テレビ,哲日記,断酒,映画鑑賞,食事,黒島

『黒島事典』の編著者に電話、10日前の発注まだとどきません、どうかしましたか? 「ちょっと体調わるくてね、君のところは2梱包6冊だね、じき送るね」 それでは体調よくなってからでいいですので、どうぞお大事になさってください、と。

詩人谷川俊太郎の訃報、享年92。詩はよんだことないが、エッセー『ひとり暮らし』は面白かった。3度も結婚と離婚なさっていたとのこと、ぼくは2度どまり(泣)

図書館休館につき、書店へ。 寒すぎるので百均で手袋を買って、公園でウォーキング 7,700歩。

夕食:具たくさんの味噌汁+卵、納豆+キムチ+めかぶ+カイワレ大根、ご飯、牛乳、お茶、チョコ【禁酒】

映画「男はつらいよ 望郷編」第5作、1970年8月公開(BSテレ東)マドンナ:長山藍子。豆腐屋のひとり娘にひとめ惚れの寅さん、豆腐と油まみれになって堅気の仕事に精出すも、藍子(当時29歳)は寅さんが豆腐屋を継いでくれるので、母を残して鉄道マンと結婚へ。またまた振られました。

朝目覚め良し。喉の訓練、ハミング5秒10回、ストローぶくぶく3分。

テレビ「映像の世紀バタフライエフェクト ふたつの敗戦国 660万人の孤独」NHK)1945年の敗戦時、海外に残された660万人の日本人。彼らの酷い残忍な出来事を、映像は冷徹に見せる。戦争が終わっても辛苦は続くのである。

八重山滞在中に、スマホをいじくっていたら、メモ・アプリの中身がぜんぶ消滅していた、サァー困った。ネット銀行のパスワード流出とか、セキュリティー大丈夫か。それから2週間、ようやくdocomoあんしん遠隔サポートへLINEにて相談、なかなか埒あかず電話相談を推奨された。そして見事にメモが復元。その間、小一時間、イライラすることなく、若い女性(たぶん)の丁寧な応対に感心した。

ついでに料金も相談、irumo3ギガを勧められる。大幅に料金が節約になる見込み。幸運なことだ。それにつけても、2週間も放置していたなんてね、老人こそあり余る時間を使って大いに行動すべきことを実感。

図書館にて新聞、週刊誌等。

テレビ,哲日記,映画鑑賞,落語,食事,黒島

◆11月15日(金)曇

午前、テレビ等、無為に過ごす。午後、久しぶりの公園、紅葉いちぶ始まる、ウォーキング散歩 9,700歩。

テレビ:落語「転宅」柳家喬太郎。妾宅に忍び込んだ泥棒、お妾さんに手玉にとられる滑稽噺。

テレビ「あしたが変わるトリセツショー」声と喉のアンチエイジング(NHK)。 ハミングを5秒10回と、ストローでぶくぶく3分を朝夕続けると。声の通りがよくなり、喉を鍛え、誤嚥をふせぐ。

黒島滞在中のウムイプス(想い人)と妹夫妻ご一行さん、黒島の旅を満喫しているようす。台風が何個も発生して欠航も心配されたので、早めに石垣に戻り、できれば与座画伯の個展鑑賞を勧めたが、台風も直撃を免れ予定通りの黒島滞在で過ごす結果となり、ぼくとしては高価な絵画をプレゼントをせずにすんで安堵(笑)

布団カバー等洗濯。

ブランチ:ワンプレート(にんにく、人参、玉ねぎ、豆腐、玉子、わかめ、しいたけ、サバ缶)、ご飯。ヨーグルト+リンゴ₊ブロッコリースプラウト+オールブラン。コーヒー、お茶。

ウォーキング散歩、青梅駅近の居酒屋G嶺をのぞくも満席、なるほど二の酉市のせいか。帰りもウォーキング、A屋さんで生ビールをごくん。大将が言うのに女将さん体調きびしいとのこと。お釣をクスリ代にカンパ。体調回復を祈るのみ。10,500歩。飲酒と歩き疲れで寝落ち(笑)

映画「戦場にかける橋」1957年アメリカ、イギリス合作(NHKBS)アカデミー賞作品賞7部門受賞。デビット・リーン監督。ウィリアム・ホールデン、早川雪舟。 大勢のエキストラ、実際の木造の架橋、いまから67年前のCGもない時代、よくぞこれだけの動員、巨大なセットを構築できたものだ。名作のひとつ。

名古屋より「東筋秀盛芸歴50周年・みずえ芸歴35周年記念公演への寄稿依頼」受け取る。今年末締め切りの600字原稿了解する。 那覇のTおばさんより、賃貸部屋探しの電話依頼あり。

テレビ,健康,哲日記,,映画鑑賞,黒島

朝、左肩腕の痛み続くも、前夜の禁酒のせいか気分は良い。朝食後、痛み止めを服用。

HOM整形外科へ。写真(レントゲン)を3枚とった結果、肩骨の空間が若干狭くなっており、筋と接触して痛みを発症する、対処法は、①注射するとすぐ痛みは無くなる ②飲み薬、シップ貼りを処方 ③痛み止めで経過を見る。 医者に診せる前から症状が軽くなりつつあったので、③を選択する。

それから痛風症状について、医師から市の健康診断結果を求められたので提示する。尿酸値6.9、上限7.0内に収まっていたので、これまで同様の薬を継続しよう、肝臓、腎臓等への影響もないので、来年3月ころ、血液検査をして様子をみよう、とのご託宣なり。神妙にうなずく。

帰路、図書館で新聞等、症状が深刻でなかったので、居酒屋で生ビールとほうれん草のお浸しで祝杯。禁酒はわずか1日でついえた(笑) 5,200歩。

録画しておいた高倉健の「駅・STATION」1981年公開 降旗康男監督(NHKbs)を観る。「幸せの黄色いハンカチ」1977年、山田洋次監督)とともに、高倉健主演の好きな映画のひとつ。いしだあゆみ、烏丸せつこ、倍賞千恵子。

射撃オリンピック選手であり、北海道警刑事の高倉健。当時50歳。カッコイイですな。人質をとって銀行立てこもり犯2名を、出前配達に扮した高倉、岡持ちに隠した拳銃で射殺するシーン。赤ちょうちん女将(倍賞千恵子40歳)といい仲になったが、その情夫が職質中の先輩を射殺した犯人(室田日出男)であることをつかみ、女将のアパートに乗り込んで犯人を射殺するシーン。たいした迫力だ。

列車のなかで高倉の肩へ居眠り客の頭が、高倉イヤイヤ押し戻したりするもかなわず他の席へ移動、そこでは高倉が逆に、武田鉄矢の肩に居眠り頭を乗せて、鉄矢口尖がらせて嫌がる。画面切り替わって、おふたりさん肩寄せ合って口あんぐりの爆睡シーン。ユーモア抜群。

美しいいしだあゆみ(当時33歳)と離縁して駅で別れるシーン。幼児をつれて列車からあゆみ、ホームの高倉へ泣き顔の敬礼。宇崎竜童の音楽とともに名場面。長じて、高倉の弟が、甥っ子見たさにあゆみを訪ねたことを報告、高倉「いまもひとりか?」 弟「そう、池袋のBARで働いている、これアパートの電話」 離縁経験者として涙涙涙。

午前、テレビ等無為に過ごす。『黒島事典』まだ到着せず。図書館で新聞等。肩の痛み、和らぐも痛みつづく。

わがウムイプスと妹夫妻、きょうから黒島へ。旅の平穏を祈るばかり、台風4個も接近につき。

映画「新・男はつらいよ」第4作、1970年2月公開。マドンナ栗原小巻。 競馬で大当たりの寅さん、おいちゃん、おばちゃんをハワイ旅行へ招待するも、悪徳業者に旅行代金を持ち逃げされてアウト。 虎屋で蟄居してると、泥棒(財津一郎)が闖入して大騒動に。

虎屋に下宿している幼稚園の先生、栗原小巻(当時25歳)。当然振られました、恋敵は横内正の渋い声。

不燃ゴミ出し。テレビ等。図書館で新聞、ウォーキング散歩 7,740歩。

わがウムイプスと妹夫妻、1年ぶりの黒島の伊古桟橋や名所旧跡を散歩してエンジョイ。夜は、マサボ宅で宴会のようす。ぼくの悪口を肴にしてるかもしれない(笑)

石垣開催の与座画伯夫妻のふたり展を鑑賞するようつよく勧める。気に入った絵を購入してください、プレゼントするからと太っ腹のぼく。でも、三桁にのぼる絵画だと、内心びくびく(笑)

夕方、散歩中にST元内閣官房長官より電話あり、12月、私塾理事会の案内。

テレビ,哲日記,大谷翔平,断酒,映画鑑賞,食事,黒島

旅で溜まったものの洗濯、部屋掃除。

久しぶりの車を運転し不在票をもって郵便本局へ。『黒島事典』-黒島の言語・諺・歌謡・習俗ー當山善堂編著)を受け取る。とても重い同書(841頁)をリックに背負い、市役所7階まで登山(笑)、2階で新聞を読む。

帰宅後、『黒島事典』をめくるもなかなか探せない、あった!「バタルン」の項でぼくのエピソードが・・・過褒な文面に赤面する。

夕方、ひさしぶりのA屋で『黒島事典』の上梓を祝して、勝手に祝杯あげる。 3,430歩。

布団干し、可燃ゴミ出し、テレビ等

月刊『やいま』11月号を読む。特集「島を出た八重山人」はいの晄さんのルポルタージュが秀逸。八重山出身ながら、信州安曇野に暮らす高橋さん(78歳)の波乱万丈の人生を活写。そして同時に、家族や地域の方々とともに、戦争マラリア「ハテルマシキナ」「南に飛んだポー」の朗読劇に取り組み、沖縄・八重山の平和をつよく願う真心に感動しました。感謝。

本日は引きこもり 歩数15歩(笑)

『黒島事典』の著者へ6冊購入の申し込みをする。ぼく「出版おめでとうございます。いまのところ妹しか売り先確定してませんが、何とか広めてみましょう」 著者「黒島出身者以外の方にも、興味もって読んでもらえるので頑張ってください」

なぜ「黒島語辞典」とせずに『黒島事典』としたのか。それは単語の意味を記すのみにとどまらず、言葉に関連するエピソードがふんだんに盛り込まれ、博覧強記の著者をもって初めて編むことができる事典であり、「黒島随想」というタイトルでもよかったかもしれないほど。この事典を読むと、黒島のことがよくわかり、ますます黒島のことが好きになること請け合いだ。実に面白い。

久しぶりに公園でウォーキング 8,630歩。

◎11月10日(日)曇

朝起きると、左肩が痛い、たぶん大谷翔平と同じカ所か(笑) 布団カバー等洗濯。

テレビ。高倉健の命日ということで、NHK特番を観る。録画した映画「駅・ステーション」は楽しみにしておこう。 「ETV特集 山田太一からの手紙」 高倉健も山田太一も、たくさんの手紙を差し出していたんだ。

黒島ふるさと会の長老K・Kさんへ電話、黒島事典の購入案内するも「検討する」とのこと。西表、しかあざのふるさと会へ出席していて、お元気のようす。

映画「男はつらいよ フーテンの寅」第3作、1970年1月、マドンナ:新珠三千代。旅館の女将に惚れ、振られ。 2,780歩。

左肩痛み続き目を覚ます、午前3時、牛乳を温め、ヨーグルト+オールブランを食べて、痛み止めを服用。

テレビ「NHKスペシャル 大谷翔平とドジャース 世界一の舞台裏」 将来を問われ、「野球しか知らないし、野球をやり切った人生であれば幸せではないでしょうか」

ブランチ:具たくさん味噌汁、ごはん、サケ焼き、ヨーグルト+とまと、コーヒー他。 痛み止め薬服用、冷蔵庫で1年以上保管してあったもの。効き目いかほどにか(笑)

図書館へ、顔見知りの老人、新聞を顔に乗せ居眠り。

帰宅、冷蔵庫で6時間充分お水に浸けたコメを早炊き。 入浴後、ノンアルビール、炊き立てご飯にタマゴかけ夕食。久しぶりの禁酒。痛み止め服用。

この2日間、左腕の痛み抱えながらの日常生活、不自由さを実感。障がい者のご苦労に想いをいたす。←ちょっとカッコ付けすぎか(笑) 3,222歩。

哲日記,,食事,黒島

市内を散歩。公設市場では、オバーからてんぷら(にんにく、アーサ、サーターアンダギー)を買ってランチ代わり400円。

最終便で待望のふるさと黒島へ。港にはM廣くんがお迎え、仲本のM喜邸へ、女将のN美さんが笑顔で迎えてくれるなか、旅装をとく。さっそくシャワー後、早くもビールで乾杯。地元野菜を盛った手づくりオードブルが美味であった。

夜7時、となり村のビジターセンターで開催の「黒島音楽祭」へ。これはM廣くんが、30年前にみやき荘で仕掛けたイベントで、息子のHくんが後を継ぎ、鳩間音楽祭に負けず劣らず「小さな島の小さな音楽祭」というコンセプトで、素晴らしいふるさと愛なり。

東筋H吉くんはじめとする唄者の熱唱の中、黒島牛が無料で振舞われるという豪華コンサートだ。心底楽しめた。黒島牛祭りに次ぐイベントに発展していってほしい。フィナレーは全員でモーヤ、カチャシー。つい飲みすぎたM廣くんをかいがいしく介抱するN美さん、おふたりの夫婦愛の絆を羨ましく思った。9,200歩。

朝、ウオーキングしつつ仲本海岸へ、あいにく曇り空につきエメラルドグリーンの海を見られず残念。N美さん手料理の朝食をご馳走になり、自転車で島めぐり、伊古桟橋、T山本家の旧亀甲墓はうっそうとした森に阻まれ視認かなわず。

黒島港の食堂で、見送りのM廣夫妻とランチ。昨夜の音楽祭出演メンバーと同席、すると博多の男がぼくへ「しばらくでした」と挨拶。M廣が「この男知っているの?」と訊くと、彼から「知っているさー、ジョン万次郎でしょ」ときたもんだ。中学3年の九死に一生体験が、ジョン万次郎の遭難と重ね合わされるとは、ガッテン!

石垣島では島料理の名店「南の島」で、UY、KE両名と夕食。鉢合わせのY座画伯夫妻まじえ、盛り上がる。店主のミッチャンへは、黒島のMHくんからもらった焼き芋(コーヒーに次いで商品化めざす)を東京まで持ち帰るわけにいかず手交。モノになるかどうか、感想を届けてほしいもんだ。

二次会は、5名で島唄ライブBARへ。店主のマモルさんへ「ぼくのウムイプスと、その妹夫妻があなたのファンで友だちであり、必ず訪ねるように」と強く言われたと挨拶。おかげで全員の飲み代をもつはめに(笑) 名曲「ミーハイユ―」「やいま」に酔いしれたひと夜であった。11,700歩。

石垣空港まで兄が車で送ってくれた。お礼代わりに、嶺陽子コンサート(12月8日市民会館)券2枚をあげると、「じゃ、お歳暮代わりにもらっとくさ」と兄。受付カウンターで、東京直行便・座席のグレードアップを申し込むと3,300円、前回までは千円だったはず、インフレを実感。

搭乗前、1級建築士のミッチューとばったり、さんぴん茶を飲みつつ談笑。「お前ら二中祝賀会は盛大だったそうな、自分ら石中は来週さ。卒業時、二中は10クラス450名。石中は8クラス380名だった。だから集まる人数も少ないさー」と相変わらず明朗活発な男なり。

石垣島での半袖から、風が冷たい東京に無事着いた。帰路、新橋で途中下車。ウムイプスと待ち合わせ、黒島みやげを手渡しながら彼女の手に触れるととても冷たい。こんな寒空で華奢な彼女を待たせてしまったことを後悔するも、気を取り直して急遽アペロ(夕食前の軽い飲食)は、イタリアンでパスタとサラダと抹茶ムースを赤ワインで、ただいまとお帰りの乾杯~ ビルの最上階は少し早い、まるでXmasのような夜景が見事であった。

東京駅構内の角打ちで、特急発車まで時間があったので冷酒をひとり酒、家路へ。黒島・石垣島の旅=無事めでたく終えることができました。感謝。9,700歩。

*ウムイプス:恋人、好きな人、「想い人」の意。『黒島語辞典』2024年発行より

2024年11月8日哲日記,食事,黒島

午前、羽田発JAL機にて那覇経由、石垣島へ、飛行機代はマイレージで。 Bセルホテルに投宿、入浴後、徒歩で兄宅へ。さすがに暑い、父母、祖父母等祀られている仏壇へ合掌後、扇風機にあたる。ビールで乾杯後、義姉手づくりのご馳走を堪能する。アーサ汁、寿司、テビチ、野菜煮物、ジーマーミ豆腐等。感謝。

ホテルまでの帰りはタクシーを呼んでもらう、到着まで5分とのことだがわずか1分でタクシー来る。運転手さんと会話弾む。ぼく「人手不足のようですが?」 運転手「いや、タクシー台数、運転手とも人口割では宮古より多い。ただ夜間の運転を敬遠しがち、嫌な客もいるのでね」 「二中二期会 73歳生年祝賀会」に出席すること、黒島出身であること等、すっかり個人情報を話してしまったので、料金800円のところ千円支払い、釣りは結構ですと、カッコ付けてしまった帰省初日の夜。旅に出るとよく歩く、本日9,600歩。

兄の車で、黒島から移転した新墓参り、具志堅用高CMの墓苑で、太平洋と黒島が見える好立地なところ。兄夫婦の尽力で、先祖も安らかな眠りに就いていることだろう。従弟が経営する街中華の名店O富にてランチ。正午前にすでに満席状態だ。人気店だけに美味しい。

ホテルで休憩後、石垣島祭りの舞台をすこし覗いて、徒歩で「二中二期会 73歳生年祝賀会」の会場旧日航ホテルへ。地元の同期生のおかげで盛大な祝賀会となった。はじめに司会UYくんによる物故者58名のしめやかな氏名読み上げ後黙祷を捧げ、祝宴へ。わが関東チームも「バガケーラ(同胞)」歌唱披露、ぼくも口パクで参加(笑) 中学卒業時450名のメンバーのうち参加人数174名(女106、男68)。本土から24名、沖縄から36名、フランスからY座画伯夫妻が参加し喝采をあびていた。

二次会は港近くのライブ会場で、医師のMくんのトランペット、久しぶりのUTくんのドラムはピカイチであった。ひとりポツンと座っていると、クラスメイトのT津子さんが話し相手になってくれた。それを見ていたUYくんが「お前が日記に書いてあった、T子とは彼女のことか?」と訊くので、あわてて取り消しておいた(笑)

もう1件仲間とはしごしてホテルへ。午前2時就寝。8,650歩。

朝、那覇のZ堂叔父より電話「黒島語辞典上梓した。関東の皆さんへ広めてくれるように頼む」とのこと。

石垣島祭りのメインイベントのひとつ、パレード見物。あまりの暑さに途中切り上げ市場へ、群馬県産のキャベツ400円、東京の拙宅近くスーパーでは180円、流通コストの加重さにびっくり。

夕方、F美子叔母宅にて夕食をご馳走になる。1938年生まれの御年86歳、記憶力抜群で、黒島にまつわる昔話はとくに面白い。認知症にならず健康なことは、若い友人(南の島店主ミッチャン)たちのお陰という。ぼくの母親が早世したので、母親代わりも務めて頂いたので、いつまでも感謝の念を持ち続けているところだ。

叔母の娘K美と孫K音が、祭り花火見物から帰宅したので、ホテルまで車で送ってくれるという。そして、車を降り際に今春公務員として社会人となったK音ちゃんに、「まだ、給料安いでしょう」と言ってお札を手渡して感謝の意を表した。部屋に入り財布を確認すると、千円でなく5千円をあげたことに気づき、「しまった」と地団太を踏んだ(笑) 11,600歩。