エッセイ,メール,哲日記,大谷翔平,黒島

今朝の西日本新聞に友人のことが写真入りで大きく報じられていた。

 沖縄・八重山諸島の歴史をはじめ、島々で受け継がれてきた伝統や文化、生活情報などを発信し続ける出版社が石垣島にある。島育ちの上江洲(うえず)儀正さん(66)が1987年に設立した「南山舎」。竹富島の方言をまとめた初の本格的な辞典を出版し、菊池寛賞を受賞したことも。「日本や沖縄とはひとくくりにできない八重山の姿を伝えたい」と、最南端の出版社としての視点にこだわり続ける。以下略「西日本新聞2023年8月10日6:00電子版」

古希のぼくと同年なので年齢が若すぎるのは愛嬌だが、人口の少ない南の島で総合月刊誌「やいま」はじめ、数多の書物を出版し続けてきた功績は偉大なこと。誇らしい! 東京の同期生LINEグループで伝えると「素敵な情報いつも有難うございます。同期生の活躍を聞くと嬉しくモチベーションがあがります。またの情報楽しみにしていま~す」と、ひとりの美魔女から反応があった。

午前、図書館へ。暑さをしのぎ新聞まで読めるなんて。 書店で週刊文春を買う、510円。ほんと久しぶりの週刊誌購入だ。文春砲で頑張っている応援の意味をこめて。

猛暑のなか午後から出勤。電車に乗り込むと、優先席にいた若いサラリーマン風の男性二人が席を立ち、ぼくに譲ろうとする。ぼくはそれを制し、空いている席に座った。が、ぼくの見た目が老人風に見られたと思うと少々ショックであった。

MLB大谷翔平二刀流で登場。対ジャイアンツ戦。みごと6回を自責点0で投げ切り10勝目をあげた。あのベーブルースも成しえなかった2年連続、二けたホームラン、二けた勝利! あっぱれ

夕方、A居酒屋で生ビールを少々。 帰宅後、退院した親せきへ病気見舞いの電話、元気な声なのでひと安心。 

TY連合会O幹事長へ9月18日の祝賀会費振込と出席者氏名を連絡。先方より受け取った旨返信。

2023年8月14日テレビ,哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,落語,読書,黒島

◆8月7日(月)晴猛暑

朝4時、ベッドで読書「ザイム真理教」森永卓郎:三五館シンシャ。ザイム真理教はいかにして生まれ、どう国民生活を破壊してきたのか。「財政均衡主義」という教義は、国民やマスメディアや政治家に至るまで深く浸透し、国民全体が洗脳されてしまったのだ! 帯に記されたキャッチコピーが森永の主張を物語る。なるほど、大手出版社で発行してもらえなかったのも納得。それらは財務省(国税庁)怖しだから。

森永氏は、50%に達しようとする国民負担率の増加を厳しく批判する。江戸時代の五公五民どうよう百姓一揆がおきても不思議でない、庶民の暮らしが重税で圧迫されているといい、財務省を解散しないと国が壊れると喝破する。ぼくなんか、借金(国債)が膨らむと将来世代に申し訳ないと素直に考えるのだが、この30年にわたる日本経済の体たらくをみると、存外森永の主張が正しいのではと思ったりもする今日この頃である。

午後から出勤。猛暑のなか駅まで歩くのに青息吐息。 ST書記長より、つばさ会(OB会)の議案書作成の依頼うける。帰路は、ひとつ手前のO駅で下車しウォーキング。運動不足を補うも、A居酒屋でひっかかり生ビールをひとつ。

大谷翔平、エンゼルス泥沼の6連敗。41号ホームランを期待するも不発におわり、気が滅入る。

◇8月8日(火)晴

午前、テレビ、YouTubeで無為に過ごす。 夕方近く散歩かねて図書館へ。新聞、週刊誌等。

映画「男はつらいよ 柴又慕情」第9作1972年8月(BSテレ東録画)マドンナ吉永小百合 ロケ地:金沢、東尋坊、多治見。小百合27歳の作品。78歳の今もYouTubeで核廃絶を訴える姿を拝見したが、変わらぬ美貌と気品あふれる声に参りましたです。

◆8月9日(水)曇雨

テレビ「ルーブル美術館 美の500年第2集」(NHKbs録画) 名画「オダリスク」フランソワ・ブーシェ作)がすばらしい。妖艶な女性を描いた官能美は、先の国立新美術館で現物を観た感動がよみがえった。

雨上がりのちょっと暑さが和らいだので、公園にでかけウォーキング。ウォークマンで落語「笠碁」をききながら30分間。いつもは志ん朝だが、きょうは柳家さん喬の名調子。現役では好きな落語家のひとりだ。

MLBようやくエンゼルス連敗脱出。大谷選手、41号ならず。 ふるさと会T間会長より電話。カジマヤー祝賀会と役員会について、会長判断により全責任をもつので処理するようにとのこと。 YouTubeで、あす発売の週刊文春の驚くべき内容明らかに。内閣官房副長官の赤裸々な性行動。

メール,健康,哲日記,大谷翔平

◎8月4日(金)晴

午前、ひと月前の痛風検査(尿酸値)を聞きに医院へ。結果6.8と基準内におさまる。医師からは「もう少し下げたいので、薬を現行1錠ずつ続けてもらって、しかるべき時期に採血検査しましょう。下がらない場合は2錠にします」とご託宣。こちら神妙にうなずく。向こう2か月分の薬の処方箋をもらい隣の薬局で受けとって帰宅。

録画しておいた大谷翔平選手、二刀流の対マリナーズ戦を早送りで観る。大谷投手、4回を無失点に抑えるも中指の痙攣で降板。バッター大谷の40号ホームランにひとり歓声をあげるも、チーム逆転負け。

藤井聡太棋士、豊島九段を破り王座戦の挑戦権を獲得。午後9時に決着するまでの間、シーソーゲームでひやひやする場面も多々あり、面白かった。これで8冠制覇が楽しみだ。

●8月5日(土)晴猛暑

ふるさと会のK久長老から電話。9月の役員会は出席できないが、今後の会のあり方としては、他の郷友会の来賓等まねかず島出身者等の懇親会とすべき、とのご意見。

JAL予約センターより電話。旧盆帰省の予約席、酸素吸入器を要するお客がいらして、その器具をおく席がないので譲ってほしいとの趣旨。席の入れ替えですむので「了解です」と返答。ちょっと良いことをした気分なり。

ワールドカップ女子サッカー、ノルウェーを破りベスト8、テレビ観戦して歓喜あげる。

◎8月6日(日)晴

宮古島におすまいの元校長KTさんより、ぼくのブログ哲日記を読んでの感想メールをいただいた。

「ありがとう。他人の日記が読めるとは夢にも思ってなかった。凄い。スゴイ。すごいよ。学ぶことが多々あった。日常の暮らしから散歩はじめ歯医者、痛風、膝、禁酒そして映画、テレビ(男はつらいよ)、旅行それに図書館、電車と高度な読書習慣とスタイルに比べ田舎の生活と大違いだ。羨ましい。私は農作業一辺倒だ。大谷翔平、将棋藤井の登場も面白い。感謝いっぱいです」

ぼくからの返信「拙文日記をお読みいただき恐縮しております。しかも、過褒までお恥ずかしい限りです。実名で投稿できる勇気持ち合わせず、知人友人たちによる生存確認と、老後の生活にメリハリがつけばと思ってブログを始めた次第です。先生の晴耕雨読の日常、新聞寄稿による池間島の文化継承へのご尽力等尊敬しています。ありがとうございました」

エッセイ,黒島

8月4日は、ぼくの九死に一生を得た「記念日」 つい忘れていましたが、宮古池間島ご出身の元校長先生からのメールで思い出しました。ここに過去の投稿記事を再掲します。

沖縄ー八重山航路 転落事故の顛末

「お前さんの24時間漂流記、聞かせくれよ」「2,3日海上を漂っていたんだって?」

55年前のぼくの不始末な事故について、興味津々、いまに至るも問われることがある。ぼくも「労働基準法にならって8時間だ」と冗談っぽく返したりするが、その九死に一生を得た体験について、当事者としてふり返ってみたい。 

【海に転落 必死に泳ぐ】

1967年8月4日未明、ぼくは沖縄本島と石垣島をむすぶ貨客船・那覇丸から転落した。当時15歳、石垣二中3年生のぼくは全琉中学校軟式庭球大会で団体戦二連覇、チームメイトとともに八重山へ帰る途中で事故に遭ったのである。前日の3日夕方、泊港を出港した那覇丸は4日朝、石垣港着の予定で船出。夜の航行であるが、8月の海はとても穏やかだった。ぼくは船底の2等客室は蒸し暑いので、同僚のKE君と甲板で寝ていた。涼みがてら甲板には、およそ50人が寝ていた。

そして午前3時頃、宮古島沖合の東シナ海で甲板から海に転落。海中から浮上して気がついたとき、去っていく那覇丸の大きな船尾がみえた。よくスクリューに巻き込まれなかったなと言われるが、当時はただ呆然とさり行く船を見つめたままだった。闇の中で、大海原に浮かぶぼくの目に一条の光が定期的に映る。近くで漁船が夜間操業している灯りではと思った(後に池間島灯台と判明)。その光の方向をめざして、懸命にではなくゆっくりと泳いだ。

力むことなく、泳ぎ続けること数時間。夜が明け、目標としていた灯りも確認することができなくなり、少しずつ波も高くなってきた。波間に一隻の漁船が遠く離れたところで行き過ぎる。目標もない大海原で平泳ぎや立ち泳ぎをしたり、大きく息を吸い込んで仰向けに浮かんだり、無意識に行動をしていた気がする。何か足を突っつく感じ、あるいは足を伸ばせば海底に着く感じ、いろいろな感情が頭をよぎった。

疲労が積み重なってきた。何かつかまる物はないか、浮遊物はないか、そのようなことも疲労が増すにつれて感じた。深夜の転落事故であるが、夜の海は8月初旬ということもあってか寒さは感じなかった。陽があがって夏の強烈な暑さも感じない。空腹感、のどの渇きも感じない。鈍感なのか、死の恐怖、サメに襲われる身震いする怖さも感じない。漆黒の闇の中でも、幽霊の幻想もなかった。冷静なのか、定かではない。

【救助の瞬間 気つけのビンタ】

再び、漁船が一隻通り過ぎた。先ほどより近くに見える。はいていた半ズボンを脱いで振った。漁船に合図を送った。通り過ぎたと思った漁船は、Uターンしてきた。のちに分かったのは池間島の雄山丸である。ぼくを発見した雄山丸は、慎重に近づいてきた。そして、ぼくの周りを2周旋回した。まさか、大海原で人間がいるなんて思いもしなかったであろう。午前11時、ぼくは船から出された竹竿をしっかり握り引きあげられた。すると突然、往復ビンタを張られた。人間、安心したときが一番危ない。海の男の気つけのひとつである。

ぼくは、黒砂糖を溶いた白湯を飲み、おじさん達に借りたシャツとデカパンを着て、うるさいエンジン音をものともせず船室で爆睡した。この間、雄山丸は「少年救助」の打電をし、ぼくが大丈夫そうなので漁場に向かい、希にみる大漁となった。ぼくを乗せ、大漁旗をかかげた雄山丸は、池間島に着いた。そして、警察の警備艇で宮古島へ移送され、I嶺医師(のちの初代宮古島市長)の診察と手当てを受けた。翌日、宮古空港からYS11で石垣島へ帰った。初めて飛行機に乗るというおまけ付きで、8時間におよぶぼくの九死に一生を得る体験は終わった。

【地元では大騒動 救助に安堵】

一方地元では、下船時にぼくが行方不明であることがわかり大騒動となった。警察は、付近航行中の全船舶に緊急無線による捜索手配、警備艇の出動。竹富町役場勤務の父も仕事そっちのけで奔走し、救助に一縷の望みを託す。黒島から祖父と兄がサバニをチャーターして石垣に向かった。叔母のひとりは、ぼくが転落する夢を見たという。那覇からは、母方の祖父が急を聞いてかけつけた。テニス仲間はじめ、多くの皆さんに心配と迷惑をかけた。

僕にとって不始末な事故であるが、新聞でも大きく取り上げられ、へたくそな自筆署名の手記まで掲載され、沖縄県内各地から手紙やプレゼントが寄せられる反響に驚いた。夏休み中の事故からあけて2学期の始業式をむかえる。中学校に登校すると、女生徒から「奇跡の人」「エイトマン」「好きー」などど黄色い声をあびる人生で唯一の経験もした。

【命の恩人へ感謝】

後年、ぼくの友人が宮古島へ社員旅行で行ったところ、バスガイドが池間島の灯台を指さし「この灯台の明かりを目ざし、少年は深夜の海を泳ぎ続けたのです」と紹介したとのこと。東京で社会人生活をおくっていたある日、池間島文化講演会で話をする機会をいただいた。ぼくを奇跡的にも大海原で見つけ、救助してくれた雄山丸が所属する池間島。ぼくの拙い話に島人は熱心に耳を傾けてくださり、笑いあり涙あり指笛まで飛び出すまでに至ったとき、命の恩人の皆さまへ感謝の念が届いたことに、ようやく肩の荷がおりた思いがした。

【黒島とすべての皆さまに感謝】

さほど体格もでかくない私が、8時間も踏ん張ることができたのはなぜか。それは黒島の海で、休暇のたびごとに泳いだことに尽きる。家畜のヤギにあたえる草刈のあと、伊古の桟橋から海に飛び込んで汗をながし、夕陽を眺めることが日常であった。信心深い祖母は「竜宮の神さまが助けてくれた」とぼくに言い聞かせた。作家の澤地久枝さんは「黒島の海は、人間の目がみた最も美しい海と言われるカリブ海よりもはるかに澄んで絶妙の色を呈している。神の領域に分け入ったような海である」と著書に記している。その海に助けられたかもしれない。

ぼくは、古希を超える年まで生きてこられたことを、黒島の海と、ご心配をいただいたすべての方へ感謝しつつ日々をすごしている。それでも事故から55年、トラウマが潜在的にあるのか、自分がはたして現世にいるのか、死後の世界にいるのではないか、と妄想にさいなまれることもなきにしもあらずだ。しかし、次の言葉に出会ってふっきれた。「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(ヴィトゲンシュタイン)。まさに死後の世界こそ「語りえぬもの」と思うからである。

メール,大谷翔平,断酒,映画鑑賞,黒島

◆8月1日(火)晴曇のち小雨

猛暑のなか、日がな一日、テレビでMLB観戦、無為に過ごす。と言いつつ、夕方、夕食をかねてA居酒屋で一杯。

ちょっと酔って、石垣島の長兄へ台風見舞い?の電話。加えて、先日立て替えてもらった親せきの香典について3千円or5千円を確認、というのもすでに3千円を振り込んであるが、ちょっとあやふやになったので。 K区の親せきへ病気見舞いの電話、順調の回復のようで安堵。 KW市のT子叔母より電話。不審者らしき者が家の周りをうろついているとのこと、何事もなければ良いのだが。

◇8月2日(水)晴猛暑

朝、風呂残り湯で布団カバー、シーツを洗濯(すすぎはちゃんと水道水)、猛暑につき速乾。 T間郷友会長の指示をうけて役員会の日程調整、K久長老「そんな高い会費の祝賀会に出席した後で役員会をするなんて大丈夫か、キミはどう思うか」と苦言とお尋ね、ぼくは「大賛成です」と答えた。

散歩をかねて久しぶりの図書館へ。新聞、週刊誌等。 三食とも自宅で、ノンアルコール、立派。

◆8月3日(木)晴

宮古池間島ご出身のKT元校長より地元新聞の投稿記事をいただく。

そのお礼返信メール「台風お見舞い申しあげます。居座る台風被害を心配しています。池間小学校の120年におよぶ歴史沿革と子どもたちの躍動する姿を、楽しく読ませていただきました。さすが、教育現場にいらした先生ならではのことと拝察しました。ぼくの母校黒島小学校も、来年創立130年を迎えるとのことで、東京へも趣意書(寄附金お願い)が届くようです。先生の投稿により、ぼくも母校の懐かしい思い出がよみがえる契機となり、感謝申しあげます」

映画「メジャーリーグ」1989年アメリカ(NHKBS録画) ことし5月に録画したもの、毎日のように大谷翔平選手,MLB中継を観ているので今更と思って敬遠していたが、実に面白い楽しい映画であった。万年最下位のインディアンズが名門ヤンキースを破る痛快コメディだ。

午後より出勤。

哲日記,大谷翔平,映画鑑賞

◎7月29日(土)晴猛暑

暑いので外出をひかえ、YouTube、テレビで映画をみて過ごす。

映画「リベンジ・マッチ」2013年アメリカ(Nhkbs録画)シルベスター・スタローン、ロバート・デニーロ。名作・ロッキーには遠く及ばない作品。老ボクサーふたりが、30年になる遺恨をはらす闘いは見応えあり。スタローンは言うまでもなく、デニーロのボクサースタイルはたいしたもんだ。

大谷翔平選手 39号ホームラン。昨日来、3打席連続ホームラン。

●7月30日(日)晴猛暑

映画「男はつらいよ 寅次郎恋歌」第8作 1971年12月公開(テレ東録画)マドンナ池内淳子、ゲスト志村喬。小学生の子をもつ美しい未亡人(池内)に惚れる寅さん。田舎にくらす父(志村)と子(博)の確執。ふたつのテーマで、より面白い映画となった。

夕方、公園でウォーキング。あまりの暑さにペースあがらず、早々に切り上げる。

◎7月31日(月)晴猛暑

午前、YouTube、テレビで無為に過ごす。

午後から、横浜での花火鑑賞へON委員長らとバスツアーへ。25分で2万発の花火打ち上げに圧倒された。ぼくのいるO市の花火もなかなかのものだが、市長の挨拶があったり、提供スポンサーの紹介があったり、1発ずつ打ち上げるなどノンビリ花火大会。このみなとみらい花火大会は、まるで戦場にいるかのようで立て続けに打ち上げられ、度肝を抜かれた。

ただ、往復の交通混雑はひどいありようで、会場から出口まで1時間もかかり参った。おかげでビールを控える結果となり節酒の身には結構なことなり。

哲日記,映画鑑賞

◆7月26日(水)晴猛暑

映画「トゥームレイダー」2001年アメリカ(NHKbs録画)アンゼリーナ・ジョリー主演のアクション映画。晩酌にワインを飲んで気楽に観たせいか、途中で眠たくなった。失礼ながらその程度の映画かもしれない。

藤井聡太棋士、王位戦第3局勝利、対佐々木七段。ABEMAテレビでライブ中継、藤井が佐々木を追い詰める1手、1手に迫力を感ずる。

◆7月27日(木)晴猛暑

午前、YouTubeで週刊文春編集長の話をきく。木原官房副長官の妻の前夫不審死の件。当時、捜査にあたったエース刑事が退職後、実名で証言。「妻に人殺しはできない、他に真犯人がいる」と推理小説をはるかにしのぐ話し。他のメディアのこれ以上の沈黙は解せない。発売部数最多の文春のひとり勝ちもむべなるかな。

午後出勤。駅までの数分間歩くだけでも熱風にあおられてたいへんだ。わが生まれ島・黒島でも経験しない猛暑なり。

◆7月28日(金)晴猛暑

大谷翔平、ダブルヘッダー1戦目は9回完封9勝目。2戦目はホームラン37,38号。漫画見たい。

先輩との会食のため、新宿へ。その前に、伊勢丹にてスカーフらしきものを求めた。冷房が効きすぎると寒いのでその対策用だ。が、デパートは高い。反省。その後、紀伊国屋書店へ。90分もいて1冊も買わず。会食まで時間があったので、歌舞伎町界隈を散策。ずいぶん変わっていた。昔なじみの沖縄料理屋南風もすでに店じまいしてあった。

会食は、K夫妻とその従妹たち。学生時代、先輩の叔父が営む電気工事店でアルバイトをさせて頂いたことがあった。そこの娘さんも参加するので、ぼくもよばれたようだ。当時4,5歳の娘が50歳過ぎの大人になった姿に接し、光陰矢の如しを実感した。

哲日記,大谷翔平,映画鑑賞

◆7月23日(日)晴

映画「男はつらいよ 奮闘編」第7作、1971年4月、マドンナ:榊原るみ(花子)、ロケ地:鯵ケ沢、沼津。知的障害をもつ花子と寅さんの交流を描く。心優しき寅さんと天使のような純粋な花子との間は、親切な世話焼きから愛情が深まりついに結婚まで大真面目に考える寅さん。そして望みかなわず自殺をほのめかす寅さん。心配して津軽にかけつけた妹さくら、そこには土地のオバァ達に囲まれて談笑する寅さんがいた。

ロケ地の津軽、50年以上前の弘前駅も映し出されたが、ぼくも今月2日旅行で訪れた弘前駅との違いがくっきり。でも、岩木山は、スクリーン上も今も変わらず雄大であった。

公園でプチウォーキング。 その後水風呂をあびて、缶ビール飲みつつ大相撲千秋楽を観戦。モンゴル出身の豊昇龍が初優勝。 MLB大谷翔平選手、3三振とふるわず、ベンチで怒りにまかせてヘルメットを叩きつける。びっくり。

◆7月24日(月)晴

午後から出勤。不快なことあり。仕事とはストレスと隣り合わせ。帰路、図書館で新聞等、八百屋でキャベツ丸玉ひとつ。A居酒屋で一杯。

大谷翔平選手、36号ホームラン。5試合ぶり。ちょっと安堵。

◆7月25日(火)晴 猛暑

母校八重山高校・ソフトテニス部が北海道でのインターハイ出場と、従弟MMくんからLINE連絡。惜しくも滋賀県代表に惜敗。「翔太郎くんはじめ皆さんの健闘むなしく惜敗は残念でした。今夜は北海道の旨いものを食べて、次のステップへ勇躍されますよう期待しております。ぼくなんかの時代より、はるかに立派な成績ですばらしい活躍でした。大谷翔平と同じ名前を共有しているので、これからが楽しみですね。それでは旧盆に会いましょう。地獄のような暑さの東京にて」と、主将を務める従弟長男あて激励メールをおくった。

立川にて映画を観る。「君たちはどう生きるか」宮崎駿監督・脚本。久しぶりのアニメ映画、娯楽作品として楽しめた。そして世界平和へのあくなき追求を若者へおくるメッセージとして、82歳の宮崎駿の情熱を感じた。かつて記者会見で安倍政治を愚劣と断じた面目躍如なり。

立川では書店2か所を徘徊。新刊本コーナーで『沖縄の生活史』(みすず書房4,500円)という900ページにおよぶ本が平積みに。復帰50年を機に、沖縄タイムス紙で100人が100人に聞くという連載記事を本にしたもの。そのなかのひとつで「おい福峯、お前、沖縄復帰させてもらって良かったなぁー」って言った一言で、俺、胸ぐら捕まえて大げんかしたよ、と語るのは二中同期生。偉いぞ!S宝くん。

帰宅後、井上尚弥選手が挑戦する世界スーパーバンタム級戦。テレビ放映なく、ネット中継で視聴、8回TKOで勝利。お見事。

健康,哲日記,黒島

◆7月20日(木)晴

午後、新宿へ。SOMPO美術館にて「山下清展」を観る。放浪の天才画家・山下清の生涯を、彼の作品を通してたどる、素人のぼくにも楽しめる展示であった。 常設のゴッホ「ひまわり」も、数年ぶりに鑑賞。名画であろう。

午後4時、近くのH海道居酒屋で学生寮当時の先輩友人と会食。H嘉夫妻、I垣夫妻、O浜氏とぼくの6名。昨年10月以来の集まり。皆さん、古稀過ぎの年齢にもかかわらず元気ありすぎ。なかでもINさん、がんを患って闘病中にも関わらず快活に話すことしきり。すると、HKさん「がんなのに嬉しそうに話すのはあり得ん。お前さん国からなにか給付金でもあったのか」と、率直な問いかけ。

給付金なんかないが、妻が患った時から比べても医療費は安くなったとか、健康診断で発見されたとか、抗がん剤でこれから頭がはげるとか、諸々をいっそうのトーン高く話してくれる。 近藤誠教のぼくとしては、もし健康診断を受けていなかったらがんを発見されず、普通に生活を送れていたはずよと思ったが言わずにとどめおいた。 いずれにしても早期快癒を願うばかりである。

◆7月21日(金)曇雨

午後から出勤。駅についてスマホ(Suica)がないことに気づいた。暑いなか家に戻るのもしんどいなので、現金で切符を買うことにした。実に数年ぶりかもしれない。千円札を入れて画面の「切符」を選択しようと押すと、急に画面が切り替わって410円のボタンを押していた。180円のU駅へ行くのにである。

やむを得ない、電車がせまっていたので410円の切符で乗った。それでも諦めきれずに下車駅で、駅員さんに相談。すると、未使用切符の押印と、180円の支払いで済んだ。帰りの乗車駅で410円の支払いをゲットしてひと安心。いずれも駅員さんの親切な対応で事なきを得たのである。 それにつけても、酒飲みには4~5千円を平気で費消するのに、410ー180=230円の損であたふたする自分が情けない。

◆7月22日(土)晴

K区の入院中のS川妻より電話。「うちのひと大変なことになったサー」というのでビックリ。退院後の生活指導を受けるため面談室で待っていると、当人は病室から点滴のラックを引きながら出るときに躓いて転倒。結果、大腿骨骨折となり月曜日に緊急手術という。退院を目前にして災難極まれりだ。でも、「退院とか、手術とか」体力がないとできないことなので、回復途上にあると思って気を強くもってほしい。

郷友会のK久さんより電話、「T間会長へ何度も電話するがつながらない」という、デジャヴ感否めない。ことしの4月にも同じことがあった。K久さん「総会を中止するにしても、せめて役員会を開いて決めるべきだ」との意見を会長へ伝えたいとのこと。それはその通りだ。まぁ仲良くやってほしいもんだ。ぼくが知っている番号をお伝えしたが、結果は?

大谷翔平選手 二刀流で8勝目あげる。打は、四球責めでホームラン不発。対

哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,読書,食事

7月17日(月)海の日 晴 猛暑

朝、寝床で読書 城山三郎『無所属の時間で生きる』新潮文庫。心に迫る随筆集、とは同書の宣伝文句。城山は2007年に他界。「お別れの会」の弔辞について、高杉良が同書の解説で紹介している。佐高信氏は「個人情報保護法案に反対した往時の鬼気迫る城山さんを語った」 渡辺淳一氏は、再婚話を持ち込んだときの「そんなつもりはない。その人、君のお古じゃないの」と城山さん反発。 お色気作家の大家・渡辺氏らしい弔辞なり。

MLB大谷翔平選手、34号ホームラン、対アストロズ戦。  図書館へで新聞、週刊誌等。

7月18日(火)晴 猛暑

郷里から贈られたパインジュースをつくって朝食代わりに頂く。公園へウォーキングへ出向く。午後4時にもかかわらず暑くて、呼吸は苦しく心臓はパクパクだ。

大谷翔平選手の活躍(35号ツーラン)によって、ヤンキースに勝利。 藤井聡太棋士、棋聖戦4連覇でタイトル防衛。対佐々木七段3勝1敗。

7月19日(水)晴

朝、ベッドで読書、吉村昭「ひとり旅」文春文庫。吉村昭の死後編まれたエッセイ集。妻の津村節子が同書の序を記しているが、「物を書く女は最悪の妻と思っていたが、せめてこれが彼にしてやれる最後の私の仕事になった」という。吉村が取材のひとり旅へ向かうとき、銀行へ立ち寄ってATMから10万円を引き出そうとして、ぽとりと10円玉が出てきて泡食ったという、楽しいエピソードもある。

映画「男はつらいよ 純情編」第6作 1971年1月公開、テレ東録画。マドンナ若尾文子、ゲスト森繁久彌。ロケ地:五島列島(福江島) いまから50年以上前の映画。当時37歳の若尾文子すでに美魔女なり。森繁久彌の渋い演技、感嘆!