哲日記,断酒,黒島

年賀状の返信届く。横浜の朗らか美人のUM姉さん。「年賀状ありがとう。哲ちゃんが古希なんて???千代先生がびっくりしているでしょう。すぐ折れる断酒なんてナンセンス。酒は百薬の長というから上手につき合えばいいと思うよ。まだ就職できるなんて幸せですね。健康第一でお励みなさいね」 千代先生とはぼくの亡母のこと。黒島校での教え子なんですね。 断酒ナンセンス! いいですね。慈母のようなUMさんに言われると「節酒」くらいにしとくかなぁ(笑) 

那覇のMIさん。「昨秋ガンの大手術した。11月にはコロナ感染」 大変でしたね。最近はガンのこと、カミングアウトなんて気張ることなく普通に公表するんだ。くれぐれもお大事にしてください。

黒島の同級生のMAくん。「毎年の如く早々の年賀状ありがとう」とそっけない添え書き。ぼくより2歳年長の那覇のNM姉さんからは「11月石垣島での生年祝いに参加し、久しぶりに黒島にも足を延ばしてMA君にも会えました。彼も千葉と黒島の往復でたいへんなようです」との添え書き。千葉=神奈川の誤りと思うが、黒島の母親の介護と牛飼いのための単身赴任なので、本当に大変なことだ。頭がさがります。

警視庁SP・OBのSさん、「裁判所の強制執行立会人をやってます。やりがいのある仕事です」との添え書き。皆それぞれの立場でがんばってますね。

大分のKJ先輩。「賀状ありがとう。ブログを読ませていただきました。ブログもいいね。遠くなっていた哲ちゃんが近くにいるように感じられました。今年もよろしく」 年賀状終いをしているにもかかわらず、こちらが一方的に年賀状を送っていることにメールでわざわざ返信。感謝です。

哲日記,読書,黒島

昨夜、石垣島のTC先生より電話。年賀状もらった人へ返信代わりに電話しているとのこと。泡盛を晩酌に1~2合召し上がる酒豪で、平成天皇より1歳年少にかかわらず元気そのものだ。

TC先生「黒島出身のOMさん、ぼくの碁敵だが最近連絡がとれなくなった。どうも施設に入所されて付き合いもしなくなったようだ」とのこと。OMさんは、若いころ日本一周自転車の旅を成し遂げた屈強な先輩だ。東京板橋から東北、北海道、日本海側をへて九州、沖縄から八重山、黒島まで足を延ばしたというから脅く。帰路は九州、四国、東海、東京とあっぱれな旅である。関東でのわがふるさと会へも参加していただいたが、老人ホーム?への入所とは、寄る年波には勝てないのか。

TC先生「キミの同級生のUYさん、最近、彼の講演を2度聴いた。『島を出る』宮良正吉さんのハンセン病に関する本のこと、Y書店主催の経営セミナー?に関する講演、彼は文才のみならず経営手腕もあるんだねー」と。 それに引き換えお前さんは、と説教がはじまるところだがなかった。酔いが足りなかったかもしれない。

1月9日(月)晴

朝4時、目が覚めたので読書。「ふたつの嘘」諸永裕司著 講談社。図書館借り。沖縄復帰前後の密約をテーマに、その後の裁判経過をたどりつつ、ふたりの女性(西山太吉妻・啓子さん。小町谷育子弁護士)の辛抱と魅力と活躍を描く。ふたつの嘘とは、1970年代の過去の嘘と2000年代の現在の嘘をさす。最近も、沖縄核持ち込みの密約が表面化したが、沖縄返還の闇はまだまだ深い。

成人の日。午後から出勤。出かけにガールフレンドから電話があったので、すこし遅刻。

テレビ,哲日記,黒島

テレビ NHKETV特集「沖縄の”眼”になった男~写真家・平良孝七とその時代~」を観た。本土復帰の前後を記録した写真家・平良孝七の遺したモノクロ写真を題材に沖縄の昔と今を考える番組。たびたび画面にでてくる少女の写真(多良間島)がよかった。彼女の「まなざし」に撃たれる思い。

突然わがふるさと黒島が画面に現われた時には、予期しなかったのでびっくりした。復帰の2年後に黒島に渡った平良がうつした写真。島ちゃび(離島苦)を物語る風景・人物のモノクロ写真の数々。そして現在の黒島がカラーで映し出され、ぼくの又従兄にあたるMJ元郵便局長(83歳)が登場して再びびっくり。

平良がカメラに収めた1974年のモノクロ黒島を懐かしく思う。そして、現在の豊かになったカラー黒島を嬉しく思う。新たな戦前の時代となって戦火にまみれることのないように祈るばかりだ