2024年7月19日哲日記,大谷翔平,読書

読書:佐藤愛子『九十歳。何がめでたい』小学館文庫) ずいぶん前に読んだせいか、初めて読んだ感じで楽しめる。いたずら電話では、しつこくしつこく無言電話に悩まされたげく、警察にかけこみ、なんとか相手の電話番号を聞きだした。青森の番号だ、さっそく電話、「はい、もスもス」と相手、愛子センセ無言のまま、それを幾度も続けると、ついに相手からの無言電話がなくなったそうな。

かつてのいたずら電話で秀逸なもの。「もしもし、ボクネ、今、あそこ握っているの」と若い男の声。それに対して愛子センセのお嬢さん、こう言った。「そうですか。では、握っていてください」ガチャン。

大谷翔平選手、オールスターでスリーラン、日本人初の柵越えホームラン。あっぱれ。

石垣島のT川H忠さん(中学当時のテニスコーチ)へ手紙。

暑中お見舞い申しあげます。昨年の旧盆帰省以来、ご無沙汰をいたしております。帰省時、むかしのテニス仲間との懇談の席で、コーチより、「那覇丸から転落して奇跡的に救助されたとき、宮古の伊志嶺亮医師へ電話をして、T山くんを何とか助けてください」と依頼されたエピソードをお聞きしました。

帰京後、伊志嶺先生の消息等どうしたものかと逡巡しているとき、池間島出身の付き合いのあるK上さんから、伊志嶺先生が宮古毎日新聞へ「アキラの地球徘徊」とのタイトルで寄稿されている記事がメールで送信されてきました(4月13日付)

その内容は、ご自分が平良市長として台風被害救済の要請行動で国会をたずねたおり、議員秘書のT山くんと名刺交換した思い出にふれ、彼の中学3年当時の事故を詳細に記し、医師として点滴等の治療を施したこと、結びに、70歳となる彼と、K上先生とお酒を酌み交わしたい、と綴られていました。

そこで、私から伊志嶺先生宛て手紙を差し出しました。


伊志嶺 亮さま

突然のお便りをさしあげる失礼をお許しください。

K上先生、M川さまのご高配により、伊志嶺亮先生が宮古毎日新聞へ寄稿された「アキラの地球徘徊 池間名誉島民第一号」を拝読させていただき、お礼の手紙をお届けすることができまして、嬉しく思います。

文中にありますように、20数年前、平良市長としての要請行動の一環で、私ども衆議院議員会館にもお立ち寄りになられたこと、そして50数年前、私の中学三年生のときの九死に一生をえた際には、先生に診察と手当を施していただいたことが走馬灯のように蘇ってきました。

この間、いく度か宮古島を訪問させていただきましたが、初代宮古島市長としてご多忙を極めておられる先生のお時間を頂戴するには、さぞかしご迷惑のことと勝手に判断しておりました。

ご挨拶が遅れましたことをお詫びし、あらためて、池間島の皆さま、雄山丸乗組員の方々、そして伊志嶺先生へ命の恩人として厚く御礼申しあげます。ありがとうございました。

昨年夏、旧盆で八重山へ帰省したおり、久しぶりに中学校テニス仲間と、コーチのT川氏を招いて同窓会を開きました。その席でT川コーチより「お前が救助されたとき、伊志嶺先生に電話をかけ、何とか助けてやってくださいとお願いした」とのエピソードをお聞きしました。先生とコーチは、先島親善テニス大会を通して旧知の間柄とのことでした。

「先生に御礼をしたいのだが・・・」とコーチが仰っていましたが、私も手をこまねいているうちに、この度の先生の寄稿文に接した次第です。

私は、2000年に国会を離れ、その後、労働組合の書記局にて65歳の定年まで勤務し、いまは古希をむかえ、東京の奥座敷・OM市で年金生活の日々を過ごしております。伊志嶺先生は卒寿を迎えられ、ご壮健のことと拝察いたしますが、ひきつづきカジマヤー、白寿とご長寿なされますよう祈念申しあげます。

不躾な長文の手紙となりましたことお詫びを申しあげ、かさねて先生より賜りましたご厚情に感謝申しあげます。 2024年4月16日 


その後、伊志嶺先生は福祉施設に入所されており、手紙は確かに読まれましたが、電話なり会話することはできないので、身内の方から「よろしく伝えるように」との先生のメッセージを頂くことができました。そして、残念なことに5月7日の訃報(享年91)に接した次第です。伊志嶺先生に面談のうえお礼を申しあげたい、との願いはかないませんでしたが、手紙にてお礼を申しあげることが、生前にできましたことがせめてもの救いとなりました。

昨年夏いらいの遅ればせながらの経過報告です。不十分なそしりを免れませんが、ご容赦願います。T川コーチのご健康とご長寿を祈りつつ筆をおきます。2024年7月16日

図書館へ、山崎豊子著『不毛地帯(四)』読了、返却。イランの石油開発に挑む商社専務としての壹岐、軍隊時代の上官娘との逢瀬と、なかなか読ませてくれますな。

週刊新潮、五木寛之コラム、根っからの読書好きの五木センセ、小学校時代は徒歩通学30分が読書タイム、91歳の現在も、電車、飛行機つねに読書、人と会うときも早めに行って読書しながら待つ。