哲日記,断酒,,読書,黒島

2月16日(木)

午前、沖縄のKHさんから訃報届く。かつての仕事上の仲間であり先輩のKH嬢が亡くなったとのこと。享年77歳。出会いは45年前、ともに激烈な選挙戦に取り組み勝利の美酒をあじあうこと7回、落選の悲しみを共有すること1回、その後、お互い仕事も変わり那覇と東京ではめったに会えなくなったが、生涯の友(ぼくが勝手に思っていたが)として、お付き合いをいただいていた。

東京の拙宅から羽田空港へ向かい、午後3時発のJAL便へ飛び乗り那覇のD寺のお通夜にかけつけた。連絡をくれたKHさん、SSさん、OY元委員長が待っていてくれた。闘病生活からの解放であろうか、KHさんのお顔は安らかであった。ご冥福を祈り焼香させていただいた。

那覇市前島のホテルに投宿。コンビニで買った缶ビールでひとり献杯した。

2月17日(金)

午前、散歩。福州園、対馬丸記念館へ入館し見学した。戦時中、大勢の子供たちが疎開する途中で米国の潜水艦の魚雷により沈没し犠牲となった。友の死の悲しみのなかで、胸つぶれる思いが倍加した。

午後、KHさんの出棺の儀に参列し、最後の別れとなった。叔父さんのひとりから、「H子はいちばんできぃやー(頭が良い)であった。村いちばん足が速く200mの記録をつくった」と、細身の彼女から想像できないエピソードをうかがった。参列者の数が少ないのは、「彼女の遺言、新聞広告も禁じていた」とのことであった。ぼくが東京から来たことも想定外のようで、過分の感謝を述べられ恐縮した。

夕方、JNK堂の書店をのぞく。沖縄関連コーナーにあった上間陽子著『海をあげる』を購入。50歳の大学教授の文章があまりにも柔らかく、かつ内容が豊かで刺激的でおもしろく東京に戻る間に読み終えた。

安い居酒屋でひとり夕食。ニンジンしりしり、ゴーヤチャンプルを注文し、量の多さと同じ炒め系なので辟易した。お代は県クーポンを使って間に合った。

2月18日(土)

首里城を見学。焼失後、再建途上なので周りの石垣のつくり、高台なので見晴らし等を楽しんだ。つぎに、県立博物館・美術館へ出向く。何と美術館の入場料は、県内外問わず老人は無料とのこと。迷わず美術館へ入館。鑑賞。

いったんホテルに戻りシャワー。夕方からは、甥のK、従弟妹のOA、AJ、SNとその子たち7名と会食。現役時代に積み立てておいたJAL旅行券がなかなか使う機会がなかったので、同ホテルのレストランでの食事代に充当。いとこ達のほとんどが30年以上会っていないので、懐かしく楽しいひと時を過ごす。

従妹のAJは大きな病院の看護師長をつとめ、定年後は同病院で看護師として再雇用の身。ぼくが那覇に来た用件を話すと、亡くなったKHさんは私が担当した患者さんだという。まったくの偶然の一致なり。「KHさんは、凛とした立派な患者さん。助けることができなくて残念です」と言ってくれた。

2月19日(日)

午前、新県立図書館へ行った。与儀にあった古い図書館が、旭橋駅と近接する見事な図書館へと変貌していた。沖縄関連図書コーナーはほんとに充実している。菊池寛賞に輝いた『竹富方言辞典』は、その分厚さで他を圧倒するがごとく陳列。當山善堂著『精選八重山古典民謡集(CD付)1〜4巻』や、沖縄出身の作家コーナーもあり1日居ても飽きないこと請け合いだ。

遅いブランチをとろうと国際通りを散策。歩行者天国となっていて、子どもたちの駅伝大会がありぼくも手をたたいて応援。泡盛の名店があったので、友への土産を購入して発送してもらう。公設市場そばの八重山そば屋でようやく食事。いえ、生ビール、麩チャンプル、八重山泡盛のおもと、と昼飯とは名ばかりの昼飲みとあいなった次第。再びぶらぶら散歩。近くには、1961年若くして亡くなった母の実家もあるが、どうも敷居が高くましてや昼飲み後に尋ねるわけにもいくまい。

そして、いよいよ今回の旅の最後の晩餐だ。安里駅前の郷土料理・ヒージャ屋(山羊料理)へ日が暮れて出向く。実に4年ぶりだ。店に入るとどうも女主人の機嫌が悪い。カウンターには、空の財布と貯金通帳が飲み残しのグラスと一緒に放置されてある。どうも酩酊した客が隣の人に絡みだしたので「もうお帰りください」と促すと、怒って「金がない」といって飛び出して行ったそうな。

ぼくが「ママさん若返りましたね、コロナで大変だったでしょう」というと、「アンタ、うち分かるね」と言いつつも、山羊刺し、チイリチー、山羊汁と素早く出してくれて、「だー、ビールちょうだい」とおねだり。どうやら機嫌もなおり、つつがなく山羊料理と泡盛の最後の晩餐をおえた。

2月20日(月)

午後便で帰京。羽田空港からモノレールで東京駅へ。たまたま発車直前の特急八王子に飛び乗った。案の定、車内で購入する特急券は、事前にスマホでチケットレスで買うより400円弱高かった! 行きつけの居酒屋で旅の疲れをとり、あらためて友人KHさんのご冥福を祈りつつ自宅で就寝。合掌。

哲日記,,食事

12月13-15日、函館へ出かけた。JTBのツアーに便乗して、ぼくたち黒島ふるさと会が長年お世話になったKU先生のお墓参りが目的のひとつである。初日と最終日は自由行動という名のほったらかしツアー。

13日(火) 昼過ぎのANA便にて函館へ。出迎えてくれたのは、先生の長女Sさん。事前に、先生のお墓の場所を教えて頂ければひとりでお参りしますので、と断っていたのだが・・・・・「いえ、自分たちもそのような機会でもないとなかなかお参りできないので。お寺の納骨堂なので身内の立ち合いも必要」とやさしく対応してくれるSさん。

本願寺の納骨堂にて、先生の御霊に合掌。これまでのご支援ご指導に厚く感謝。「立派なご仏壇ですね」とぼく。「母が求めてくれたものです。本人は遺灰を海に流してくれと言ってましたが」とSさん。「R子奥さまはお元気ですか」「父が亡くなって2,3年は家に引きこもりがちだった。いまは元気を取り戻して安心です」とSさん。

その後、F寿司にて夕食。10数年前も先生に連れてきてもらった寿司店。運転のため、お酒を飲めないSさんを横目に、生ビール、函館ではじめてできた地酒五稜を飲みつつ、刺身、寿司を堪能。図々しいにもほどがある自分に赤面。 Sさんには、空港の迎え、参拝の世話、夕食のご馳走まで、感謝感謝の極みです。

湯の川のホテルまで送っていただき投宿。拙宅は3kの大きさだが、ここの部屋はツインベッドと応接ソファーがあって、我が家よりはるかに広い。温泉につかり、小さなスマホ画面にてボクシング井上尚也の4大タイトル戦を観戦.井上の圧倒的強さに感動。

14日(水) バスにて大沼公園、五稜郭、函館山からの夜景、レンガ倉庫での買い物、花火見物等。

15日(木) 午後3時のANA便にて帰京する予定だが、午前便すべて降雪、強風のため欠航。そこで函館駅へ市電でむかい、搭乗便の欠航が12時頃発表されたので、新幹線にて帰京することにした。その発着駅である新函館北斗駅へローカル線で行こうと乗り込みドアがしまると、「この電車は新函館北斗駅へは寄りません」とのアナウンス。ドアが閉まって注意アナウンスするなんて、そんな馬鹿な! あわてて次駅の五稜郭駅から函館にもどり、再度、函館ライナーに乗り換えた次第。東京の拙宅にたどり着いたのは9時過ぎだ。 ツアー会社より「帰りの飛行機代相当分を返却する」というのがせめての救いか。

2022年11月17日哲日記,

11月9日(水)7時、東京発のぞみで名古屋へ。迎えのバスにて一路伊勢へ。伊勢神宮の外宮・内宮を参拝。出雲大社、明治神宮にくらべスケール感、神々しさは少々見劣りする感じでしょうか。というのも、2013年出雲に出かけ、60年ぶりの大遷宮により修造なった出雲大社を見学したことがある。「日本の過去の建築物でこれほど私を引きつけるものはなかった。恐らく日本建築美の最高の表現」(岡本太郎)をぼくも実感したことがあったからか。 その後、和歌山串本へ。

10日朝、バイキングの朝食は美味しかった。が、30分程度の食事時間なのであわただしかったのが不満。その後、バスにていくつかの世界遺産等を参拝見学した。800段以上の階段を上ったときは心臓パクパク。その後、メインの熊野古道歩きへ。1時間過ぎの山歩き。ガイドの説明のなかで、「むかしの人は、1日ひとりあたり4,5升のコメを食べて山歩きを行った」とか、「和歌山を行幸した昭和天皇へ、南方熊楠は粘菌標本を贈呈した。桐箱ではなくキャラメルの空き箱が熊楠らしい」とか、おもしろい話もあった。

10日(木)は、遅い時間の東京駅着であったので上野のカプセルホテルに投宿。翌日、東京都美術館で岡本太郎展示を観賞。その後、渋谷へ出て、高層ビルの展望室から都内のビル群、富士山をながめる。

夕方から、ロシア問題専門家の講演会へ。「プーチンの戦争論理」を聴く。世の中、プーチン悪人説一色だが、なるほど他の見方もあるのだな、という指摘を知ることとなった。が、ミサイル攻撃、砲撃等でウクライナ国民、国土のみが痛めつけられている現状には、怒りをこえて無力感を覚える。

かくして11月9~11日の旅を終え、拙宅へ無事帰宅した。

テレビ,哲日記,大谷翔平,

新日本風土記「熊野灘」、ちょうど旅行先と重なり興味深かった。/町山智浩のアメリカの今を知るTV「中間選挙結果」、トランプのフロリダ豪邸/アナザーストリーズ「松田優作、ブラックレインに刻んだ命」/チコちゃんに叱られる▽サケの驚異▽ポリフェノールとは/NHKスペシャル「メジャーリーガー大谷翔平 2022アメリカの新たな伝統」。この1年、大谷翔平選手の全試合を観たつもり。ピッチングの数々に加え、ヤンキースのコール投手から打ったスリーランが秀逸だった!/ETV特集 半藤一利「戦争」を説く/孤独のグルメ「ギリシャ有名料理」

哲日記,,食事

今日は東京にもどる日。4泊5日の旅であった。けっこう歩き詰めであったせいか、右足の指先に昨夜から痛みが発生。すわっ、痛風発症かとおもったが、定かでない。でも痛い。空港に向かうのにも支障を来すほどだ。そこで近くのコンビニで傘を買い、杖替わりにした。そして、空港モノレールへの乗り換え駅である千里中央でサンドラックが見つかり、痛み止め「ロキソニンSプレミアム」を買って服用。

空港につくと、最後の食いおさめにたこ焼きを食した。大阪5日目に初たこ焼きである。機内では、痛み止めのせいか薬も効いて普通にすごすことができた。無事羽田着。降りるとき、CAへ「ちょっと足を挫いてね」と話しかけると、「まぁ機内でですか?」とお尋ね。「いえ、昨日のこと、悪いことはできないね。杖替わりにコンビニで傘を買う羽目になった」、CA「雨降ってないのにと思ってました。どうぞお大事に」と・・・・・

学生寮時代の友人たちと、新宿S店で会食。HKさん、OIさん、NTさん、NT夫人、とぼく。5名。ぼくより2,3歳年長ですが、気心のしれた間柄なのでかれこれ50年弱の付き合いとなった。話題は、西部暹、三島由紀夫、寮の偉人達、ドイツの子育て制度、政治と統一教会、石敢當、与那国島、惠子さんを会に誘うことなど、談論風発。

皆さん、酒豪につきぐいぐいとグラスを空け続ける。ぼくは、ひたすらウーロン茶を4杯でお付き合いに終始した。皆さんには、禁酒・断酒中であることは伏せて痛風発作を理由にした。かくして断酒は守られた。およそ3時間過ぎの呑み会、次回会合の早からんことを約して散会。帰宅後、寒かったので湯に入り就寝。

哲日記,,落語,食事

今日は雨、はじめてホテルで朝食を摂った(1,800円)。結構な代金だけあって品数も豊富ながら、納豆が無いのが不満であった。窓辺の柱に隠れるように、とてもスマートいえやせぎすの美女が食事をしていた。その3つ隣の席にぼくも着席して食事を開始。恥ずかしながら、3回ほど食べ物を置いてある箇所を往復してたらふく食べた。昼食ぬきのためもあってのこと。ところが、件のお嬢さんは、まだ食事をしている。ぼくが食べ始めての間、5回以上、往復していた。たまった皿は目立たないように配膳ラックに戻しつつである。ホントに細い、ギャル曽根さんではなかったが、彼女より大食いであることは間違いない。

あいにくの天気であったが、地下鉄1日乗車券(平日800円)で大阪港へ行った。次にフェリーターミナル駅で下車し、そこから九州門司港、愛媛等へカーフェリーが出港することを知った。次に、ニュートラム線の終点「住之江公園駅」で下車。公園を横切り、四つ橋線・北加賀屋駅から乗りなんばへ向かう。

午後2時30分開演のなんばグランド花月でよしもと新喜劇を観た。西川きよし、阪神・巨人、ボンチ等、大物芸人が出演していた。修学旅行の高校生団体が居て満員だ。およそ3時間、楽しい時間をすごすことができた。

夕食は、近くの高島屋デパート8階で焼き鳥コース料理を食した。支払はクーポンである。残額千円分残すのみとなった。ホテルに戻り、いつものように22階の自室からB2階の大浴場へ行くか逡巡した。というのも右足の指から甲にかけて痛むのである。しかたなく部屋の風呂をつかい、就寝。今日の歩き15,258歩。

2022年10月20日哲日記,,食事

沖縄県人、ルーツのある人たちが多く暮らす大正区へ。JR環状線大正駅から大阪沖縄県人会館をめざす。途中、大正区祭りでエイサーを観る。老若男女ともに楽しく演舞している。いずこにいても、故郷への思いはつのるようだ。県人会館1階の沖縄料理店でソーキそばを食べる。出汁が効いて美味かった。

とてもめずらしい落合下渡船場から渡し船に乗って向こう岸(西成区)へ。無料。ぼく以外は全員自転車とともに乗船している。架橋の代わりとなっている。 西成区釜ヶ崎あいりん地区をあるく。ホームレスをあまり見かけなかったが、昼間からカラオケ居酒屋で盛り上がっている。断酒の身には誘惑にかられなくもないが、何とかやり過ごす。

途中、飛田新地へ足を伸ばす。落語廓話しの雰囲気を感じる。昼間にもかかわらずあでやかな感じ。店先にいる年配のおばさんがいて、通行人に手招きする。開け放しの店の中央にきれい着飾った女性が鎮座し、にこやかに笑顔をみせている。なかには胸元の谷間を強調した嬢もいる。百軒以上のお店があるようだ。メイン通り、〇〇通り、なかには年金通りもあるらしい。ぼくが若かったらもしかして・・・・・

大阪に来てよく歩いている。14(金)16,330歩、15(土)17,156歩、16(日)21,037歩。夕食は、久しぶりに回転寿司・スシロー心斎橋店へ。11皿2,490円也。タッチパネル注文等不慣れながらもまぁ美味かった。無料のお茶を何杯も。締めの納豆巻きはちょっと多すぎた。 ホテルにもどり、大浴場にはいり、就寝。

哲日記,,食事

地下鉄1日乗車券を求めて市内散策へ。大阪城、あべのハルカスと、高所恐怖症にもかかわらずいずれも高いところへ上った。が、地下鉄からこれらの場所に行くまでに歩く、歩く、歩くというありさま。つまり、これ以上年を重ねると旅行は難しいということだ。

あべのハルカスの16階で昼食を摂る。クーポンを充てるつもりなので贅沢をする。中華料理の定食4,300円。さて、昨夜は不首尾におわったクーポン支払い。今度はスマホにアプリをセットして対応するも、うまくいかない。お店の方もよくわかっていない様子。が、辛抱強くアタックしてOKとなり安堵。

昼食後、近くの大阪市立美術館へ出向く。も、改築中とのことで再開は2025年とのこと。今年の春、名古屋市美術館を訪れた際も、休館で観賞できず。また、横浜美術館でも改築中で見学不可であった。ことし3回も美術館めぐりが不調に終わった。どうも「絵心の無さ」を見透かされていたのかと僻みたくもなる。

夕食は、コンビニで納豆巻物とヨーグルトを買ってホテルで食べる。

2022年10月18日哲日記,,食事

全国旅行支援を活用して空路大阪へ。シニア料金にて。御堂筋のホテルにチェックイン、クーポン1万円をもらう。

夕食は、串焼きのだるまで。美味かった、シメのうどんは今ひとつ。さて、クーポンで支払おうとするもケータイにアプリを入れてくださいとちんぷんかんぷん。諦めて他の手段i Dで支払う。

旅先で一杯やらずに寝た。偉い❣️