病院と映画
◆11月12日(火)晴
朝、左肩腕の痛み続くも、前夜の禁酒のせいか気分は良い。朝食後、痛み止めを服用。
HOM整形外科へ。写真(レントゲン)を3枚とった結果、肩骨の空間が若干狭くなっており、筋と接触して痛みを発症する、対処法は、①注射するとすぐ痛みは無くなる ②飲み薬、シップ貼りを処方 ③痛み止めで経過を見る。 医者に診せる前から症状が軽くなりつつあったので、③を選択する。
それから痛風症状について、医師から市の健康診断結果を求められたので提示する。尿酸値6.9、上限7.0内に収まっていたので、これまで同様の薬を継続しよう、肝臓、腎臓等への影響もないので、来年3月ころ、血液検査をして様子をみよう、とのご託宣なり。神妙にうなずく。
帰路、図書館で新聞等、症状が深刻でなかったので、居酒屋で生ビールとほうれん草のお浸しで祝杯。禁酒はわずか1日でついえた(笑) 5,200歩。
録画しておいた高倉健の「駅・STATION」1981年公開 降旗康男監督(NHKbs)を観る。「幸せの黄色いハンカチ」1977年、山田洋次監督)とともに、高倉健主演の好きな映画のひとつ。いしだあゆみ、烏丸せつこ、倍賞千恵子。
射撃オリンピック選手であり、北海道警刑事の高倉健。当時50歳。カッコイイですな。人質をとって銀行立てこもり犯2名を、出前配達に扮した高倉、岡持ちに隠した拳銃で射殺するシーン。赤ちょうちん女将(倍賞千恵子40歳)といい仲になったが、その情夫が職質中の先輩を射殺した犯人(室田日出男)であることをつかみ、女将のアパートに乗り込んで犯人を射殺するシーン。たいした迫力だ。
列車のなかで高倉の肩へ居眠り客の頭が、高倉イヤイヤ押し戻したりするもかなわず他の席へ移動、そこでは高倉が逆に、武田鉄矢の肩に居眠り頭を乗せて、鉄矢口尖がらせて嫌がる。画面切り替わって、おふたりさん肩寄せ合って口あんぐりの爆睡シーン。ユーモア抜群。
美しいいしだあゆみ(当時33歳)と離縁して駅で別れるシーン。幼児をつれて列車からあゆみ、ホームの高倉へ泣き顔の敬礼。宇崎竜童の音楽とともに名場面。長じて、高倉の弟が、甥っ子見たさにあゆみを訪ねたことを報告、高倉「いまもひとりか?」 弟「そう、池袋のBARで働いている、これアパートの電話」 離縁経験者として涙涙涙。
●11月13日(水)晴
午前、テレビ等無為に過ごす。『黒島事典』まだ到着せず。図書館で新聞等。肩の痛み、和らぐも痛みつづく。
わがウムイプスと妹夫妻、きょうから黒島へ。旅の平穏を祈るばかり、台風4個も接近につき。
映画「新・男はつらいよ」第4作、1970年2月公開。マドンナ栗原小巻。 競馬で大当たりの寅さん、おいちゃん、おばちゃんをハワイ旅行へ招待するも、悪徳業者に旅行代金を持ち逃げされてアウト。 虎屋で蟄居してると、泥棒(財津一郎)が闖入して大騒動に。
虎屋に下宿している幼稚園の先生、栗原小巻(当時25歳)。当然振られました、恋敵は横内正の渋い声。
◆11月14日(木)曇り
不燃ゴミ出し。テレビ等。図書館で新聞、ウォーキング散歩 7,740歩。
わがウムイプスと妹夫妻、1年ぶりの黒島の伊古桟橋や名所旧跡を散歩してエンジョイ。夜は、マサボ宅で宴会のようす。ぼくの悪口を肴にしてるかもしれない(笑)
石垣開催の与座画伯夫妻のふたり展を鑑賞するようつよく勧める。気に入った絵を購入してください、プレゼントするからと太っ腹のぼく。でも、三桁にのぼる絵画だと、内心びくびく(笑)
夕方、散歩中にST元内閣官房長官より電話あり、12月、私塾理事会の案内。
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