哲日記,,映画鑑賞

とっても良い天気、洗濯日和、ふとんカバー、枕カバー、シーツ等を洗濯、1週間いちどの頻度で寝具カバー洗濯しているので、まぁキレイ好きかもしれないな。

ちかくのOM信用金庫にて、キャッシュカードを使えないので問い合わせすると、磁気破壊でダメとの説明のように聞こえた。やむをえず、印鑑を使って預金引き出す。そのお金を、ウォーキングをかねて隣駅の労金ATMへ入金する。--きたる10日引き落としに残高が足りないのでーー

さらに足を延ばして、青梅美術館で版画のすばらしさを満喫。小泉癸巳男(キシオ)の《昭和大東京百絵図》で巡るレトロでモダンな東京散歩、という特別展。先月は前期展示で今回は後期である。1930年代の作品で、東京の名勝が版画の柔らかい描写でよみがえる。お見事だ。

青梅駅近くのG嶺で小休止、フランス人の女性と出会う。ひとり旅のようだ。ぼくの隣の席へ座ったので、片言のフランス語(?)で会話する。それは真っ赤な嘘だが、女将さん、スマホの翻訳機能をつかって奮闘。ぼくも負けじと熱燗を注いであげる。そして、ぼくのお猪口に注ぐように指導。おでんの銀杏をおすそ分けすると、「先日、銀杏拾いをする人とであった、それを食べることできてよかった」と。日仏友好に貢献したようだ。

帰りもウォーキング、歩数12,000なり。自宅で映画「恋愛小説家」1997年アメリカ(NHKBS録画)ジャック・ニコルソン ヘレン・ハート 本作で、ふたりともアカデミー賞最優秀男優・女優賞をうけた。売れっ子小説家のジャック、とても口の悪い嫌な性格なり。大喧嘩するなどいろいろあっても、シングルマザーのヘレンとハッピーエンド。子犬の名演技がほのぼのとしてよかった。

テレビ,哲日記,

◇8月27日(日)

早朝起床、5時30分、電車で羽田空港へ。JAL便にて那覇へ、乗り継いでJTA便にて石垣へ。市内向けバスが出発した後なので、やむを得ずタクシーなんと3,500円もかかった。万世館となりのビジネスホテルへ投宿。その後、長兄宅にて父母、祖父母、ご先祖の仏様へ合掌。

午後7時、登野城の居酒屋で中学校時代のテニス仲間と同窓会、85歳のTHコーチも出席、なんと生ビール10杯飲み干し、その壮健ぶりに感激。中学3年の夏、テニス遠征の帰途、那覇丸から落下して九死に一生の体験をしたとき、仲間にたいへん迷惑をかけたことをあらためてお詫びした。久しぶりの和気あいあいの食事会となった。2次会は美崎町のHNにて。

◆8月28日(月)旧盆ウンケー

黒島へ日帰りで渡る。親せき、友人宅のご先祖へ合掌。E伸、M廣、H吉 皆そろって元気。来年2月、牛まつりに参加し、生り年会揃って祝うことを確認、名古屋のS盛くんが幹事役で頑張っていることを皆で支えて行くことで一致。H吉くん手作りの八重山そばをご馳走になる。実に美味かった。

レンタルオートバイで島めぐり。途中、仲本海岸のあずまやで、M廣、E伸くんと涼みながら談笑。パナリ島をながめ、波照間を見るため探すも遠近メガネが無い! 途中落としたんだ。

夜、長兄宅で先祖を迎えるウンケー行事。兄夫婦、M本叔母一家と久しぶりの賑わいにご先祖様もさぞかし喜んでいるはずだ。

◇8月29日(火)旧盆中日

石垣の親せき宅でご仏前をお供え合掌。叔母宅で昼食をご馳走になる。S吉叔父、大病を患うも元気に回復し、会話の9割がたを独占するなどおしゃべりをいかんなく発揮。

夕方、妹次男のH彰くんとA美さんの新婚歓迎夕食会を大富でひらく。ご両名は埼玉生まれ、お嫁さん初の飛行機で八重山訪問とのこと。「Hくんにはもったいないほどのお嫁さんだ」と、酔いにまかせてついひと言。

◆8月30日(水)旧盆送り

午前、石垣市内を散策、すると労金前で昨夜の甥夫妻にばったり。これから竹富島ツアーに参加し、夕方那覇へ向かうとのこと。ふたりの未来に幸多からんことを願う。

夜、先祖を送るウークイ行事、兄夫婦と叔母とぼく。ぼくの小学2年のとき他界した母のことを、F子叔母よりたっぷり聞く。

◇8月31日(木)

台風接近のなか、バスで石垣空港へ(バス代540円)。那覇を経由して羽田到着。帰路、H島駅で下車し、知人宅へお土産を届けるも、逆にたくさんの北海道海の幸をもらって恐縮。無事帰宅。

8冠をめざす藤井聡太棋士、永瀬王座との王座戦初戦の大詰めをABEMAテレビで観戦。藤井敗れる。A居酒屋で旅の疲れをとりつつ、バスケットWCをテレビ観戦、ベネズエラ戦、みごとな逆転勝ちに感動。

2023年7月6日哲日記,,食事

◆7月1日(土)雨

午前、痛風の件でHO整形外科へ。これまでの薬の効きを確認するため血液検査をするとドクター。ぼく「実は昨夜、深酒をしてしまった」と言うと、ドクター「ちょうど良いのでは、肝機能もしらべます」と。さて、1カ月後の結果はいかに。

午後3時、ひとり旅のスタート。東京駅から宇都宮へ。 新幹線は速い。48分で着いた。駅前のビジネスホテルにチェックイン後、街歩き。栃木県庁と宇都宮市役所の中間地点に、那覇にある屋台村そっくりの一画があった。夕方、公務員は呑兵衛が多いので、それ風の人々で賑あっていた。←違っていたらゴメン。ぼくは、そこではトイレだけ借りて、しばらく散歩。

駅前大通りは広々としていて、その通り沿いに「ビールと餃子は文化」との広告。まよわずその食堂に入り、餃子二皿 生ビール、ハイボールを飲食。餃子消費量日本一だけあって、宇都宮餃子は美味かった! その後、コンビニで赤ワイン小瓶とチョコレートを買って、ホテルで二次会。本日の歩数=9,265

🔲7月2日(日)雲雨

翌朝、新幹線で新青森乗り換え、在来線にて弘前へ。ホテルへチェックイン後、弘前城を見学。天守にあがり、城周辺を散策。その後、街歩き。さすが、太宰治をうんだ津軽の地だけあって大型書店ジュンク堂、TUTAYAがあった。ジュンク堂にはいり、本は重いので買う気はないが新刊本を中心にみてまわる。村上春樹コーナーはあったが、太宰治コーナーはなかった。

さて、お楽しみの飲食時間。ホテル紹介の名店は、2か所とも満員ですと断られた。ひとりもんだと、なかなか入れてもらえないかも。やむをえず、近くのちょっと暗めの食堂へ入店。ドアを開けて入ると、シーンとして誰も出てこない。内心、引き返そうかと思ったほど。ようやく出てきた女将さんらしき方、テーブルに案内してもらったが、客はぼくひとり。

さっそく生ビール、小鉢のつまみ3点、白ワイン、日本酒、ポーク焼きと赤ワイン。会計をお願いすると、男性の板前さん、どうも女将の息子らしい。申し訳なさそうにクレジット使えず「現金のみ」とのこと。トイレを借りると、明かりがついてなく、手探りでスイッチを探し押すがつかない。そのうち、スイッチ上の飾り物を「ガチャン」と落としてしまった。女将が飛んできて、スイッチを懸命に押してようやく点灯。

でも、決して不快な気持ちにはならなかった。団体客を入れるほどの広い食堂を親子?二人で守っていること、女将のメニュー説明の滑らかさなど、良かった。でも、お酒の味はいまひとつであった。歩数=14,650

◆7月3日(月)晴

弘前から秋田へ特急でむかう。隣席には、初老の4人連れの男女。「熟女とは何歳からかしら」と、朝から日本酒を飲みながら談笑している。そのうち、熟女さんが「話しかけてもよろしいですか」と僕に訊く。「私55歳になったので、大人の休日フリーパスを使って旅行しているの」 ぼく「へぇー、40歳かと思った」とゴマすると、呵々大笑の熟女であった。

さて、秋田につき酒田向け特急まで時間があったので、駅近くの秋田県立美術館へ行こうと思った。が、ネットで調べると、休館だった。同美術館へは2021年11月にも行ったことがあり、とても充実していたので残念。しかたなく、鈍行で酒田へ向かった。

酒田駅につき、ホテル投宿前に、駅近くの本間美術館と庭園を鑑賞。街歩きをかねて、遠く離れているホテルへ向かう。チェックイン後、受付嬢に教えて頂いた居酒屋へ。こちらも酒田市役所の近く、やはり公務員を当てにしているのかな。土地の料理と地酒を堪能した。 

ホテルへは長く歩いて戻り、入浴。寝るとき、無料配布の山形新聞をひらくと「新・地図のない旅 五木寛之」というコラムがあった。地方の新聞に連載コラムを持つとは、あらためて五木さんの執筆意欲の凄さをかいまみた。歩数=14,456

◆7月4日(火)晴

朝、駅に向かって歩いている途中、最上川の橋の上で携帯へ電話着信。INさんより飲み会日程の回答。そこで駅前の図書館にて、他のメンバーへ連絡をとった。図書館ではWi-Fiを使えるのでね。

途中、写真家・土門拳ゆかりの地、という標識があった。酒田の名誉市民で全作品を土門拳記念館に収蔵との説明文も。駅について、その記念館の位置を確かめると、なんと泊まったホテルの近くであることが分かった。特急の出発時間も迫っていて見学するのを諦めたが、なんともちぐはぐのことであろうか。

酒田ー新潟経由で東京にもどり、特急あずさで立川を経て、拙宅に無事帰還を祝していつものA居酒屋で一杯。ほぼ東北を1周する鉄道の旅。新幹線・特急指定等6回活用して、全交通費15,270円也(大人の休日フリーパス) 歩数6,655

哲日記,大谷翔平,,食事

◆6月18日(日)晴

 朝4時起床、羽田空港から岡山空港へJAL便で向かう。フライト1時間10分の空の旅。到着後、迎えのバスにて倉敷・大原美術館を鑑賞。1930年、大原孫三郎によって設立されたもので、モネ「睡蓮」、ピカソ「鳥籠」等、「その展示品は超一流画家の代表作揃い。そのすばらしさに圧倒され、なぜもっと早く訪ねなかったのか、と悔やまれた」(城山三郎)。まったく同意。

倉敷の街を散策しつつ、昼食はB級グルメのホルモンうどん。まぁ、うまかった。その後、バスにて鳥取県の大山温泉にあるホテルに投宿。温泉とバイキング料理に舌鼓をうつ。お酒は、生ビール、赤ワイン、地酒。旅行支援クーポン2千円分が支給されたので、ホテルの売店で消費3千円。

◆6月19日(月)晴

翌朝、フロントで精算すると売店の1,000円追加のみだという。なんと昨夜のお酒代が含まれていない。それを指摘すると、「お客様が伝票を持ってこられないのでわかりません」という。ちょっと不快に思ったが、部屋にもどり、伝票をゴミ箱から探して提示し、ようやくチェックアウトできた。

バスにて島根県安来「足立美術館」へ。ここの売りは「庭園日本一」だ。美術館の窓枠から見えるみごとな庭園は「一幅の絵画」だ。実にすばらしい。もちろん、横山大観はじめ日本画の数々にも瞠目した。大原・足立両美術館の名画のシャワーを浴びた思いなり。

昼食は、由志園(日本庭園の食事処にて紅ズワイガニ会席)、その後出雲大社へ。10年ぶりの再訪だ。お賽銭を150円(2か所)を投入しつつ、昨年末の忘年会のことを思い出した。ジャーナリスト黒田清のお弟子さんが「初詣でお賽銭など入れません」ときっぱり発言。「徹底しているんだ」と感じ入った次第。

バスで広島へ。日本海から瀬戸内海へ。途中、標高600mを越える標識があり、沖縄県最高峰おもと岳を上回る峠をバスで走ってるんだ、と思った。宿泊は、グランドプリンスホテル広島、ご存じG7サミットが開催されたところ。温泉は有料2,100円というので2回も入浴した。

◆6月20日(火)晴

ホテルを出て、宮島口から船にのり宮島(厳島神社)へ。ここは20年ぶりの再訪だ。インバウンドの人々多し。昼食は、土産物店の2階でカキフライ等。小憩後、広島空港へ向かう。

JAL便にて東京へ。着陸のとき、びっくりした。なんと、新宿の高層ビルあたりまで飛行機が脚を延ばしたのち、機首を羽田へ向けて降下をしていくではないか。眼下には、東京の密集した家・ビル群等。無事着陸して安堵。

それから2時間かけて帰宅。疲れた。いつものA居酒屋で一杯。 シャワーして就寝。

◆6月21日(水)晴曇

朝、ベッドで読書。 洗濯。 録りためたテレビ。ETV特集「ミッドウェー海戦 3418人の命を悼む 第二部残された者たちの戦後」を観る。アメリカの戦後は、第二次大戦後も朝鮮戦争、ベトナム、イラク、アフガンと遺族をうみだし続けてきた。アメリカにわたり、ミッドウェー海戦の遺族を訪ねる澤地久枝の仕事の重さを感じる。

MLB大谷翔平選手、ドジャース・カーショー投手におさえられ、25号ホームランならず無安打におわる。 旅行中、大谷選手がホームランを打った夢をみた。そして、小用のため起きたときテレビをつけると、生中継でエンゼルスーロイヤルズ戦をやっている。しばらく見ているとなんと大谷が24号ホームラン! 19日未明「正夢」を体験したのである。ホント。

久しぶりの図書館。 買い物。 入浴。 お酒無しの食事。就寝。

2023年6月12日エッセイ,哲日記,,黒島

東京の奥座敷に暮らす身には、都心へ出かけるのも「ちいさな旅」といえなくもない。

◆6月8日(木)晴雨

国立新美術館へ。「ルーヴル美術館展 愛を描く」を鑑賞。宗教画の数々。ピカソのような抽象画でなく美しい絵は、素人のぼくにも楽しめた。入場料2,100円。こちらの建物は黒川紀章の設計、外観もすばらしい。

夕方、ホテルニューオータニで開かれた元衆議院議長「故横路孝弘さんを偲ぶ会」へ、組合中央本部の皆さんと参加させていただいた。むかし懐かしい秘書の方々のお顔も。長年のパートナー由美子夫人のお礼のあいさつが良かった。東大の同級生どうし、10代のころからの付き合いが亡くなるまで60年間、いつも優しかった、とのこと。合掌

その後、黒島病に罹った方が営む溜池の「うさぎ家」にて夕食。ことしも黒島牛まつりに出かけたそうな。祖父譲りの江戸っ子の主人が腕をふるう料理の数々、秋田美人の妻女とその姉様がお客担当、ほんとに美味しかった。池波正太郎のエッセイに出てくる名店そのものと言ってよいだろう。年内にまた行きたいな。

泊まりは、赤坂のカプセルホテル。インバウンドがふえたせいか、カプセルでも5,500円と高め。空調がうるさかったが、うさぎ家でいただいた銘酒請福のおかげで熟睡できた。

◆6月9日(金)雨曇

朝食は、ホテルで支給された赤坂見附駅まえのファミレスで、久しぶりのトーストと目玉焼き朝定食。最近の店は、新聞を置いてないようだ。 その後、地下鉄銀座線で上野へ。

東京都美術館 フランスの画家マティス(1954年没)の日本では20年ぶりの「マティス展」を観た。入場料2,200円のところ1,500円(65歳以上割引) 高名な画家であるが、ぼくなんか絵心のないものには今一つわからない。が、平日にもかかわらず多くの人々が熱心に鑑賞していた。

となりの会場では大翔会(一般、プロ問わず多くの画家が出展)の展示。無料なのでそこへ、みごとな作品をいくつか鑑賞できた。どうもぼくの好みは写実主義?、しっかり、はっきり、くっきりした絵が好みのようかも。でも、時間が経つにつれて、脳裏にうかぶのはマティスの絵画の数々。なにか良いものがあるんでしょうね。

二日にわたって美術館めぐり、フランスに暮らす畏友・与座英信画伯のことを思い出す。四半世紀前に横浜で開催された彼の個展へ、同窓会をかねて皆で出かけたことがあった。そのとき、付き合いで彼の力作を購入した。が、その絵も手元にはない。わかれた妻が売り払ったかもしれない。今では数十倍に値がついているんじゃないだろうか。絵心のなさを露呈したカネ勘定とは情けない。

上野から池袋へ出て、駅ビル西武側の三省堂書店へ。新刊を中心にながめる。東武側のレストランでおそい昼食。その後、新しくできた東京メトロ・副都心新宿線にて渋谷経由田町へ。恒例の勉強会、きょうの講師は検察出身のリベラル弁護士。目から鱗のエピソードに感銘をうけた。

およそ90分かけて電車で帰宅。さすがに疲れたので入浴して就寝。ひさしぶりの禁酒。

エッセイ,,黒島

(むかし所属する労働組合の関係でオーストラリアへ視察旅行の機会があり、以下はその旅行記)

2012年11月16日衆議院が解散となって数日後、連合東京S事務局長から電話をいただいた。用件は、「衆議院選挙のため東京を離れられなくなった。代わってオーストラリアへ行ってもらえないか」というものである。

ぼくも多摩地域の一部で選挙に取り組む立場にあるのだが、連合東京事務局長の選挙におよぼす影響がぼくのそれよりもはるかに大きいことを理解し、「業務命令であれば仕方がない(笑)」と、引き受けた次第である。

12月5日、成田空港を離陸した15名はエコノミークラス(ビジネスクラスと誤解している向きがあるので敢えて記す)にて、長いフライトののちシドニーへと到着した。ぼくにとって初の南半球への旅であり、以下、見聞したことを感じたままに述べさせていただくとしよう。

ある考古学者のコラムで「オーストラリアの歴史書は、何万年も前からアポリジが住んでいたのにその記述はたかだか数ページ、あとは200年かそこらの白人のことを記した本ばかりで・・云々」(日経夕刊2012.12.27)という趣旨の記事を読んだ。それはその通りだろうが、ぼくにとってのオーストラリアは、その200年さえもまともに知らない、見聞きするものすべてが目からウロコのものばかりといっても過言でなかった。

その1つが、オーストラリアは宗主国イギリスが囚人を送り込んでできた国である、というガイドの説明であった。「今の国民は囚人の子孫?」とつい愚問を発したところ、「その通り。ただし1972年に白豪主義が撤廃されてからは、多民族の移民が増え、また自然増(出生率)も大幅に増えているので、それらが2200万人の人口構成の大分を占めている。囚人云々は過去のこと」とのこと。

その2つが、政権と働く者との関係だ。オーストラリアでは保守連合から労働党へ政権交代して6年目となる。労働党政権のもとで制定された「フェアワーク法」によって、労働者の保護が著しく強化されたという。

ひるがえってわが国でも、民主党政権が誕生しての3年間で「労働法制に関するマニフェストはすべて実現されている」(連合会長)との評価もあるほどだが、今般の総選挙で安倍政権へと替わり、労働組合としては今後の行く末が案じられるところだ。

 視察のバスのなかで、男性ガイドがオーストラリアにおける夫婦の力関係をおもしろく披露してくれた。「こちらの女性は強い。夫が会社で残業を命じられると、奥さんが社長に電話して早く帰すように要求。その結果、定時に夫は帰宅することになるが、気の毒なことに帰宅後、掃除・洗濯・炊事まで夫がこなす。これがこの国では普通のことだ」ということらしい。労働者の権利保護に加えて、女性の権利意識も非常に高いものがあるようだ。

 また、オーストラリアは、先進国中ではめずらしく投票を棄権すると罰金=20豪ドルを科せられるという、投票義務国ということも知らなかったことのひとつだ。

 3つ目は、オーストラリアでは米を100万トン生産(わが国は500万トン)し、その米から日本酒を製造していることにも感心させられた。酒造所で試飲にあずかったが、その味といい、「豪酒」というネーミングといい、とてもウマイと思った。酒造所周辺は自然豊かなところで、その正門を起点に数百キロ?におよぶ遊歩道や、その名も「ベルバード」と呼ぶ、可愛らしい鳥のさえずりがたえまなく聴こえ、とても心地よかったのは、試飲のお酒のせいばかりではなかったはずだ。

 オーストラリア最後の晩餐は、シドニーの日本食堂「だるま」であった。お互い旅の印象を語り合いながらの楽しい夕べとなった。目を引いたのは、店の周りいっぱいに吊るされたオリオンビールの飾り提灯である。ぼくの出身地・沖縄の名産「オリオンビール」が、遠く離れたシドニーの地で何故に飾られているのか、ウェイトレスに訊ねたが、料理運びに忙しいのか、回答を聞きそびれたのが今となっては残念だ。

400万人の人口を擁する大都市・シドニー、30万人の首都・キャンベル、この両都市を視察させて頂いたが、資源豊かな国・オーストラリアが、今後いっそう飛躍的な発展を遂げるのではないだろうかと思った。(了)

追記:シドニーからバスにてキャンベルに向かった。びっくりしたのは、広大な牧場だ。バスが2時間走っても両側の牧場の柵がとぎれなかった。地平線をのぞむような広い土地で、豪州牛が大量生産されると、わが黒島の肉牛生産大丈夫か、と心配が頭をよぎったことを思い出した。

哲日記,大谷翔平,,食事

◆5月20日(土)

午後、愛車の軽自動車で青梅インターより一路横須賀へ。途中、海老名サービスエリアで休憩。自販機でコーヒーブラックを飲む。豆から煮だすので廉価210円にかかわらず美味かった。海老名SAを出発し、東名から横浜横須賀道路へ。さて、高速から降りるときちょっとヒヤッとした。カーナビは衣笠を指示するも、事前にネットで調べると次の佐原を勧めていた。その出口で迷っていると、あやうく衣笠出口の車列にぶつかりそうになったのである。

今夜のお宿は、友人OT夫妻の自宅。いつもながら瀟洒な建物に清潔なお部屋。一番風呂をいただき、夕食は、三浦名物のマグロの刺身を主菜に、とても美味しい料理の数々に舌鼓をうつ。もちろんお酒も、冷えた白ワイン、千葉の酒蔵限定の日本酒を堪能しました。星野リゾート顔負けのおもてなしに、感謝感謝ですね。星野リゾート?泊まったことないが。

★5月21日(日)

翌朝、小一時間、ひとり散歩。緑豊かな街並み、小川(用水路)にはなんと大きな鯉が泳いでいた。そして、朝食は彩り豊かなメニューの数々。しっかり美味しくいただきました。これまた感謝です。 お土産をいただいて帰途へ。

東名高速の海老名SAで休憩しようとすると、思わず急ブレーキ! 高速のスピードに慣れて、入り口付近で前方が詰まっていることに気づかず、あやうくおかまを掘るハメになるところであった。大いに反省、注意しなければと思った。

無事帰宅。海老名名物のメロンパンと牛乳で昼食。録画してあった大谷翔平選手、なんと11号ホームランを放っていた。そして、夕食は、命拾いのドライブと大谷ホームランを祝して、いつものA居酒屋で食事兼お酒。 感謝感謝のプチ旅行を終えました。

2023年5月23日哲日記,,黒島

朝、ベッドで読書。「天路の旅人」読了。久しぶりに読み応えのある本に出会った。沢木耕太郎さん、読ませてくれますね。西川一三という若者が、戦時中に蒙古の巡礼僧侶に扮し密偵(スパイ)として、中国の奥深くからチベット、ヒマラヤ越えてインドまでの8年間におよぶ苦闘の旅の記録だ。地を這うような旅の日々は、西川、帰国後の人生に影響を及ぼし、1年で元旦以外は364日、休日なしで働いたという。恐るべし。享年89歳。

午後、青梅特産のタオル製作直売店へ。友人宅へのお土産を求める。帰途、青梅市美術館へ。入館料200円のところ65歳以上は無料ということでうれしい(酒代には惜しみなく浪費するのにね)。展示数はさほど多くなかったが目の保養になったようだ。大屏風展の数々、河合玉堂の水墨画お見事。

きょうはほんとに暑かったので、美術館のエアコンは快適だ。ソファーでひと休みし、近くの写真集をめくる。篠山紀信の『女優』は、まばゆいばかりのわが国の女優の美しさに感嘆。東松照明の『沖縄』の各島々の風景もよかった。東松は同書の前書きで、自分は沖縄病に罹った、それも重度の沖縄病患者である、と記してあった。でも、島々のなかにわが黒島が無かったので、真の沖縄病とはいえまい(黒島病のジコチューか)

帰宅後、入浴、夕食、就寝。

哲日記,断酒,,読書,黒島

2月16日(木)

午前、沖縄のKHさんから訃報届く。かつての仕事上の仲間であり先輩のKH嬢が亡くなったとのこと。享年77歳。出会いは45年前、ともに激烈な選挙戦に取り組み勝利の美酒をあじあうこと7回、落選の悲しみを共有すること1回、その後、お互い仕事も変わり那覇と東京ではめったに会えなくなったが、生涯の友(ぼくが勝手に思っていたが)として、お付き合いをいただいていた。

東京の拙宅から羽田空港へ向かい、午後3時発のJAL便へ飛び乗り那覇のD寺のお通夜にかけつけた。連絡をくれたKHさん、SSさん、OY元委員長が待っていてくれた。闘病生活からの解放であろうか、KHさんのお顔は安らかであった。ご冥福を祈り焼香させていただいた。

那覇市前島のホテルに投宿。コンビニで買った缶ビールでひとり献杯した。

2月17日(金)

午前、散歩。福州園、対馬丸記念館へ入館し見学した。戦時中、大勢の子供たちが疎開する途中で米国の潜水艦の魚雷により沈没し犠牲となった。友の死の悲しみのなかで、胸つぶれる思いが倍加した。

午後、KHさんの出棺の儀に参列し、最後の別れとなった。叔父さんのひとりから、「H子はいちばんできぃやー(頭が良い)であった。村いちばん足が速く200mの記録をつくった」と、細身の彼女から想像できないエピソードをうかがった。参列者の数が少ないのは、「彼女の遺言、新聞広告も禁じていた」とのことであった。ぼくが東京から来たことも想定外のようで、過分の感謝を述べられ恐縮した。

夕方、JNK堂の書店をのぞく。沖縄関連コーナーにあった上間陽子著『海をあげる』を購入。50歳の大学教授の文章があまりにも柔らかく、かつ内容が豊かで刺激的でおもしろく東京に戻る間に読み終えた。

安い居酒屋でひとり夕食。ニンジンしりしり、ゴーヤチャンプルを注文し、量の多さと同じ炒め系なので辟易した。お代は県クーポンを使って間に合った。

2月18日(土)

首里城を見学。焼失後、再建途上なので周りの石垣のつくり、高台なので見晴らし等を楽しんだ。つぎに、県立博物館・美術館へ出向く。何と美術館の入場料は、県内外問わず老人は無料とのこと。迷わず美術館へ入館。鑑賞。

いったんホテルに戻りシャワー。夕方からは、甥のK、従弟妹のOA、AJ、SNとその子たち7名と会食。現役時代に積み立てておいたJAL旅行券がなかなか使う機会がなかったので、同ホテルのレストランでの食事代に充当。いとこ達のほとんどが30年以上会っていないので、懐かしく楽しいひと時を過ごす。

従妹のAJは大きな病院の看護師長をつとめ、定年後は同病院で看護師として再雇用の身。ぼくが那覇に来た用件を話すと、亡くなったKHさんは私が担当した患者さんだという。まったくの偶然の一致なり。「KHさんは、凛とした立派な患者さん。助けることができなくて残念です」と言ってくれた。

2月19日(日)

午前、新県立図書館へ行った。与儀にあった古い図書館が、旭橋駅と近接する見事な図書館へと変貌していた。沖縄関連図書コーナーはほんとに充実している。菊池寛賞に輝いた『竹富方言辞典』は、その分厚さで他を圧倒するがごとく陳列。當山善堂著『精選八重山古典民謡集(CD付)1〜4巻』や、沖縄出身の作家コーナーもあり1日居ても飽きないこと請け合いだ。

遅いブランチをとろうと国際通りを散策。歩行者天国となっていて、子どもたちの駅伝大会がありぼくも手をたたいて応援。泡盛の名店があったので、友への土産を購入して発送してもらう。公設市場そばの八重山そば屋でようやく食事。いえ、生ビール、麩チャンプル、八重山泡盛のおもと、と昼飯とは名ばかりの昼飲みとあいなった次第。再びぶらぶら散歩。近くには、1961年若くして亡くなった母の実家もあるが、どうも敷居が高くましてや昼飲み後に尋ねるわけにもいくまい。

そして、いよいよ今回の旅の最後の晩餐だ。安里駅前の郷土料理・ヒージャ屋(山羊料理)へ日が暮れて出向く。実に4年ぶりだ。店に入るとどうも女主人の機嫌が悪い。カウンターには、空の財布と貯金通帳が飲み残しのグラスと一緒に放置されてある。どうも酩酊した客が隣の人に絡みだしたので「もうお帰りください」と促すと、怒って「金がない」といって飛び出して行ったそうな。

ぼくが「ママさん若返りましたね、コロナで大変だったでしょう」というと、「アンタ、うち分かるね」と言いつつも、山羊刺し、チイリチー、山羊汁と素早く出してくれて、「だー、ビールちょうだい」とおねだり。どうやら機嫌もなおり、つつがなく山羊料理と泡盛の最後の晩餐をおえた。

2月20日(月)

午後便で帰京。羽田空港からモノレールで東京駅へ。たまたま発車直前の特急八王子に飛び乗った。案の定、車内で購入する特急券は、事前にスマホでチケットレスで買うより400円弱高かった! 行きつけの居酒屋で旅の疲れをとり、あらためて友人KHさんのご冥福を祈りつつ自宅で就寝。合掌。

哲日記,,食事

12月13-15日、函館へ出かけた。JTBのツアーに便乗して、ぼくたち黒島ふるさと会が長年お世話になったKU先生のお墓参りが目的のひとつである。初日と最終日は自由行動という名のほったらかしツアー。

13日(火) 昼過ぎのANA便にて函館へ。出迎えてくれたのは、先生の長女Sさん。事前に、先生のお墓の場所を教えて頂ければひとりでお参りしますので、と断っていたのだが・・・・・「いえ、自分たちもそのような機会でもないとなかなかお参りできないので。お寺の納骨堂なので身内の立ち合いも必要」とやさしく対応してくれるSさん。

本願寺の納骨堂にて、先生の御霊に合掌。これまでのご支援ご指導に厚く感謝。「立派なご仏壇ですね」とぼく。「母が求めてくれたものです。本人は遺灰を海に流してくれと言ってましたが」とSさん。「R子奥さまはお元気ですか」「父が亡くなって2,3年は家に引きこもりがちだった。いまは元気を取り戻して安心です」とSさん。

その後、F寿司にて夕食。10数年前も先生に連れてきてもらった寿司店。運転のため、お酒を飲めないSさんを横目に、生ビール、函館ではじめてできた地酒五稜を飲みつつ、刺身、寿司を堪能。図々しいにもほどがある自分に赤面。 Sさんには、空港の迎え、参拝の世話、夕食のご馳走まで、感謝感謝の極みです。

湯の川のホテルまで送っていただき投宿。拙宅は3kの大きさだが、ここの部屋はツインベッドと応接ソファーがあって、我が家よりはるかに広い。温泉につかり、小さなスマホ画面にてボクシング井上尚也の4大タイトル戦を観戦.井上の圧倒的強さに感動。

14日(水) バスにて大沼公園、五稜郭、函館山からの夜景、レンガ倉庫での買い物、花火見物等。

15日(木) 午後3時のANA便にて帰京する予定だが、午前便すべて降雪、強風のため欠航。そこで函館駅へ市電でむかい、搭乗便の欠航が12時頃発表されたので、新幹線にて帰京することにした。その発着駅である新函館北斗駅へローカル線で行こうと乗り込みドアがしまると、「この電車は新函館北斗駅へは寄りません」とのアナウンス。ドアが閉まって注意アナウンスするなんて、そんな馬鹿な! あわてて次駅の五稜郭駅から函館にもどり、再度、函館ライナーに乗り換えた次第。東京の拙宅にたどり着いたのは9時過ぎだ。 ツアー会社より「帰りの飛行機代相当分を返却する」というのがせめての救いか。