エッセイ,哲日記,黒島

2月1日、八重山の兄より訃報の電話をもらった。沖縄本島で八重山古典民謡研究所を主宰する、また従兄弟のTY兄さんが亡くなられたとのこと。享年77歳というがそれは数え年で、満75歳はあまりの早世で残念至極である。

彼は八重山古典民謡はもとより、黒島の歌・三線の名手であることは誰しも認めるところである。沖縄県文化功労者表彰、沖縄県指定無形文化財保持者等、輝かしい活動と実績は身内のひとりとしても誇らしく思う。

20数年前、「黒島民謡工工四」を上梓されたときには、それらと最も縁遠いぼくにまで同書を贈っていただいたことがあった。「このような立派な本は、国立国会図書館で永久保存されるべきで、ぼくには猫に小判です。でもしばらくは手元において先輩の黒島愛・民謡愛をかみしめたいです」と礼状を送ったことを思い出す。

沖縄と東京では会う機会は少なかったが、「千代先生にはいつもむっぴられたさー(つねられた)」とぼくの母が黒島の教員をしているとき、叱られた思い出をなつかしそうに話してくれた。また、父が竹富町内の島々の風景を作詞した際には、それに曲をつけて楽しい歌に仕上げてくれた。ぼく達にはとても優しい兄貴分であった。

–沖縄は 八重山は 黒島は「宝」を失った– いささか気障だが弔電を送りご冥福を祈る。合掌