久しぶりに通院した。整形外科で、膝の腫れ痛みについて受診。はじめに看護師による予診があり、事前に発症経過等の聞取りがあった。そして診察室によばれた。対面した医師は、ぼくの左足のズボンをまくりあげて自分の太ももに乗せ目視しつつ、つぎのようにおっしゃった。まず写真を撮り、膝から水を抜き、痛風か加齢によるものか、判断したい、とのこと。
となりのレントゲン室で写真(レントゲンでしょう)を撮り、再び診察室へ。早い!すでに出来上がった写真をもとに、医師は、膝のお皿部分と関節部分の隙間があまりないので加齢現象が進んでいると説明。次に、水抜きにうつり、50cc2本の多さにビックリ。あの膝にこのような水が溜まっていたのかと!医師は、濁っており痛風と思うが、外部へ検査に出すので、来週結果を聞きに来てください、とのこと。
水抜きと同時に痛み止め注射がうたれ、格段に痛みが改善してきた。病院嫌いのぼくだが考えを改めなければと思う。
朝食はサラダ(酢キャベツ、レタス、もずく)ゆで卵、バナナ、牛乳、ヨーグルト)、メロン、インスタントコーヒ。
昼食は、焼きシャケ、納豆、ゴーヤ、レタス、人参、インスタントみそ汁、冷凍ご飯をチーン。デザートにメロン。さすがに贅沢すぎて夕食にメロンはよそう。
「映像の世紀・難民 命を救う闘い」(NHK録画)を観る。いまや難民数は世界で1億人を超え、80人にひとりが難民という。初代難民高等弁務官フリチョフ・ナンセンの多大な貢献には頭がさがる。難民救済のための必要経費5,000万ドルを、国際連盟に拒絶されるや、写真を武器に難民の実態を世界に訴え、4,000万ドルの寄付を集めた。ノーベル平和賞の30万ドルを超す賞金もすべて難民支援へ寄付。ナンセン・パスポートにより難民が国境を越え国際的保護されることとなった。
1930年、ナンセンは「国葬」によりで志半ばでこの世を去った。真の国葬とは、そういうものであろう。