テレビ,哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,食事,黒島

午前、MLB 大谷翔平選手、2安打、一時は勝ち越しタイムリーを放つもレッドソックスに2連敗。

映画「I ㏂ sam」2001年、アメリカ。(NHKbs録画)出演 ショーン・ペン、ミシュェル・ファイファー、ダイアン・ウィースト。知的障害をもつ父親が、可愛いを娘を懸命に育てようとする感動作。ことし2月、那覇で初めて会ったぼくの従妹J子の娘(23歳)も知的障がい者であるが、母娘仲良く黒島の牛まつりに出かけたり、東京ドームの野球観戦もするそうだ。帰京後、ぼくからJ子さんへ「娘さんが結婚するとき、ぼくも必ず披露宴へ招待してください」とLINEを送った。結婚? 素人のぼくには判断できないが、この映画を観て、すべての障がい者ができるだけ「ふつうの生活、ふつうの人生」を送れるような世の中であってほしいと思った。

きょうも外出せず、自宅でありあわせの食事、そういえばお米のご飯は二日間、食べていなかった。風呂に浸かるのは困難なので、シャワー後、就寝。

テレビ:「NHKスペシャル羽生善治 52歳の格闘~藤井聡太との七番勝負」「ETV特集 誰のための司法か~団藤重光 最高裁事件ノート~」「ザ・ノンフィクション ボクらの丁稚時代2023」

 

テレビ,哲日記,大谷翔平,断酒,読書,黒島

午前、ベッドのなかで読書「青べか物語」山本周五郎、「旅のつばくろ」沢木耕太郎。大谷翔平選手、1四球、ヒット1と頑張るもレッドソックス戦敗れる。 録画しておいたテレビ番組「にっぽん縦断 こころ旅 とうちゃこ」石垣島、与那国島、火野正平さん、ぼくより年長だけど元気ですね。 「ドキュメント72時間 岡山 24時間営業のドライブイン」大型車をあやつる女性ドライバーがいることに感銘。 「アナザーストーリーズ 運命の分岐点 高倉健と幸福の黄色いハンカチ」ぼくの好きな映画のひとつ。良い番組だった。

相変わらず痛風の痛み続く。先日お亡くなりになったMKさんのお通夜の件で、郷友会長老のKKさんと電話連絡。まだT間会長と連絡とれないようす。大丈夫かな? 何事もなければよいのだが。

今日は、一歩も外出せず。 入浴:団地の浴槽はほぼ正方形、痛風によって膝をまげることもできず四苦八苦。就寝。

哲日記,断酒,読書,食事,黒島

6時起床。 ベッドで読書。「草筏」瀬戸内寂聴。 朝食。

甲子園 沖縄商学ー東海大菅生 0-1で惜敗なり。 沖尚らしからぬ凡ミスが目立ちましたね。

昼食(具たくさん味噌汁)、ご飯。大根ぬか漬け。 昼寝。

散歩、図書館(新聞、藤沢周平「橋ものがたり」読む)、自宅にて夕食。迎え酒無し!

昨年10月、母校学校図書館へささやかなカンパをお届けしたところ、校長先生よりあらためて丁重な礼状とともに購入リスト(60冊)がとどく。「学校図書館にない書籍が増えたことにより、利用回数や貸し出し冊数も増えています」とのこと。なによりです。小1から中3まで児童生徒数19名。卒業生3名高校合格し島を離れる。新1年生3名。 わが母校踏ん張ってますね。ありがとう。

映画「男はつらいよ 寅次郎の青春」1992年12月(テレ東録画) マドンナ:後藤久美子、風吹ジュン。ロケ地:下呂温泉、日南。床屋の女店主・風吹ジュンに惚れられるも、臆病な寅さん。泉と満男、東京駅ホームでの別れのキスシーンは涙を誘う。

メール,哲日記,黒島

6:55起床。昨夜、アレルギー症状かゆみ止めの薬飲んだせいか、トイレに起きることなく熟睡できた。朝食。

午後から出勤。笠張浪人ならず袋詰め作業を手伝う。帰路、図書館のぞくも休館日だ。

宮古島のKT元校長より、ご自分の新聞投稿記事がメールにて送られてきた。

僕のお礼の返信=投稿「あの頃の頭上運搬」拝読させて頂きました。池間島の往年の賑わいぶり、ひしひしと感じることができました。わが黒島でも、祖母や叔母たちが、畑で芋を掘って自宅に持ち帰るときの頭上運搬、よくこぼれないものだと、お見事でしたね。いつも先生の玉稿、ノスタルジーを感じつつ愛読しております。厚く感謝申し上げます=

自宅にて夕食。Yahooニュースで「袴田事件、検察、特別抗告断念」記事を探すも見当たらず。ほぼWBC一色。ぼくもWBCは好きだが、この袴田事件のえん罪が晴れ、無実の扉がようやく開いたことに大いに拍手をおくりたい。

入浴。就寝。

エッセイ,メール,哲日記,黒島

15年前、石垣島のひなびたゴルフ場で友人の黒島A三くんとプレーをしていたとき、兄のK生から携帯に電話があった。「従弟のSHくんが亡くなった」という。びっくりしてゴルフを切り上げ、あれこれ連絡をとりあったところ、従妹のOA嬢から「中学校陸上競技大会の全国大会へ出場している、娘ふたりを告別式へ間に合うようにお手伝い願います」とのこと。「お安いご用で」と思ったかどうか定かでないが、休暇をきりあげ急いで上京して対応した。後日、そのあらましを日本最南端の月刊誌『やいま』に寄稿したことがあったので再掲する。

僕より年少の従弟SH君の急死は驚きであった。心臓への負担をかえりみず、昼夜を分かたず仕事に励んでいたという。沖縄本島における葬儀へは参列できなかったが、僕には次の任務が与えられた。新潟開催の全国中学校陸上選手権に出場中のSH君の娘ふたりを、葬儀へ間に合うように沖縄へ帰すサポートをしてほしいとのこと。さっそく監督と連絡をとり、娘たちを乗せた上越新幹線を夜半の東京駅ホームで迎え、翌朝早朝便にて羽田から沖縄へ見送った。

双子の可愛らしい中学生であるが、父を失った悲しみの表情を浮かべるときもあり、側にいていたたまれない思いもした。しかし、気丈にも「沖縄県代表として恥ずかしくないよう400mリレー走で自己ベストを更新した」と話してくれた。悲しみの中にも、アスリートのファイトをみせた一瞬であった。  『やいま』2008年10月号

東京駅で迎えて浜松町で夕食をとり、モノレールにて羽田空港へ。ターミナルに隣接するホテルでのチェックインを見届け、ぼくは蒲田のビジネスホテルに投宿。翌朝、羽田空港で無事見送ったことを思い出す。(いまや昨夜の夕食も思い出せないが、15年前のことよくおぼえているねぇ)

これまでは、15年前のできごと。これからは、最近の「すてきなメッセージ」との出会いである。

ことし2月中旬、ぼくは那覇でいとこ達との食事会をもった。そのとき、T家のグループLINEにいれてもらった。それがきっかけで、すてきなメッセージとであったのである。

T司さん、ご無沙汰しております。
SHの双子の娘のMKです!T家のLINEでT司さんのアカウントを知り感謝の気持ちを伝えたくご連絡差し上げました🙇‍♀️

15年前の父の告別式の際は、新潟遠征中の私たちを東京→沖縄へと帰省のご支援をしていただき本当にありがとうございました。T司さんのおかげで、父との最後の時間を過ごし悔いなく天国へお見送りする事ができました。

あの頃中学生だった私たちも、今年で30歳になります。親戚の皆様の支えがあり、無事大学を卒業しMSKへ就職する事ができました。昨年は結婚を機に鹿児島へ引っ越し、同社の鹿児島支店で働きながら新しい環境に奮闘しております。
機会がありましたらご一緒にお食事できると嬉しいです!
ちなみに名字はS改めてAになりました✨ 今後ともよろしくお願いします🙇‍♀️

つづいて、双子のもうひとりの方のメッセージ。

T司さんご無沙汰しております。
同じくSHの双子の娘(妹)のMWです。MKと一緒に、T司さんのアカウントを知り、感謝の気持ちを伝えたくご連絡差し上げました🙇‍♀️いきなりののご連絡で失礼致します。

私も昨年結婚をして名字がSから、Nになりました(^^)
今年で30歳になる私たちですが、今、幸せに暮らせているのもT司さんはじめ、親戚の方々が温かく支えて見守ってくださったおかげです。
私もMKと同じく大学へ進学し、現在は那覇市にあるOSDに入社して7年目となります。
父が繋げてくださった親戚の皆さまとの繋がりと、感謝を忘れず、これからも仕事や普段の生活を通して自分を磨いていけるように励んで参ります。

今後とも末永く、宜しくお願い致します(^^)💐 T司さんが書いてくださった記事も、実家で大切に取っております。😊 (当時の『やいま』表紙と記事の写真を添付)

このメッセージをうけて、ぼくはビックリするやら嬉しくなるやら、欣喜雀躍な気分←ちょっと古いかな。

とてもステキなメッセージをありがとうございます。年甲斐もなく涙そうそうの気分になりました。おふたりのことよく覚えています。東京駅のホームで不安そうにたたずんでいる姿をみた時、なぜ早く来てあげることできなかったのか、と申し訳ない思いをしたこともありましたね。いまや立派な社会人となり、結婚生活も良き伴侶に恵まれ幸せにお暮しとのこと、ほんとうにおめでとうございます。

SHくんの早世、今更ですが残念至極です。優しく強いナイスガイそのもの。でも、素晴らしいお嬢さんたちをこの世に残してくれたので、折り合いをつけないといけませんね。小生、年金暮らしの毎日が日曜日の身。上京の際には連絡ください。よろしかったら食事でもしましょう。
AJちゃん親子、「東京行くのでビールごちそうしてね」と先日、那覇にておねだりされました(笑)お母さまにもどうぞよろしくお伝えください。

おふたりからさらに返信。

あの時のことも鮮明に覚えていてくださり、ありがとうございます😭
私たちも、はじめての新幹線で心細いなかT司さんが迎えにきてくれてとても安心したのを覚えております。お父さんの娘として恥じぬようこれからも前向きさと感謝を忘れず過ごしていこうと思います(^^)
ぜひ、MKと東京に行く時にはご連絡させて下さい。🙇‍♀️✨

母も、T司さんにとても感謝しておりますので宜しくお伝え申します😊喜ぶ顔が目に浮かびます!

ご丁寧にお返事いただきありがとうございます😭
司さんがいなかったら東京駅で迷子になって羽田空港にも辿り着けなかったと思います。。
あの時は父のことで頭がいっぱいでちゃんとお礼が出来なかったのが心残りで、こうやって感謝の気持ちを伝えられて良かったです😭✨
父に教わった優しさや心の強さを胸に頑張っていきます💪MWと東京行く際は、またご連絡させて下さい😆

15年前の一瞬の出会いから、時を経て15年後にすてきなメッセージをいただく! SNSのなせる時代に感謝します。

哲日記,断酒,読書,黒島

朝8時起床。右手首の関節が痛む。ここのところの深酒がたたったせいか、痛風の症状だ。昨年は、左肘の痛みに悩まされた。左、右と共産党から自民党にくら替えしたつもりか、反省なり。

石垣島の友よりメール。TC先生の新聞投稿の添付付きで。母校・八重山高校行進曲のエピソードがおもしろかった。

メールには、古希の同級生ふたりがスナックをはしごして午前3時まで飲んだ、との記述も。ぼくから「A三くん 元気でなによりだ。老人ふたり組が午前様とは、驚異だ。」と返信。

東京で親しくお付き合いしているIN先輩より電話。「妻と帰省中だが、あんた、黒島牛まつり来なかったかい」 ぼくが、友人の通夜のため那覇へ行ったばかりと答えると「僕らの年代、いろいろ欠ける人がでてくるね。会える時に会いましょう。飲み会、セット頼みますよ」と。

二中同級生のSR嬢からメール。先延ばしにあった沖縄八重山料理での会食の件。これでは痛風と縁が切れないはずだ。

◆2月27日(月)

 午後出勤まえに図書館へ。沢木耕太郎『馬車は走る』を借りる。石原慎太郎が美濃部知事に挑戦した、東京都知事選のルポ記事「シジフォスの四十日」を読んだ。沢木は記す。「なぜ負けたか。理由はひとつ、彼が石原慎太郎であったことだ」と。それを裏付けるエピソードがおもしろい。それにつけても沢木が20代半ばの文章である。文才あふれる作家だ。

前夜、A居酒屋で飲んだ時、100円勘定足りず。店主は結構ですよと言ってくれたが、返金を口実に同店に出向いて飲食。

テレビ,哲日記,読書,食事,黒島

6:30起床。気温0℃。

将棋王将戦、藤井聡太vs羽生善治、2勝2敗の好勝負。ネットで棋譜を確認しつつ、テレビでサンデーモーニング、大阪マラソン中継、読書:城山三郎「よみがえる力は、どこに」、ブランチを作って食す。城山著書は講演録をまとめたもので、78歳で国鉄総裁に就任した石田禮助のエピソードが面白い。国会議員に対して「国鉄の現状は、諸君にも責任がある」と言い放ち、勲章を拒否し、「粗にして野だが卑ではない」と面目躍如ぶりだ。

きょうは黒島牛まつりだ。この前、食事会で一緒の従妹AJ親子は、牛まつりにお出かけのこと。1等賞は牛一頭だ。当たったらおすそ分け期待。AJさんは医療従事者。コロナでたいへんな苦労をしたことでしょう。大いにエンジョイしてほしいものだ。

◆2月25日(土)曇

 午後、久しぶりに公園へ。河津桜が7分咲きか。ウォーキング。帰路、MK薬局にて歯ブラシ、お風呂用洗剤、食料品等の買い物。手袋の片方を失くしたことに気づく。入店の際にポケットに入れたはずだが、右手袋のみ落とした。レジの方に訊くも届け出無しという。

入浴後、A居酒屋にて夕食とは名ばかりの酒飲み。先日、客がぼくのダウンジャンパーをまちがえて着て帰ってしまったところ、同ジャンパーが戻ってきたとのこと。焼き菓子のお詫びの品とともに。ユニクロで求めた古びたものを間違えるなんて、なんともいやはやなり。

◆2月24日(金)雨

 午後から出勤、2時間後、都心へ向かう。S元官房副長官が主宰する勉強会へ。財務省幹部から「令和5年度税制改正について」との講話あり。家計金融資産の半分、1,080兆円が現預金なのでそれをNISAの拡充によって投資にふりむけさせるべくとの説明。諸外国にくらべ日本国民の投資活用がはるかに低く、一人当たり国民所得を向上させたいとの狙いを強調するも果たしていかが。 それよりも国民負担率が50%(昭和の時代は20%)に達しようとする重税感、圧迫感を除去してほしいものだ。

★2月23日(木)

 天皇誕生日。テレビでは令和初の一般参賀の様子が流れている。午後から出勤。帰路図書館へ寄る。新聞、週刊誌等をななめ読み。週刊朝日の下山治連載コラムのなかで、沢木耕太郎の石原慎太郎論が面白い、との記述が目にとまる。そして、その論述が載っている本は絶版につき古本を求める方がよいとのご託宣。さっそくアマゾンで検索すると文庫本で4,000円なり。やむなく図書館で借りることにする。酒代は惜しむなく使うのに本代はケチる、嘆かわしい。

いつものA居酒屋で夕食兼飲酒。帰りに、自分の上着を探すもない、同系統のダウンが掛かっているのみ。先客が間違えたので。その昔のお嬢さんの服を着るわけにもいかず、上着無しで帰宅。熱燗が効いたのか寒さ不感症なり。

★2月22日(水)

 久しぶりの駅前温泉へ。ジャグジーでふくらはぎと腰を噴射してマッサージ。サウナと温泉浴と、熟睡に効果大なり。

哲日記,断酒,,読書,黒島

2月16日(木)

午前、沖縄のKHさんから訃報届く。かつての仕事上の仲間であり先輩のKH嬢が亡くなったとのこと。享年77歳。出会いは45年前、ともに激烈な選挙戦に取り組み勝利の美酒をあじあうこと7回、落選の悲しみを共有すること1回、その後、お互い仕事も変わり那覇と東京ではめったに会えなくなったが、生涯の友(ぼくが勝手に思っていたが)として、お付き合いをいただいていた。

東京の拙宅から羽田空港へ向かい、午後3時発のJAL便へ飛び乗り那覇のD寺のお通夜にかけつけた。連絡をくれたKHさん、SSさん、OY元委員長が待っていてくれた。闘病生活からの解放であろうか、KHさんのお顔は安らかであった。ご冥福を祈り焼香させていただいた。

那覇市前島のホテルに投宿。コンビニで買った缶ビールでひとり献杯した。

2月17日(金)

午前、散歩。福州園、対馬丸記念館へ入館し見学した。戦時中、大勢の子供たちが疎開する途中で米国の潜水艦の魚雷により沈没し犠牲となった。友の死の悲しみのなかで、胸つぶれる思いが倍加した。

午後、KHさんの出棺の儀に参列し、最後の別れとなった。叔父さんのひとりから、「H子はいちばんできぃやー(頭が良い)であった。村いちばん足が速く200mの記録をつくった」と、細身の彼女から想像できないエピソードをうかがった。参列者の数が少ないのは、「彼女の遺言、新聞広告も禁じていた」とのことであった。ぼくが東京から来たことも想定外のようで、過分の感謝を述べられ恐縮した。

夕方、JNK堂の書店をのぞく。沖縄関連コーナーにあった上間陽子著『海をあげる』を購入。50歳の大学教授の文章があまりにも柔らかく、かつ内容が豊かで刺激的でおもしろく東京に戻る間に読み終えた。

安い居酒屋でひとり夕食。ニンジンしりしり、ゴーヤチャンプルを注文し、量の多さと同じ炒め系なので辟易した。お代は県クーポンを使って間に合った。

2月18日(土)

首里城を見学。焼失後、再建途上なので周りの石垣のつくり、高台なので見晴らし等を楽しんだ。つぎに、県立博物館・美術館へ出向く。何と美術館の入場料は、県内外問わず老人は無料とのこと。迷わず美術館へ入館。鑑賞。

いったんホテルに戻りシャワー。夕方からは、甥のK、従弟妹のOA、AJ、SNとその子たち7名と会食。現役時代に積み立てておいたJAL旅行券がなかなか使う機会がなかったので、同ホテルのレストランでの食事代に充当。いとこ達のほとんどが30年以上会っていないので、懐かしく楽しいひと時を過ごす。

従妹のAJは大きな病院の看護師長をつとめ、定年後は同病院で看護師として再雇用の身。ぼくが那覇に来た用件を話すと、亡くなったKHさんは私が担当した患者さんだという。まったくの偶然の一致なり。「KHさんは、凛とした立派な患者さん。助けることができなくて残念です」と言ってくれた。

2月19日(日)

午前、新県立図書館へ行った。与儀にあった古い図書館が、旭橋駅と近接する見事な図書館へと変貌していた。沖縄関連図書コーナーはほんとに充実している。菊池寛賞に輝いた『竹富方言辞典』は、その分厚さで他を圧倒するがごとく陳列。當山善堂著『精選八重山古典民謡集(CD付)1〜4巻』や、沖縄出身の作家コーナーもあり1日居ても飽きないこと請け合いだ。

遅いブランチをとろうと国際通りを散策。歩行者天国となっていて、子どもたちの駅伝大会がありぼくも手をたたいて応援。泡盛の名店があったので、友への土産を購入して発送してもらう。公設市場そばの八重山そば屋でようやく食事。いえ、生ビール、麩チャンプル、八重山泡盛のおもと、と昼飯とは名ばかりの昼飲みとあいなった次第。再びぶらぶら散歩。近くには、1961年若くして亡くなった母の実家もあるが、どうも敷居が高くましてや昼飲み後に尋ねるわけにもいくまい。

そして、いよいよ今回の旅の最後の晩餐だ。安里駅前の郷土料理・ヒージャ屋(山羊料理)へ日が暮れて出向く。実に4年ぶりだ。店に入るとどうも女主人の機嫌が悪い。カウンターには、空の財布と貯金通帳が飲み残しのグラスと一緒に放置されてある。どうも酩酊した客が隣の人に絡みだしたので「もうお帰りください」と促すと、怒って「金がない」といって飛び出して行ったそうな。

ぼくが「ママさん若返りましたね、コロナで大変だったでしょう」というと、「アンタ、うち分かるね」と言いつつも、山羊刺し、チイリチー、山羊汁と素早く出してくれて、「だー、ビールちょうだい」とおねだり。どうやら機嫌もなおり、つつがなく山羊料理と泡盛の最後の晩餐をおえた。

2月20日(月)

午後便で帰京。羽田空港からモノレールで東京駅へ。たまたま発車直前の特急八王子に飛び乗った。案の定、車内で購入する特急券は、事前にスマホでチケットレスで買うより400円弱高かった! 行きつけの居酒屋で旅の疲れをとり、あらためて友人KHさんのご冥福を祈りつつ自宅で就寝。合掌。

哲日記,断酒,読書,黒島

5時45分起床、気温2度。読書、二度寝、8:15再起床。

『与那国沖 死の漂流』伊良皆高吉著 南山舎2023年1月発行。1957年1月、与那国沖12マイル付近で、石垣ー与那国航路の貨客船が沈没。乗員乗客28名が遭難漂流し、台湾の軍艦に12名が救助され、16名が死亡・行方不明となる大惨事である。当時、二十歳の著者が死の恐怖と闘いながら懸命に生き抜こうとする凄絶なドキュメントだ。

黒島に生まれたぼくも、幾度となく黒島ー石垣間の船に乗って、荒天時の船の上下・左右の激しい揺れを体験しているだけに、実感をもって読んだ。海面から船が浮き上がり、直後海面に叩きつけるように落下し、船底も割れんばかりの音と振動はクワバラクワバラの心境になること必至だ。

かつて娘がうまれてまもなく、北海道出身の妻とともに黒島へ。石垣へ戻るとき、荒れた海を前に見送りにきた友人が「この荒れ方は尋常でない」と妻を脅したことがあった。海とは縁遠い心配した妻から大丈夫?見合わせたらと言うも、ぼくは聞く耳持たず、この船逃すと東京へ戻れんぞ、と却下。この優しくない対応が、のちの離婚につながった原因のひとつであったかもしれない。

昨日は、藤井聡太ー羽生善治の王将戦第4局。持ち時間8時間二日制の対局、朝9時、前日の藤井聡太の封じ手が開封される。大方の予想は銀を動かす、ぼくのは王を動かす、結果ぼくの予想が的中した。あの藤井5冠と素人のぼくの予想が当たった。良い気分だ。雪降る中、駅前屋上の露天風呂につかりながらも王将戦の結果が気になる。そして、風呂上がりの休憩室でスマホで確認すると、藤井敗れたり! 夕食は、3日続いた禁酒も破れたり。

哲日記,読書,黒島

5時起床 6度。暖かい、高橋源一郎を読む。二度寝。8時再起床。

敬愛するTY兄さんの告別式は無事終え、本家として生花をお供えさせていただいたと兄から連絡あり。那覇在住の黒島の同級生YMさんもお通夜に参列され、「年明けのわずかな期間で、すでに5回葬儀に行った」ようだ。沖縄・八重山に暮らす人々にとって、冠婚葬祭の多さは、都会の片隅でひっそり生活しているぼくなんかとくらべ段違いに多いだろう。ご苦労察します。

車谷長吉著『世界一周恐怖航海記』読了。60歳にして初の外国旅行。妻であり詩人の高橋順子、おなじ詩人のお涼さん3人連れの旅。ふたりは40代後半に結婚した初婚どうし、順子さんが「結婚したら家を買ってね」とおねだり、長吉ガンバって都心に一戸建てをゲット。すると「こんどは船で世界一周旅行に連れて行ってね」と。あの頃、作家稼業は儲かったんですね。

2005年12月横浜出港~6年3月帰国の南半球周りの旅は、長吉一流の文章で読ませてくれる。一流の文章とは何ぞや。彼の場合は、自らの恥部を臆面もなくさらすことかな。「チリの軍港に上陸し街並みを順子さんと散歩していて、どうにも便意を我慢できず洋品店の前で糞した」(ホンマカイナ)と思える記述あり。