エッセイ,黒島

 ちんだら節は、黒島を代表する三線歌。むかし「道切移民」によって、将来を誓い合った恋人であっても、強制的に別れさせられるという悲恋歌。野底村に追いやられた彼女を思って切々歌いあげる、黒島に残された男。野底の山に登って遠く黒島の彼氏を思いつめ、石になった伝説。

 沖縄の黒島郷友会は、ちんだら節の伝承のため第1回ちんだら節を開催し、東京の郷友会へもメッセージを送るよう依頼があり、以下の小文を送った。

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 36年前に出版された「りゅうきゅうねしあ」という本があります。朝日新聞の辰濃和男記者の書かれたもので、本土復帰前後の沖縄をルポしたものです。黒島滞在記もあり面白く読みましたが、ちんだら節のことも出てきます。そのなかで竹富島の古老が語るには、美しい娘が恋人と別れて、強制移住先の野底村で「思いつめて」石になってしまう、との民話が竹富島に残っているとのこと。

 また、歴史家の喜舎場永珣が紹介するちんだら節の歌詞では、野底へ強制移住させられたのは男であると、読み取れること等。ぼく達の理解と異なる記述なのでビックリもするが、第1回ちんだら節大会では、これらの真相解明も併せてご盛会を祈ります。    (関東黒島郷友会幹事長)

エッセイ,健康

 先日、久しぶりに健康診断をうけた。そこで、かつて組合機関紙へ、健康診断にかかわるエッセイを掲載したことを思い出した。

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 医師・近藤誠にハマっている。近藤は、がんにかかったらほっとけ、下手に抗がん剤をうつと副作用で苦しむだけだ、健康診断は無駄、インフルエンザ予防接種も意味がない等々、と著書で訴える。これらは病院と製薬会社を儲けさせるだけだ、万一、自分が倒れたらいっさいの医療を拒否する、ときっぱり。

 ぼくも近藤に感化されてこの数年、人間ドックを受けてこなかった。それ以前は、受診結果に基づき、前立腺がん、大腸がん等の再検査を勧められるままに受けた。が、たっぷりとレントゲン、CT等の放射線を浴びただけで、検査結果は異常無しであった。

 僕の悩みは「痛風持ち」であること。組合活動でストレスが溜まると、酒量が増え激痛をともなう発作がおきる。今年になって左の足の親指関節につづき、右の足へと発作に見舞われた。共産党から自民党へクラ替えしたようなものだ。近藤理論?により、痛風発作の原因である高尿酸値を抑えるクスリを飲んでいないので致し方ない。

「酒の適量は百薬の長」?とする近藤理論を頼りに、病院にかからず、クスリも飲まず、そのことが結果として財政困難な健康保険組合への支援となるのではと、勝手に思っている。(2015年9月記)

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 近藤先生は2022年、73歳で逝去。ぼくの現在の心境は、大筋で近藤理論を信じつつも、痛風抑制クスリを服用したり、皮膚科の塗りクスリをもらったり、ちゃっかり医療の恩恵も受け、現代医療を全否定することもない、と思っている。

エッセイ,哲日記,大谷翔平,断酒,読書,黒島

●8月4日(日)晴

避暑をかねて図書館へ。 月刊誌の書評欄を参考に、黒井千治著『老いのかたち』を借りる。

帰宅し、昼食をとりながら大谷翔平選手、テレビ観戦、2安打3盗塁の活躍。対アスレチック戦

夕方、公園でプチウォーキング 7,050歩。

夜、宮古島のK上先生より電話いただく。「今夜、仲間内で摸合(無尽)をしていて、きょう8月4日はT山少年が奇跡的に救助された日であると皆に話した」。 いくら57年前とはいえ、ぼくの九死に一生を得た特別の日を、指摘されるまで気付かず忸怩たる思いだ。

K上先生は、池間島ご出身の元校長先生で、ぼくより5歳年長の御年喜寿をお迎えとのこと。彼の父君がぼくを救助していただいた雄山丸乗組員のおひとりである。8月4日がめぐるたびに、父親はぼくの救助のことを幾度となく話しておられたとのこと。命の恩人の皆さまにあらためて深く感謝の意を表したい。

沖縄ー八重山航路 転落事故の顛末 | 哲日記 (ttetsu-1984.com)

エッセイ,黒島

黒島ふるさと会のK勇さんが亡くなられて1年がたつ。懇親会の席での、K勇さんの饒舌なおしゃべりを懐かしく思い出すことしばしばである。

以下は、数年前、郷友会報にK勇さんのことを記した小文である。

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 だれもが「すごい!」と感嘆の声をあげるK勇さんのことを語ってみよう。

 K勇さんは1964年、東京オリンピックの年に上京。以来57年間、黒島方言でいうズーフキル(死にもの狂い)ほど働いてこられた。若いときは、深夜残業の連続でアパートに帰る途中、ブガリナオシ(お疲れさん会)の酒酔いもあって畑で眠りこけることもあった。あの頃の東京蒲田には畑も散在していたのである。

 そして、ついに「医・食・住」をテーマに、念願の起業を果たす。いまや札幌、京都、大阪、九州各大学からの医療機器用の製造、発注に応える一流の会社に成長。画期的なキッチンシステムの開発で「食」に貢献。快適なマンション経営も順調で「住」に尽力。IPS細胞発見のための実験機器製造では、山中教授ノーベル賞受賞の縁の下の力持ち、一助となったことはまちがいない。

 広大な工場敷地ではRKK(琉球海運)の巨大コンテナに、那覇市のかりゆし水族館発注の製品が続々積み込まれ、郷土沖縄の仕事もこなす。

 企業経営が盤石であると当然利益がうまれる。K勇さん、決してユクフカー(強欲)ではない。惜しげもなく母校・黒島小中学校へ寄付なさる。図書室の宮賢文庫はその一部であり、こども達が自宅でも読書できるようにと、全員へ希望する図書をプレゼント。いわば各家庭に宮賢文庫があるようなものだ。

 恩師の恩も忘れない。高齢となったG先生を沖縄から招き、大相撲を砂かぶりで観戦していただき、夜は自宅で黒島学校当時のヤマングー(やんちゃ)話を肴に恩師と一献をかたむけることも再三である。

わが郷友会も周年行事のたびに多額のご寄付をいただく。否、毎年の運営費もまかなっていただく。まったく頭のさがる思いである。これもひとえに、K勇さんの奥さま、専務の息子さん、お嬢さんの温かいご理解の賜である。(哲)

エッセイ,哲日記,黒島

郷里の中学校同期のK村M子さんから年賀状とどく。ハン消しに挑戦の、見事な龍の版画が素晴らしい。ところが、ぼくが彼女に送った年賀状は宛先不明で戻ってきた。新宿百人町〇〇〇、所番地同一にもかかわらずだ。さっそくO梅郵便局の窓口へ、2通の年賀状を持ち込み「救済措置はありませんか」と照会。窓口の女性職員は上司と相談のうえ、新宿局へ年賀状を封筒に入れて送ります、と回答。ちょっといい気分なり。

「先達てS志会(高校同窓会)で見えなかったのでガッカリしました。三木さん(女子)が生り年のこと話してました。もうマリ年祝か・・・早いね、私は傘寿よ、気分は青春!」横浜のU田M子先生。

「3月、福井・敦賀まで新幹線が延びるので遊びにきてください」親せきのK野M代さん。

「T司おじさん、今年はお会いしたいですね」姪っ子のOAちゃん、都心で医師と結婚して暮らすも、コロナ以後、会えてませんね。

「哲日記楽しく読んでます。STは脱腸で苦しんます。手術するかも」黒島から、従兄の嫁SFさん。

「S志会で貴殿にあえず残念。郷友会を壊した女性はいたよ」と怖い添え書きはBTさん。

「無」差出人の住所氏名無し、極めつけの添え書き「無」

エッセイ,読書

読書:沢木耕太郎『旅のつばくろ』新潮文庫2023年11月発行) 沢木は同書のなかで、登山家・山野井泰史との交流をとりあげている。東京の奥多摩湖畔でくらす山野井宅を、世田谷の自宅から訪ねること数十回、小さな旅と位置付け楽しくつづる。ぼくも、むかし組合機関紙に山野井泰史氏にかかわる事例を引いて、小文を書いたことがあった。

タイトル「命拾い」======

世界的な登山家である山野井泰史が、東京奥多摩の山中でトレーニング中に、クマに襲われ重傷を負ったのは2008年の秋のこと。退院後、現場で記者に語ったことは、「クマに噛まれ、意識が途切れるなか、その崖から落ちたら生還できなかった」との怖い話だ。ぼくもここ数年、素人ながら山登りに親しんできた。山野井さんがクマに襲われた倉戸山(標高1,169m)にも登ったことがある。

数年前には、ぼくも遭難しかけたことがあった。それは、あまり人の立ち寄らない奥多摩の日原の山に単独で登ったときだ。登山開始から約2時間は快調に登ったが、途中、標識を見逃し完全に道に迷ってしまった。その際「下りは禁物、上がって道を探す」のが常識だが、あせって下ってしまった。

道なき道を下っていくと、谷底へまっ逆さまの崖に阻まれた。迂回して、さらに下りをめざすが、切り立った崖の途中の狭い所で立往生してしまった。ついに、恥をしのんで携帯電話で救援を頼むも電波が通じない(生還した今となってはつながらず良かったのだが)。

そして、何とか自力で這い上がり、道なき道を登りに登って、もと来た道をようやく探りあて下山できたのであった。

誰かが上空からぼくを見たら滑稽に思うだろうが、ぼく自身は決してオーバーでなく「命拾い」の思いがした。中学3年のとき、海で命拾いの事故に遭遇した僕だが、山で2度目の命拾いをするとは、汗顔の至りだ。

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エッセイ,テレビ,哲日記,大谷翔平,映画鑑賞,食事

朝6時、大谷翔平選手は5時試合開始、急いでテレビをチェックする、きょうもベンチスタート。

朝食:ブロッコリー、トマト、アボカド、ピーマン、ゆで卵、牛乳+豆乳、バナナ、コーヒー

映画「男はつらいよ 寅次郎子守唄」第14作1974年12月(BSテレ東録画)マドンナ:十朱幸代、ゲスト上條恒彦他。男はつらいよ48作中、すきな映画のひとつ。観るたびに感動の涙必至。公開時、映画館で観て連れに涙を隠すのにあわてた思い出あり。

そのころ、OY文庫に勤務の友人が、個人的に「榕樹」というタイトルの文集を出すので、ぼくにも原稿依頼があった。そこで、この映画の感想を「恋愛雑感」と題してつづったところ、掲載されてしまった。---今年の正月も恒例の「男はつらいよ」が上映された。これで14作目である。いささかマンネリ気味と世評がうるさい。しかし、楽しくすばらしい映画である。特に、上條が十朱に思いを告げるシーンは、山田洋次ならではの業であろう。恥ずかしながらそのシーンでは、涙が出て感極まりないの境地であった。上條がいつもフラれて、醜男で、おまけに貧乏という役柄に、自分を見る思いがしたかもしれないーーー

ここまで転記するだけでも冷や汗もの。以降、恋愛にはふたつのパターンがあって労働者階級と資本家階級の恋愛に区別できるとか、パリの社交界のドレスを着た連中より、八重山香水(畑に肥料としてまく糞尿のにおい)をつけた、健康美人とひと椀のそばをわけあう恋人たちに幸あれと願うとか、よくも恥も外聞もなく書いたもんだね。汗顔の至りだ。

昼食:ピーマン、チキンサラダ、納豆、カニカマ、豆乳、みそ汁(みそ+とろろ昆布+湯)

午後出勤。 帰路、ひと駅手前で降りてウォーキング。ちょっと汗ばみ不快なのでA居酒屋でかるく一杯。生ビール、酎ハイ2杯、お通し(タコの酢の物)、枝豆、シャケのハラミ焼き。

帰宅後、水風呂にどぼん。テレビ「クローズアップ現代:ジャニーズ性加害問題」「鶴瓶の家族に乾杯」 お供は赤ワイン、ナッツ、ゆで卵(レンジでチーンしたもの、わずか50秒)

エッセイ,哲日記,食事,黒島

亀戸駅からタクシーで斎場へ向かう。きょうは親せき宅の告別式。タクシー初乗り500円、石垣島の料金と同じとはびっくり。いずこも運転手不足らしい。「うちの会社は、運転手ひとり紹介すると30万円もらえる」と運転手さん。料金1,200円。

見送られる方についてT家グループLINE(21名)へ投稿「広島で生まれ、幼くしてT家祖父母に育てられたヒーローが、長じてT家の繁栄に尽力・恩返しなされ、昨日東京で人生の幕を下ろされました。皆さまに心のなかで、ご冥福を祈っていただきたく思います 合掌」 すると、「優しい笑顔、やさしい叔父さんとの印象」「東京で苦境のとき、S川宅へおしかけいつも飲食ご馳走になった」と、沖縄本島居住の連中からコメントが寄せられた。

告別式を終え、町屋火葬場へ向かう。前車は喪主・遺族の皆さん、後車はぼくたち参列者数名。なかのひとりが自分の体験談を披露「喪主を務め霊柩車の助手席でのこと、その運転手がおしゃべり人で、火葬前に遺族どうし財産分与で喧嘩をはじめるものもいれば、奥さまがーはぁ~疲れた、早く終わってほしい、といろんな家族がいますよ」と。するとぼくが、前車を指さし、「向こうは大丈夫かなぁ」と不謹慎まる出しのジョーク。悲しみのなかにも、笑いもあった葬儀であった。

終了後、ひとり電車で帰路へ。でもせっかく都心に来たので、年内に店仕舞い予定の溜池の名店「うさぎ家」へ行って献杯することにした。夕方まで時間があったので上野科学博物館へ。ここは65歳以上無料なのでつい。先日の運営費を補うクラウドファンディングに協力しなかった負い目を感じつつ、どうもすいません。

さて、うさぎ家さん。秋田美人姉妹と黒島病に罹った大将に迎えてもらい、開口一番、「いま、Tちゃん(ぼく)のこと話していたのよ」と、噂をすればなんとやらだ。生ビールにお通し、冷酒に刺身盛り合わせ、泡盛に八重山麺をつかった焼きそば、それにシーブン(おまけ)の小鉢多数。食通池波正太郎もうなるであろう美味である。

18日敬老の日、近くのホテルでの祝賀会のあと、ふるさと会の役員会を開く予定で適当な場所ない?と、大将に相談すると「うち使って構わないよ」と仰る、祝日休業日なのに申し訳ないと思いつつ、「会長、幹事長と相談します」と仮予約をお願いした次第。

東京駅のコインロッカー(700円高っ)であずけた香典返しを取り出し、特急にて立川経由して帰宅した次第なり。

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◆8月11日(金・山の日)晴

午前8時、甲子園高校野球 沖縄尚学高校、三重県代表に勝利、東恩納投手完封勝利、沖縄予選時から無失点続くとのこと、猛暑酷暑の甲子園では一人の投手頼みではもたないかもね。次戦は長崎代表と。

図書館へ散歩がてら、新聞、週刊誌等読む。 夕方、テレビ観戦:なでしこジャパン・ワールドカップ、対スゥーデン戦、2-1で惜敗。

テレビ:森山良子・歌手55周年スペシャルコンサート(NHKbs) ざわわざわわの名曲「さとうきび畑」のエピソードがよかった。よくコンサートにきてくれた母陽子が良子へ聞きとがめたひと言。「愛だ恋だばかり歌ってちゃんちゃんらおかしい。戦争で亡くなっている人もいるのよ。あなたにはいい歌があるじゃない」 それを受けて、沖縄戦で父を亡くした悲しみをこめた「さとうきび畑」(寺島尚彦・作詞作曲)を再び歌い続けるようになったとのこと。

10数年前、F市民会館でガールフレンドと森山良子コンサートを観たことを思い出した。その頃、夏川りみの「涙そうそう」森山良子作詞・BEGIN作曲)が大ヒットしていた。 良子さん「BEGINとも話しているんだけど、私たち今までなにして来たんでしょうね」と、自分たちが歌いだしたときはヒットしなかったことを、愚痴っておかしかった。

8月12日(土)晴

朝食:酢キャベツ、人参、サラダチキン、アボガド、トマト、牛乳を一皿に盛ってチーン。ゆで卵、バナナ、インスタントコーヒー。その後、痛風抑制クスリ1錠。

資源ごみ供出日。雑紙、雑誌(文芸春秋)を出すべく準備したが、つい忘れて回収車にまにあわず。 昼食後、ベッドで週刊文春を読みつつ昼寝。

図書館へ新聞等読む。3階の書架コーナーで渉猟、佐高信『反戦川柳人 鶴彬の獄死』集英社文庫)をとりだし90分間読書。クーラーが効いて快適。同本借りる。

夕方、公園にてウォーキング40分。お供はウォークマンで落語「寝床」さん喬)大旦那が自慢の義太夫を披露しようと近所出入りのものを招くも、皆さん嫌がって断る、という滑稽噺。

夕食、赤ワイン少し、並行して映画「男はつらいよ 寅次郎夢枕」第10作、1972年12月(BSテレ東録画)、マドンナ八千草薫、ゲスト田中絹代、米倉斉加年。幼馴染の千代(八千草・当時41歳)が夫とわかれ、柴又で美容院をオープン。なんと、マドンナが寅さんにプロポーズ? 身の程知っている寅さん、逃げた! 

◆8月13日(日)曇雨

朝3時、目覚めてしまったのでベッドで読書。きのう図書館で途中まで読んだ『反戦川柳人 鶴彬の獄死』の続き。新書なので、2時間ほどで完読。川柳についてブラックユーモア、滑稽等のイメージしかなかったが、鶴彬の詠む川柳に衝撃をうけた。鶴は戦前、その川柳によって特高の弾圧をうけ29歳の若さで獄中死。

「万歳とあげて行った手を大陸へおいて来た」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」反戦川柳のきわめつき。

「玉の井に模範女工のなれの果て」「修身にない孝行で淫売婦」貧乏を撃つ川柳。

午後から図書館へ。月刊「文芸春秋」9月号を90分ほど読み続けていると、寒気がしてきた。 そこでウォーキング45分。帰宅後入浴。

エッセイ,メール,哲日記,大谷翔平,黒島

今朝の西日本新聞に友人のことが写真入りで大きく報じられていた。

 沖縄・八重山諸島の歴史をはじめ、島々で受け継がれてきた伝統や文化、生活情報などを発信し続ける出版社が石垣島にある。島育ちの上江洲(うえず)儀正さん(66)が1987年に設立した「南山舎」。竹富島の方言をまとめた初の本格的な辞典を出版し、菊池寛賞を受賞したことも。「日本や沖縄とはひとくくりにできない八重山の姿を伝えたい」と、最南端の出版社としての視点にこだわり続ける。以下略「西日本新聞2023年8月10日6:00電子版」

古希のぼくと同年なので年齢が若すぎるのは愛嬌だが、人口の少ない南の島で総合月刊誌「やいま」はじめ、数多の書物を出版し続けてきた功績は偉大なこと。誇らしい! 東京の同期生LINEグループで伝えると「素敵な情報いつも有難うございます。同期生の活躍を聞くと嬉しくモチベーションがあがります。またの情報楽しみにしていま~す」と、ひとりの美魔女から反応があった。

午前、図書館へ。暑さをしのぎ新聞まで読めるなんて。 書店で週刊文春を買う、510円。ほんと久しぶりの週刊誌購入だ。文春砲で頑張っている応援の意味をこめて。

猛暑のなか午後から出勤。電車に乗り込むと、優先席にいた若いサラリーマン風の男性二人が席を立ち、ぼくに譲ろうとする。ぼくはそれを制し、空いている席に座った。が、ぼくの見た目が老人風に見られたと思うと少々ショックであった。

MLB大谷翔平二刀流で登場。対ジャイアンツ戦。みごと6回を自責点0で投げ切り10勝目をあげた。あのベーブルースも成しえなかった2年連続、二けたホームラン、二けた勝利! あっぱれ

夕方、A居酒屋で生ビールを少々。 帰宅後、退院した親せきへ病気見舞いの電話、元気な声なのでひと安心。 

TY連合会O幹事長へ9月18日の祝賀会費振込と出席者氏名を連絡。先方より受け取った旨返信。