テレビ,哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,読書

◇8月17日(木)晴

大谷翔平選手、42号ホームランを放ちレンジャーズ戦に勝つ。 午後より出勤、猛暑に、恥ずかしながら折り畳み傘をさして駅へ。

映画「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」11作、1973年8月、bsテレ東録画。マドンナ浅丘ルリ子、ゲスト毒蝮三太夫、ロケ地・網走 旅回りの歌手リリー(浅丘当時32歳)初登場、以後5作でマドンナ役最多。

◆8月18日(金)晴猛暑

テレビ「徹子の部屋・ゲスト戸田奈津子」映画字幕翻訳家、87歳の戸田さん、おしゃべりの速さに頭脳明晰ぶりがうかがえる。トムクルーズのアクションはすべて本人がやっている、と言うので、それでは映画館でミッションインポッシブルを観に行こうと思った。 「超貴重映像で迫る!イリオモテヤマネコ 進化のミステリー」(NHK)良い番組だ。早稲田大学の教授が毎月西表島に通って、イリオモテヤマネコの研究を行っていることに感銘。

午後出勤、猛暑につき青息吐息で駅まで歩く。

夜、映画「ゴッドファーザー」1972年、NHKBS録画、マーロン・ブランドの演技すさまじい。 若いころ、新宿歌舞伎町で観た記憶あり、デートしたWK女子寮糸満出身の年上美女はその後いかに。

◇8月19日(土)晴

朝5時、ベッドで読書『複眼で見よ』 社会部記者の本田靖春が、政治部記者を「派閥記者」と呼んで批判するコラムのなかで、次の文章が目をひいた。自民党の派閥領袖の某実力者が死んだときーー故大宅壮一氏が、ある民放の取材にこたえて、彼を「恥部を頭の上にのせたような古いタイプの政治家です。日本にとって、どれだけ害になったかわからない」ーー 本田は、その発言を大宅の自宅へ電話を入れて確認して以降、ジャーナリストの先達として、ひそかに尊敬するようになった、と結ぶ。

大谷翔平選手、43号満塁ホームラン。

映画「ザ・フォームー法律事務所ー」1993年アメリカ(NHKBS録画)トムクルーズ、当時31歳。破格の高給で弁護士事務所にやとわれたクルーズ弁護士、が、そこはシカゴマフィアの隠れ蓑事務所。やくざに追われたクルーズが建物から飛び降りるシーンもあるが、戸田奈津子説に従えば、それもスタントマンなしのトムがやっていることになるね。

哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,読書

◎8月14日(月)晴雨曇

大谷翔平選手、ようやく41号ホームラン。対アストロズ戦、2-1 大谷のホームランが決勝点

午後から出勤、電車に乗っていると突然豪雨と雷、びっくりしたなー

帰路はひとつ手前のO作駅で下車しウォーキング。途中公園で水を飲み顔を洗ってさっぱり。そして、A居酒屋で大谷ホームランを祝して生ビール、冷酒、ハイボールをいただく。酒飲みの言い訳にしてすまない、大谷さん。

●8月15日(火)雨

終戦記念日、関東ではお盆休暇。10年前に若くして亡くなった甥っ子(妹三男)の墓参り。その後、外国資本のスーパーで妹の買い物に付き合う。時間のかかること、イライラを抑えて重い缶ビール箱を車まで運ぶ。その後、妹宅にて札幌出身の義弟(ぼくより4歳年長)と、コロナ明けひさしぶりの酒宴。インスリン注射を打つ身ながら覚悟のビール飲みだという。そばで妹が「今に死ぬわよ」と文句を連発する。 妹夫妻宅に泊まる。

◎8月16日(水)晴

朝5時目覚め、30分ほどニュータウン住宅街を散歩、途中セブンイレブンでコーヒーを買い公園のベンチで飲む。 朝食をごちそうになり、皆で甲子園、沖縄尚学VS長崎代表をテレビ観戦、5:1で快勝しベスト8に進む。ここでも義弟は幸せそうに缶ビールをプシュ

車で高速ひと区間利用(160円)して帰宅、ちょっと昼寝、その後、図書館へ。本田靖春『複眼で見よ』を借りる。

藤井聡太棋士、王位戦タイトル戦をABEMA観戦、防衛まであと1勝、が佐々木七段に敗れ3勝1敗となる。 大谷翔平42号ホームランならず。

映画「友だちのうちはどこ?」1987年イラン(NHKBS録画) 冒頭、田舎の学校風景、厳しい教師が「宿題をしっかりノートに記して明日持ってこい、さもなくば退学」と厳命。8歳の少年が、間違って友だちのノートを家に持ち帰ってしまい、ノートを返すため友だちのいる隣村をたずねる悪戦苦闘の物語。教室に女生徒がいない風景、母親の厳しさと愛情、昔気質の祖父等、イランの田舎の風景も興味深い。

エッセイ,テレビ,哲日記,映画鑑賞,落語,読書,食事

◆8月11日(金・山の日)晴

午前8時、甲子園高校野球 沖縄尚学高校、三重県代表に勝利、東恩納投手完封勝利、沖縄予選時から無失点続くとのこと、猛暑酷暑の甲子園では一人の投手頼みではもたないかもね。次戦は長崎代表と。

図書館へ散歩がてら、新聞、週刊誌等読む。 夕方、テレビ観戦:なでしこジャパン・ワールドカップ、対スゥーデン戦、2-1で惜敗。

テレビ:森山良子・歌手55周年スペシャルコンサート(NHKbs) ざわわざわわの名曲「さとうきび畑」のエピソードがよかった。よくコンサートにきてくれた母陽子が良子へ聞きとがめたひと言。「愛だ恋だばかり歌ってちゃんちゃんらおかしい。戦争で亡くなっている人もいるのよ。あなたにはいい歌があるじゃない」 それを受けて、沖縄戦で父を亡くした悲しみをこめた「さとうきび畑」(寺島尚彦・作詞作曲)を再び歌い続けるようになったとのこと。

10数年前、F市民会館でガールフレンドと森山良子コンサートを観たことを思い出した。その頃、夏川りみの「涙そうそう」森山良子作詞・BEGIN作曲)が大ヒットしていた。 良子さん「BEGINとも話しているんだけど、私たち今までなにして来たんでしょうね」と、自分たちが歌いだしたときはヒットしなかったことを、愚痴っておかしかった。

8月12日(土)晴

朝食:酢キャベツ、人参、サラダチキン、アボガド、トマト、牛乳を一皿に盛ってチーン。ゆで卵、バナナ、インスタントコーヒー。その後、痛風抑制クスリ1錠。

資源ごみ供出日。雑紙、雑誌(文芸春秋)を出すべく準備したが、つい忘れて回収車にまにあわず。 昼食後、ベッドで週刊文春を読みつつ昼寝。

図書館へ新聞等読む。3階の書架コーナーで渉猟、佐高信『反戦川柳人 鶴彬の獄死』集英社文庫)をとりだし90分間読書。クーラーが効いて快適。同本借りる。

夕方、公園にてウォーキング40分。お供はウォークマンで落語「寝床」さん喬)大旦那が自慢の義太夫を披露しようと近所出入りのものを招くも、皆さん嫌がって断る、という滑稽噺。

夕食、赤ワイン少し、並行して映画「男はつらいよ 寅次郎夢枕」第10作、1972年12月(BSテレ東録画)、マドンナ八千草薫、ゲスト田中絹代、米倉斉加年。幼馴染の千代(八千草・当時41歳)が夫とわかれ、柴又で美容院をオープン。なんと、マドンナが寅さんにプロポーズ? 身の程知っている寅さん、逃げた! 

◆8月13日(日)曇雨

朝3時、目覚めてしまったのでベッドで読書。きのう図書館で途中まで読んだ『反戦川柳人 鶴彬の獄死』の続き。新書なので、2時間ほどで完読。川柳についてブラックユーモア、滑稽等のイメージしかなかったが、鶴彬の詠む川柳に衝撃をうけた。鶴は戦前、その川柳によって特高の弾圧をうけ29歳の若さで獄中死。

「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」反戦川柳のきわめつき。

「玉の井に模範女工のなれの果て」「修身にない孝行で淫売婦」貧乏を撃つ川柳。

午後から図書館へ。月刊「文芸春秋」9月号を90分ほど読み続けていると、寒気がしてきた。 そこでウォーキング45分。帰宅後入浴。

エッセイ,メール,哲日記,大谷翔平,黒島

今朝の西日本新聞に友人のことが写真入りで大きく報じられていた。

 沖縄・八重山諸島の歴史をはじめ、島々で受け継がれてきた伝統や文化、生活情報などを発信し続ける出版社が石垣島にある。島育ちの上江洲(うえず)儀正さん(66)が1987年に設立した「南山舎」。竹富島の方言をまとめた初の本格的な辞典を出版し、菊池寛賞を受賞したことも。「日本や沖縄とはひとくくりにできない八重山の姿を伝えたい」と、最南端の出版社としての視点にこだわり続ける。以下略「西日本新聞2023年8月10日6:00電子版」

古希のぼくと同年なので年齢が若すぎるのは愛嬌だが、人口の少ない南の島で総合月刊誌「やいま」はじめ、数多の書物を出版し続けてきた功績は偉大なこと。誇らしい! 東京の同期生LINEグループで伝えると「素敵な情報いつも有難うございます。同期生の活躍を聞くと嬉しくモチベーションがあがります。またの情報楽しみにしていま~す」と、ひとりの美魔女から反応があった。

午前、図書館へ。暑さをしのぎ新聞まで読めるなんて。 書店で週刊文春を買う、510円。ほんと久しぶりの週刊誌購入だ。文春砲で頑張っている応援の意味をこめて。

猛暑のなか午後から出勤。電車に乗り込むと、優先席にいた若いサラリーマン風の男性二人が席を立ち、ぼくに譲ろうとする。ぼくはそれを制し、空いている席に座った。が、ぼくの見た目が老人風に見られたと思うと少々ショックであった。

MLB大谷翔平二刀流で登場。対ジャイアンツ戦。みごと6回を自責点0で投げ切り10勝目をあげた。あのベーブルースも成しえなかった2年連続、二けたホームラン、二けた勝利! あっぱれ

夕方、A居酒屋で生ビールを少々。 帰宅後、退院した親せきへ病気見舞いの電話、元気な声なのでひと安心。 

TY連合会O幹事長へ9月18日の祝賀会費振込と出席者氏名を連絡。先方より受け取った旨返信。

2023年8月14日テレビ,哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,落語,読書,黒島

◆8月7日(月)晴猛暑

朝4時、ベッドで読書「ザイム真理教」森永卓郎:三五館シンシャ。ザイム真理教はいかにして生まれ、どう国民生活を破壊してきたのか。「財政均衡主義」という教義は、国民やマスメディアや政治家に至るまで深く浸透し、国民全体が洗脳されてしまったのだ! 帯に記されたキャッチコピーが森永の主張を物語る。なるほど、大手出版社で発行してもらえなかったのも納得。それらは財務省(国税庁)怖しだから。

森永氏は、50%に達しようとする国民負担率の増加を厳しく批判する。江戸時代の五公五民どうよう百姓一揆がおきても不思議でない、庶民の暮らしが重税で圧迫されているといい、財務省を解散しないと国が壊れると喝破する。ぼくなんか、借金(国債)が膨らむと将来世代に申し訳ないと素直に考えるのだが、この30年にわたる日本経済の体たらくをみると、存外森永の主張が正しいのではと思ったりもする今日この頃である。

午後から出勤。猛暑のなか駅まで歩くのに青息吐息。 ST書記長より、つばさ会(OB会)の議案書作成の依頼うける。帰路は、ひとつ手前のO駅で下車しウォーキング。運動不足を補うも、A居酒屋でひっかかり生ビールをひとつ。

大谷翔平、エンゼルス泥沼の6連敗。41号ホームランを期待するも不発におわり、気が滅入る。

◇8月8日(火)晴

午前、テレビ、YouTubeで無為に過ごす。 夕方近く散歩かねて図書館へ。新聞、週刊誌等。

映画「男はつらいよ 柴又慕情」第9作1972年8月(BSテレ東録画)マドンナ吉永小百合 ロケ地:金沢、東尋坊、多治見。小百合27歳の作品。78歳の今もYouTubeで核廃絶を訴える姿を拝見したが、変わらぬ美貌と気品あふれる声に参りましたです。

◆8月9日(水)曇雨

テレビ「ルーブル美術館 美の500年第2集」(NHKbs録画) 名画「オダリスク」フランソワ・ブーシェ作)がすばらしい。妖艶な女性を描いた官能美は、先の国立新美術館で現物を観た感動がよみがえった。

雨上がりのちょっと暑さが和らいだので、公園にでかけウォーキング。ウォークマンで落語「笠碁」をききながら30分間。いつもは志ん朝だが、きょうは柳家さん喬の名調子。現役では好きな落語家のひとりだ。

MLBようやくエンゼルス連敗脱出。大谷選手、41号ならず。 ふるさと会T間会長より電話。カジマヤー祝賀会と役員会について、会長判断により全責任をもつので処理するようにとのこと。 YouTubeで、あす発売の週刊文春の驚くべき内容明らかに。内閣官房副長官の赤裸々な性行動。

メール,健康,哲日記,大谷翔平

◎8月4日(金)晴

午前、ひと月前の痛風検査(尿酸値)を聞きに医院へ。結果6.8と基準内におさまる。医師からは「もう少し下げたいので、薬を現行1錠ずつ続けてもらって、しかるべき時期に採血検査しましょう。下がらない場合は2錠にします」とご託宣。こちら神妙にうなずく。向こう2か月分の薬の処方箋をもらい隣の薬局で受けとって帰宅。

録画しておいた大谷翔平選手、二刀流の対マリナーズ戦を早送りで観る。大谷投手、4回を無失点に抑えるも中指の痙攣で降板。バッター大谷の40号ホームランにひとり歓声をあげるも、チーム逆転負け。

藤井聡太棋士、豊島九段を破り王座戦の挑戦権を獲得。午後9時に決着するまでの間、シーソーゲームでひやひやする場面も多々あり、面白かった。これで8冠制覇が楽しみだ。

●8月5日(土)晴猛暑

ふるさと会のK久長老から電話。9月の役員会は出席できないが、今後の会のあり方としては、他の郷友会の来賓等まねかず島出身者等の懇親会とすべき、とのご意見。

JAL予約センターより電話。旧盆帰省の予約席、酸素吸入器を要するお客がいらして、その器具をおく席がないので譲ってほしいとの趣旨。席の入れ替えですむので「了解です」と返答。ちょっと良いことをした気分なり。

ワールドカップ女子サッカー、ノルウェーを破りベスト8、テレビ観戦して歓喜あげる。

◎8月6日(日)晴

宮古島におすまいの元校長KTさんより、ぼくのブログ哲日記を読んでの感想メールをいただいた。

「ありがとう。他人の日記が読めるとは夢にも思ってなかった。凄い。スゴイ。すごいよ。学ぶことが多々あった。日常の暮らしから散歩はじめ歯医者、痛風、膝、禁酒そして映画、テレビ(男はつらいよ)、旅行それに図書館、電車と高度な読書習慣とスタイルに比べ田舎の生活と大違いだ。羨ましい。私は農作業一辺倒だ。大谷翔平、将棋藤井の登場も面白い。感謝いっぱいです」

ぼくからの返信「拙文日記をお読みいただき恐縮しております。しかも、過褒までお恥ずかしい限りです。実名で投稿できる勇気持ち合わせず、知人友人たちによる生存確認と、老後の生活にメリハリがつけばと思ってブログを始めた次第です。先生の晴耕雨読の日常、新聞寄稿による池間島の文化継承へのご尽力等尊敬しています。ありがとうございました」

エッセイ,黒島

8月4日は、ぼくの九死に一生を得た「記念日」 つい忘れていましたが、宮古池間島ご出身の元校長先生からのメールで思い出しました。ここに過去の投稿記事を再掲します。

沖縄ー八重山航路 転落事故の顛末

「お前さんの24時間漂流記、聞かせくれよ」「2,3日海上を漂っていたんだって?」

55年前のぼくの不始末な事故について、興味津々、いまに至るも問われることがある。ぼくも「労働基準法にならって8時間だ」と冗談っぽく返したりするが、その九死に一生を得た体験について、当事者としてふり返ってみたい。 

【海に転落 必死に泳ぐ】

1967年8月4日未明、ぼくは沖縄本島と石垣島をむすぶ貨客船・那覇丸から転落した。当時15歳、石垣二中3年生のぼくは全琉中学校軟式庭球大会で団体戦二連覇、チームメイトとともに八重山へ帰る途中で事故に遭ったのである。前日の3日夕方、泊港を出港した那覇丸は4日朝、石垣港着の予定で船出。夜の航行であるが、8月の海はとても穏やかだった。ぼくは船底の2等客室は蒸し暑いので、同僚のKE君と甲板で寝ていた。涼みがてら甲板には、およそ50人が寝ていた。

そして午前3時頃、宮古島沖合の東シナ海で甲板から海に転落。海中から浮上して気がついたとき、去っていく那覇丸の大きな船尾がみえた。よくスクリューに巻き込まれなかったなと言われるが、当時はただ呆然とさり行く船を見つめたままだった。闇の中で、大海原に浮かぶぼくの目に一条の光が定期的に映る。近くで漁船が夜間操業している灯りではと思った(後に池間島灯台と判明)。その光の方向をめざして、懸命にではなくゆっくりと泳いだ。

力むことなく、泳ぎ続けること数時間。夜が明け、目標としていた灯りも確認することができなくなり、少しずつ波も高くなってきた。波間に一隻の漁船が遠く離れたところで行き過ぎる。目標もない大海原で平泳ぎや立ち泳ぎをしたり、大きく息を吸い込んで仰向けに浮かんだり、無意識に行動をしていた気がする。何か足を突っつく感じ、あるいは足を伸ばせば海底に着く感じ、いろいろな感情が頭をよぎった。

疲労が積み重なってきた。何かつかまる物はないか、浮遊物はないか、そのようなことも疲労が増すにつれて感じた。深夜の転落事故であるが、夜の海は8月初旬ということもあってか寒さは感じなかった。陽があがって夏の強烈な暑さも感じない。空腹感、のどの渇きも感じない。鈍感なのか、死の恐怖、サメに襲われる身震いする怖さも感じない。漆黒の闇の中でも、幽霊の幻想もなかった。冷静なのか、定かではない。

【救助の瞬間 気つけのビンタ】

再び、漁船が一隻通り過ぎた。先ほどより近くに見える。はいていた半ズボンを脱いで振った。漁船に合図を送った。通り過ぎたと思った漁船は、Uターンしてきた。のちに分かったのは池間島の雄山丸である。ぼくを発見した雄山丸は、慎重に近づいてきた。そして、ぼくの周りを2周旋回した。まさか、大海原で人間がいるなんて思いもしなかったであろう。午前11時、ぼくは船から出された竹竿をしっかり握り引きあげられた。すると突然、往復ビンタを張られた。人間、安心したときが一番危ない。海の男の気つけのひとつである。

ぼくは、黒砂糖を溶いた白湯を飲み、おじさん達に借りたシャツとデカパンを着て、うるさいエンジン音をものともせず船室で爆睡した。この間、雄山丸は「少年救助」の打電をし、ぼくが大丈夫そうなので漁場に向かい、希にみる大漁となった。ぼくを乗せ、大漁旗をかかげた雄山丸は、池間島に着いた。そして、警察の警備艇で宮古島へ移送され、I嶺医師(のちの初代宮古島市長)の診察と手当てを受けた。翌日、宮古空港からYS11で石垣島へ帰った。初めて飛行機に乗るというおまけ付きで、8時間におよぶぼくの九死に一生を得る体験は終わった。

【地元では大騒動 救助に安堵】

一方地元では、下船時にぼくが行方不明であることがわかり大騒動となった。警察は、付近航行中の全船舶に緊急無線による捜索手配、警備艇の出動。竹富町役場勤務の父も仕事そっちのけで奔走し、救助に一縷の望みを託す。黒島から祖父と兄がサバニをチャーターして石垣に向かった。叔母のひとりは、ぼくが転落する夢を見たという。那覇からは、母方の祖父が急を聞いてかけつけた。テニス仲間はじめ、多くの皆さんに心配と迷惑をかけた。

僕にとって不始末な事故であるが、新聞でも大きく取り上げられ、へたくそな自筆署名の手記まで掲載され、沖縄県内各地から手紙やプレゼントが寄せられる反響に驚いた。夏休み中の事故からあけて2学期の始業式をむかえる。中学校に登校すると、女生徒から「奇跡の人」「エイトマン」「好きー」などど黄色い声をあびる人生で唯一の経験もした。

【命の恩人へ感謝】

後年、ぼくの友人が宮古島へ社員旅行で行ったところ、バスガイドが池間島の灯台を指さし「この灯台の明かりを目ざし、少年は深夜の海を泳ぎ続けたのです」と紹介したとのこと。東京で社会人生活をおくっていたある日、池間島文化講演会で話をする機会をいただいた。ぼくを奇跡的にも大海原で見つけ、救助してくれた雄山丸が所属する池間島。ぼくの拙い話に島人は熱心に耳を傾けてくださり、笑いあり涙あり指笛まで飛び出すまでに至ったとき、命の恩人の皆さまへ感謝の念が届いたことに、ようやく肩の荷がおりた思いがした。

【黒島とすべての皆さまに感謝】

さほど体格もでかくない私が、8時間も踏ん張ることができたのはなぜか。それは黒島の海で、休暇のたびごとに泳いだことに尽きる。家畜のヤギにあたえる草刈のあと、伊古の桟橋から海に飛び込んで汗をながし、夕陽を眺めることが日常であった。信心深い祖母は「竜宮の神さまが助けてくれた」とぼくに言い聞かせた。作家の澤地久枝さんは「黒島の海は、人間の目がみた最も美しい海と言われるカリブ海よりもはるかに澄んで絶妙の色を呈している。神の領域に分け入ったような海である」と著書に記している。その海に助けられたかもしれない。

ぼくは、古希を超える年まで生きてこられたことを、黒島の海と、ご心配をいただいたすべての方へ感謝しつつ日々をすごしている。それでも事故から55年、トラウマが潜在的にあるのか、自分がはたして現世にいるのか、死後の世界にいるのではないか、と妄想にさいなまれることもなきにしもあらずだ。しかし、次の言葉に出会ってふっきれた。「語りえぬものについては沈黙しなければならない」(ヴィトゲンシュタイン)。まさに死後の世界こそ「語りえぬもの」と思うからである。

メール,大谷翔平,断酒,映画鑑賞,黒島

◆8月1日(火)晴曇のち小雨

猛暑のなか、日がな一日、テレビでMLB観戦、無為に過ごす。と言いつつ、夕方、夕食をかねてA居酒屋で一杯。

ちょっと酔って、石垣島の長兄へ台風見舞い?の電話。加えて、先日立て替えてもらった親せきの香典について3千円or5千円を確認、というのもすでに3千円を振り込んであるが、ちょっとあやふやになったので。 K区の親せきへ病気見舞いの電話、順調の回復のようで安堵。 KW市のT子叔母より電話。不審者らしき者が家の周りをうろついているとのこと、何事もなければ良いのだが。

◇8月2日(水)晴猛暑

朝、風呂残り湯で布団カバー、シーツを洗濯(すすぎはちゃんと水道水)、猛暑につき速乾。 T間郷友会長の指示をうけて役員会の日程調整、K久長老「そんな高い会費の祝賀会に出席した後で役員会をするなんて大丈夫か、キミはどう思うか」と苦言とお尋ね、ぼくは「大賛成です」と答えた。

散歩をかねて久しぶりの図書館へ。新聞、週刊誌等。 三食とも自宅で、ノンアルコール、立派。

◆8月3日(木)晴

宮古池間島ご出身のKT元校長より地元新聞の投稿記事をいただく。

そのお礼返信メール「台風お見舞い申しあげます。居座る台風被害を心配しています。池間小学校の120年におよぶ歴史沿革と子どもたちの躍動する姿を、楽しく読ませていただきました。さすが、教育現場にいらした先生ならではのことと拝察しました。ぼくの母校黒島小学校も、来年創立130年を迎えるとのことで、東京へも趣意書(寄附金お願い)が届くようです。先生の投稿により、ぼくも母校の懐かしい思い出がよみがえる契機となり、感謝申しあげます」

映画「メジャーリーグ」1989年アメリカ(NHKBS録画) ことし5月に録画したもの、毎日のように大谷翔平選手,MLB中継を観ているので今更と思って敬遠していたが、実に面白い楽しい映画であった。万年最下位のインディアンズが名門ヤンキースを破る痛快コメディだ。

午後より出勤。

哲日記,大谷翔平,映画鑑賞

◎7月29日(土)晴猛暑

暑いので外出をひかえ、YouTube、テレビで映画をみて過ごす。

映画「リベンジ・マッチ」2013年アメリカ(Nhkbs録画)シルベスター・スタローン、ロバート・デニーロ。名作・ロッキーには遠く及ばない作品。老ボクサーふたりが、30年になる遺恨をはらす闘いは見応えあり。スタローンは言うまでもなく、デニーロのボクサースタイルはたいしたもんだ。

大谷翔平選手 39号ホームラン。昨日来、3打席連続ホームラン。

●7月30日(日)晴猛暑

映画「男はつらいよ 寅次郎恋歌」第8作 1971年12月公開(テレ東録画)マドンナ池内淳子、ゲスト志村喬。小学生の子をもつ美しい未亡人(池内)に惚れる寅さん。田舎にくらす父(志村)と子(博)の確執。ふたつのテーマで、より面白い映画となった。

夕方、公園でウォーキング。あまりの暑さにペースあがらず、早々に切り上げる。

◎7月31日(月)晴猛暑

午前、YouTube、テレビで無為に過ごす。

午後から、横浜での花火鑑賞へON委員長らとバスツアーへ。25分で2万発の花火打ち上げに圧倒された。ぼくのいるO市の花火もなかなかのものだが、市長の挨拶があったり、提供スポンサーの紹介があったり、1発ずつ打ち上げるなどノンビリ花火大会。このみなとみらい花火大会は、まるで戦場にいるかのようで立て続けに打ち上げられ、度肝を抜かれた。

ただ、往復の交通混雑はひどいありようで、会場から出口まで1時間もかかり参った。おかげでビールを控える結果となり節酒の身には結構なことなり。

哲日記,映画鑑賞

◆7月26日(水)晴猛暑

映画「トゥームレイダー」2001年アメリカ(NHKbs録画)アンゼリーナ・ジョリー主演のアクション映画。晩酌にワインを飲んで気楽に観たせいか、途中で眠たくなった。失礼ながらその程度の映画かもしれない。

藤井聡太棋士、王位戦第3局勝利、対佐々木七段。ABEMAテレビでライブ中継、藤井が佐々木を追い詰める1手、1手に迫力を感ずる。

◆7月27日(木)晴猛暑

午前、YouTubeで週刊文春編集長の話をきく。木原官房副長官の妻の前夫不審死の件。当時、捜査にあたったエース刑事が退職後、実名で証言。「妻に人殺しはできない、他に真犯人がいる」と推理小説をはるかにしのぐ話し。他のメディアのこれ以上の沈黙は解せない。発売部数最多の文春のひとり勝ちもむべなるかな。

午後出勤。駅までの数分間歩くだけでも熱風にあおられてたいへんだ。わが生まれ島・黒島でも経験しない猛暑なり。

◆7月28日(金)晴猛暑

大谷翔平、ダブルヘッダー1戦目は9回完封9勝目。2戦目はホームラン37,38号。漫画見たい。

先輩との会食のため、新宿へ。その前に、伊勢丹にてスカーフらしきものを求めた。冷房が効きすぎると寒いのでその対策用だ。が、デパートは高い。反省。その後、紀伊国屋書店へ。90分もいて1冊も買わず。会食まで時間があったので、歌舞伎町界隈を散策。ずいぶん変わっていた。昔なじみの沖縄料理屋南風もすでに店じまいしてあった。

会食は、K夫妻とその従妹たち。学生時代、先輩の叔父が営む電気工事店でアルバイトをさせて頂いたことがあった。そこの娘さんも参加するので、ぼくもよばれたようだ。当時4,5歳の娘が50歳過ぎの大人になった姿に接し、光陰矢の如しを実感した。