、どこに」、ブランチを作って食す。城山著書は講演録をまとめたもので、78歳で国鉄総裁に就任した石田禮助のエピソードが面白い。国会議員に対して「国鉄の現状は、諸君にも責任がある」と言い放ち、勲章を拒否し、「粗にして野だが卑ではない」と面目躍如ぶりだ。

きょうは黒島牛まつりだ。この前、食事会で一緒の従妹AJ親子は、牛まつりにお出かけのこと。1等賞は牛一頭だ。当たったらおすそ分け期待。AJさんは医療従事者。コロナでたいへんな苦労をしたことでしょう。大いにエンジョイしてほしいものだ。

◆2月25日(土)曇

 午後、久しぶりに公園へ。河津桜が7分咲きか。ウォーキング。帰路、MK薬局にて歯ブラシ、お風呂用洗剤、食料品等の買い物。手袋の片方を失くしたことに気づく。入店の際にポケットに入れたはずだが、右手袋のみ落とした。レジの方に訊くも届け出無しという。

入浴後、A居酒屋にて夕食とは名ばかりの酒飲み。先日、客がぼくのダウンジャンパーをまちがえて着て帰ってしまったところ、同ジャンパーが戻ってきたとのこと。焼き菓子のお詫びの品とともに。ユニクロで求めた古びたものを間違えるなんて、なんともいやはやなり。

◆2月24日(金)雨

 午後から出勤、2時間後、都心へ向かう。S元官房副長官が主宰する勉強会へ。財務省幹部から「令和5年度税制改正について」との講話あり。家計金融資産の半分、1,080兆円が現預金なのでそれをNISAの拡充によって投資にふりむけさせるべくとの説明。諸外国にくらべ日本国民の投資活用がはるかに低く、一人当たり国民所得を向上させたいとの狙いを強調するも果たしていかが。 それよりも国民負担率が50%(昭和の時代は20%)に達しようとする重税感、圧迫感を除去してほしいものだ。

★2月23日(木)

 天皇誕生日。テレビでは令和初の一般参賀の様子が流れている。午後から出勤。帰路図書館へ寄る。新聞、週刊誌等をななめ読み。週刊朝日の下山治連載コラムのなかで、沢木耕太郎の石原慎太郎論が面白い、との記述が目にとまる。そして、その論述が載っている本は絶版につき古本を求める方がよいとのご託宣。さっそくアマゾンで検索すると文庫本で4,000円なり。やむなく図書館で借りることにする。酒代は惜しむなく使うのに本代はケチる、嘆かわしい。

いつものA居酒屋で夕食兼飲酒。帰りに、自分の上着を探すもない、同系統のダウンが掛かっているのみ。先客が間違えたので。その昔のお嬢さんの服を着るわけにもいかず、上着無しで帰宅。熱燗が効いたのか寒さ不感症なり。

★2月22日(水)

 久しぶりの駅前温泉へ。ジャグジーでふくらはぎと腰を噴射してマッサージ。サウナと温泉浴と、熟睡に効果大なり。

哲日記,断酒,,読書,黒島

2月16日(木)

午前、沖縄のKHさんから訃報届く。かつての仕事上の仲間であり先輩のKH嬢が亡くなったとのこと。享年77歳。出会いは45年前、ともに激烈な選挙戦に取り組み勝利の美酒をあじあうこと7回、落選の悲しみを共有すること1回、その後、お互い仕事も変わり那覇と東京ではめったに会えなくなったが、生涯の友(ぼくが勝手に思っていたが)として、お付き合いをいただいていた。

東京の拙宅から羽田空港へ向かい、午後3時発のJAL便へ飛び乗り那覇のD寺のお通夜にかけつけた。連絡をくれたKHさん、SSさん、OY元委員長が待っていてくれた。闘病生活からの解放であろうか、KHさんのお顔は安らかであった。ご冥福を祈り焼香させていただいた。

那覇市前島のホテルに投宿。コンビニで買った缶ビールでひとり献杯した。

2月17日(金)

午前、散歩。福州園、対馬丸記念館へ入館し見学した。戦時中、大勢の子供たちが疎開する途中で米国の潜水艦の魚雷により沈没し犠牲となった。友の死の悲しみのなかで、胸つぶれる思いが倍加した。

午後、KHさんの出棺の儀に参列し、最後の別れとなった。叔父さんのひとりから、「H子はいちばんできぃやー(頭が良い)であった。村いちばん足が速く200mの記録をつくった」と、細身の彼女から想像できないエピソードをうかがった。参列者の数が少ないのは、「彼女の遺言、新聞広告も禁じていた」とのことであった。ぼくが東京から来たことも想定外のようで、過分の感謝を述べられ恐縮した。

夕方、JNK堂の書店をのぞく。沖縄関連コーナーにあった上間陽子著『海をあげる』を購入。50歳の大学教授の文章があまりにも柔らかく、かつ内容が豊かで刺激的でおもしろく東京に戻る間に読み終えた。

安い居酒屋でひとり夕食。ニンジンしりしり、ゴーヤチャンプルを注文し、量の多さと同じ炒め系なので辟易した。お代は県クーポンを使って間に合った。

2月18日(土)

首里城を見学。焼失後、再建途上なので周りの石垣のつくり、高台なので見晴らし等を楽しんだ。つぎに、県立博物館・美術館へ出向く。何と美術館の入場料は、県内外問わず老人は無料とのこと。迷わず美術館へ入館。鑑賞。

いったんホテルに戻りシャワー。夕方からは、甥のK、従弟妹のOA、AJ、SNとその子たち7名と会食。現役時代に積み立てておいたJAL旅行券がなかなか使う機会がなかったので、同ホテルのレストランでの食事代に充当。いとこ達のほとんどが30年以上会っていないので、懐かしく楽しいひと時を過ごす。

従妹のAJは大きな病院の看護師長をつとめ、定年後は同病院で看護師として再雇用の身。ぼくが那覇に来た用件を話すと、亡くなったKHさんは私が担当した患者さんだという。まったくの偶然の一致なり。「KHさんは、凛とした立派な患者さん。助けることができなくて残念です」と言ってくれた。

2月19日(日)

午前、新県立図書館へ行った。与儀にあった古い図書館が、旭橋駅と近接する見事な図書館へと変貌していた。沖縄関連図書コーナーはほんとに充実している。菊池寛賞に輝いた『竹富方言辞典』は、その分厚さで他を圧倒するがごとく陳列。當山善堂著『精選八重山古典民謡集(CD付)1〜4巻』や、沖縄出身の作家コーナーもあり1日居ても飽きないこと請け合いだ。

遅いブランチをとろうと国際通りを散策。歩行者天国となっていて、子どもたちの駅伝大会がありぼくも手をたたいて応援。泡盛の名店があったので、友への土産を購入して発送してもらう。公設市場そばの八重山そば屋でようやく食事。いえ、生ビール、麩チャンプル、八重山泡盛のおもと、と昼飯とは名ばかりの昼飲みとあいなった次第。再びぶらぶら散歩。近くには、1961年若くして亡くなった母の実家もあるが、どうも敷居が高くましてや昼飲み後に尋ねるわけにもいくまい。

そして、いよいよ今回の旅の最後の晩餐だ。安里駅前の郷土料理・ヒージャ屋(山羊料理)へ日が暮れて出向く。実に4年ぶりだ。店に入るとどうも女主人の機嫌が悪い。カウンターには、空の財布と貯金通帳が飲み残しのグラスと一緒に放置されてある。どうも酩酊した客が隣の人に絡みだしたので「もうお帰りください」と促すと、怒って「金がない」といって飛び出して行ったそうな。

ぼくが「ママさん若返りましたね、コロナで大変だったでしょう」というと、「アンタ、うち分かるね」と言いつつも、山羊刺し、チイリチー、山羊汁と素早く出してくれて、「だー、ビールちょうだい」とおねだり。どうやら機嫌もなおり、つつがなく山羊料理と泡盛の最後の晩餐をおえた。

2月20日(月)

午後便で帰京。羽田空港からモノレールで東京駅へ。たまたま発車直前の特急八王子に飛び乗った。案の定、車内で購入する特急券は、事前にスマホでチケットレスで買うより400円弱高かった! 行きつけの居酒屋で旅の疲れをとり、あらためて友人KHさんのご冥福を祈りつつ自宅で就寝。合掌。